第447話
外の光もほとんど差さない、暗い結界のなか。
そこにあってメタリックな輝きを放つクリスタルは、否応なしにヤマトたちの眼を釘づけにしていた。
小さくない驚きをなんとか胸のうちに収めようとしながら、ヤマトは先程のクロの言葉について吟味する。
(神、神といったか? ただの水晶にしかみえない“あれ”が、神だと?)
にわかには信じがたかった。
太陽教会のみでなく土着の信仰もふくめれば、神というモノの姿は様々にある。男神や女神といった性の違いだけでなく、人や獣、鳥に魚といった種の違いにいたるまで、その見解は一致していない。
だがそれらは、知らずのうちにひとつの考えを共有していた。
すなわち神とは、いかなる類のモノであれ、なんらかの意思をもっているものだということである。
その前提を、ヤマトたちの前に顕現したクリスタルは備えていない。
(妙な光が点滅しているから、生きてはいるようだが……。果たして自我はあるのか)
ただ存在するだけでは、神になることはできない。
神と名乗るのであれば、それは人の上に君臨していなければならないのだから。
そんな哲学じみた思考を悶々とめぐらせ——ヤマトはそっと溜め息をもらした。
(どうであれ、今考えるようなことではないな)
ピカピカと無意味な点滅をするばかりのクリスタルのことは、ひとまず思案の外に置いてもいい。
今は、どうやらまだ計画の途中にあるらしいクロを阻害することのほうが重要だ。
そう気を取りなおしたことを察したからだろうか。
『——殺るの?』
(必要があれば)
『じゃあ殺ろう、すぐ殺ろう! あいつなんか気持ち悪いし』
言葉こそ無邪気ではあるが、刀が言わんとすることはヤマトにも理解できる。
今のクロを放っておくのは、あまりにも危険だ。
(ヒカルは——今は置いておくべきか)
ちらりと隣の戦友の姿を確かめた。
無機質な点滅をするクリスタルを前にして、なにやら呆然としている。鉄仮面で素顔を隠しているからその表情は分からないが、どうやらヤマトよりもはるかに大きな衝撃を受けているようだ。
薄情なようではあるが、今の彼女を正気に戻すような手間も惜しい。
(俺ひとりで片をつける)
『殺っちゃえ殺っちゃえ!』
決意すれば、やるべきことは簡単だ。
「ふぅっ」
そっと整息。
悦に入っているクロを視界の中心にとらえ、腰を落とした。
刀の刃を立てる。
「——シッ!!」
「おっとぉ!?」
会心の踏みこみ。
十メートルほどはあった距離をひと息で詰め、クロの背を刀の間合いにとらえた。
だが刀を握る手に力をこめた瞬間、クロが身をひるがえす。
振りぬいた刃先がとらえたのは、彼の着ていたローブだけだ。
そこに血糊がわずかほども付着していないことを確かめて、ヤマトは舌打ちをもらした。
「勘のいいやつだ」
「まったく油断も隙もない。もう少しゆっくりさせてほしかったのですが」
言いながら、クロはクリスタルのもとへ歩みを進めていく。
なめらかな表面を手で撫で、意味深に言葉をつむぎ始めた。
「気になりませんか? “これ”がいったいナニなのか。どうしてこんなモノのために、私たちがこうも大々的に動いてきたのか。なぜ——」
「戯言はいい」
一蹴した。
彼がなにを目的として、クリスタルを顕現させることでなにを果たしたのか。その全容までは分からないし、興味も尽きないところではあるが——今となっては、知る必要もないことだ。
むしろ、ペラペラと説明するふりをして時間稼ぎされるほうが厄介ですらある。
その判断のままに、手にした刀をブンッと素振りする。
「見たところ、まだすべてが終わったのではないようだ。ならば、ここでお前を斬れば万事解決ということ」
「やれやれ。ずいぶんと乱暴な話じゃありませんか。もう少し人の話を聞いたほうがいいと思いますよ?」
「———」
「……まったく。短気な方ですね」
もはや口を開くこともない。
黙したまま視線と刀とに殺意をこめ、半身になった。腰を落とし、いつでも踏みこめるように力をたくわえる。
(できればヒカルとも足並みをそろえたいところではあるが——)
視線はクロをとらえたまま、ヒカルの気配を探る。
だめだ。
クリスタルが現れたときに、その内部へ吸いこまれるようにして消えてしまったヒカルの退魔の力。それはまだ復活する兆しもない。
今のヒカルは、聖剣とは名ばかりの剣を手にしていた少女でしかなかった。
(巻きこめないな)
ひとりで戦う決意を、改めて固めた。
意識を前方へと集中させ、ふとした拍子にあふれそうになる闘気を収斂させる。
「———」
開始の合図はない。
凪いだ海のように静まりかえった心のまま、爪先へと重心を移して、
『——見つけたぞ、人間!!』
なにが起きたのか、理解することができなかった。
あたりを暗闇に閉ざしていた結界が、ほんのまばたきほどの瞬間に破壊される。ともすれば身体ごと飛ばされかねない暴風が荒れ狂い、ヤマトたちの間を無茶苦茶に乱していく。
浮きそうになった身体を、すんでのところで地に寄せて。
バクバクと早鳴る鼓動の音を自覚しつつ、ヤマトは周囲を見渡した。
「いったいなにが……!?」
「おやおや。ずいぶんと早かったですねえ」
平然とした様子の声。
それに慌てて視線を戻せば、竜巻のごとき暴風のなかにあって、なにごともないように立つクロの姿が眼に入った。
羽織ったローブはバタバタとはためいているものの、クロの体勢はわずかほども崩れていない。
(魔導術の力か——いやそれよりも!)
頭上を見上げた。
陽光をさえぎっていた結界が壊れ、その上にあった景色が一望できる。
いかなる力によってか、空を覆っていたはずの雲海が跡形もなく吹き飛ばされている。そんな、さながら水晶のごとき蒼穹を背にして、“彼ら”は空を飛んでいた。
『赤』『青』『黄』『緑』、そして『白』。
彼らの姿を見たことがない者であっても、その正体は即座に理解できたことだろう。それほどまでに、彼らの存在感は圧倒的だった。
(至高の竜種。それが五体も……)
あらゆる生物の頂点に君臨し、ゆえに至高を名乗る傲慢すら許された竜たち。
その五体が、一堂に会していた。
対峙しているのではないというのに、ただ見ているだけで、身体が萎縮してしまいそうになる。
だが、その覇気を前にして。
「——ク、クククッ」
クロはあくまで堂々と立ち、むしろ彼らを嘲笑までし始めた。
あまりにも不敵なたたずまいを前にして、至高の一頭——猛火のごとき『赤』が顎を開く。
『なんだ貴様。我らを前にして気が狂ったか』
「クククッ。いえいえとんでもない。ただ——なるほど、さすがに過剰防衛だと思いましてね」
『はぁ?』
『赤』の喉奥から、灼熱の炎がもれた。
ブレスを吐こうとしたのではない。彼の規格外が、ただの吐息ひとつに万物を燃やすだけの熱をこめたというだけのこと。
その炎に煽られながらも、クロは余裕を崩そうとしない。
「おおかた、そこにいる神に呼ばれて来たのでしょう? 主の危機なのだから、眷属は疾く集まれとかなんとか言われて」
『………』
「実に、実に結構なことだと思いましてね。たかが私のような小者ひとりのために、大陸四方の守護を任とするあなたたちを呼び寄せる。すばらしい器量ですよね。だからこそ厄介ではありますが、仮にも神を名乗ろうとするならば——」
『——これ以上、主を愚弄しようというならば。容赦はせぬぞ』
苛立たしげに、だが反論せずにいた『赤』に代わって。
氷のごとき冷たく鋭い眼差しをした『白』が、今度はクロを威圧するように顎を開いた。
おどけるようにクロは肩をすくめる。
「愚弄するだなんてとんでもない。ただ私の思ったことを口にしただけのことですよ」
『……貴様、我らが眷属の巣を襲った者だな? よくもおめおめと顔を見せられたものだ』
「なんと! あのときのことをまだ覚えていらっしゃったとは、光栄なことです。ええその通り。先日はご挨拶をさせていただきました」
『覚悟はできているだろうな』
「はて、覚悟ですか。なんのことやら私にはさっぱり」
『戯言を』
『白』は牙をむく。
その威圧感だけで、常人であれば心臓の動きを止めてしまっていたことだろう。
だがクロは、その代わりにクリスタルのほうを指差す。
「それよりも、いいんですか。このままで」
『———?』
「あなたたちの神様の様子が、ちょっとおかしいみたいですけど」
そう言った瞬間のことだった。
これまで無機質に——だが規則的に表面を明滅させていたクリスタル。その輝きが、あっという間に陰っていく。
『……主よ。いったいなにが——』
呆然と眼を見開いた『白』が、その言葉をつぶやき終わるよりも早く。
最後に、不穏な赤い光だけをほのかに発して。
クリスタルを取りまいていた輝きが、完全に沈黙してしまった。