第446話
「———?」
振り返る。
見えてくるのは、せわしなく働いている兵士たちばかり。彼らの間にまったく動揺がはしっていなかったことに、ノアは小さく首を傾げた。
「ノア様。いかがなされましたか」
「……いやなんでもない。気のせいだったみたい」
「……そうですか」
少し前を歩いていたラインハルトが、いぶかしげな顔をして立ち止まった。
それに軽く手を振って返し、再び歩く足を再開させる。
なおも不思議そうな表情をしていたラインハルトだったが、どうやらそれどころではないと思いなおしたらしい。彼もまた従来の生真面目な顔つきに戻り、歩きを再開させた。
「この後の予定は?」
「本土からの貨物到着の見届けを。その後は、北地から帰還する部隊の迎えいれ準備を整えましょう」
「やること満載だね」
「ノア様がお望みでしたら、別室でお休みいただいても構わないのですが」
「まさか」
内心にある気だるさを押し殺し、むんっと胸を張る。
(ここで退いたら、せっかく軍に入りこんだ意味がなくなっちゃう。どうにかしてラインハルトの動きを監視しないと)
ヤマトと別れ、たくされていたリリをも帝国軍に預ける。
そうまでした理由はすべて、なぜかこのエスト高原駅に派遣されていたラインハルトの動向を探ることにあるのだ。
多少無理をすることになっても、ここで退くわけにはいかない。
そんなノアの内心を悟ったからだろうか。
ふっとラインハルトが苦笑いを浮かべた。
「強情な方ですね」
「今さらじゃない?」
「さて。どうでしょうか」
皮肉げなノアの言葉に、曖昧に答えておきながら。
ラインハルトはわずかに歩く足を速めた。
「……ノア様。ノア様がお知りになりたいことは、私の目的。それで間違いありませんか?」
「そうだよ。話す気になってくれた?」
「もとより、あなた様には隠しだてをするつもりはありません。今ならば、少々の話をするくらいならばできるでしょう」
つまり、他の者——たとえばヤマトが同席している場合でなければ、正直に話したということ。
どれだけ本当のことかは分からないが、今のノアにとって好都合ではある。
「それはよかった」
探る眼つき。
相変わらず微動だにしないラインハルトの鉄面皮。それに内心でうんざりとしながら、ノアは問いかけた。
「それじゃあ聞かせて。ラインハルトは姉さんになんて命令されたの」
「護国のため、この地にて力を尽くせと」
「……それで?」
「それだけです」
話にならない。
あえて聞かせるように大きな溜め息をもらす。
「なにそれ。そんな命令を姉さんが下して、ラインハルトも従ったっていうの? 普通に考えたらありえないでしょ」
「ですが事実です」
「……はあ。それじゃあ、その護国のためっていうのはどういうこと? 国難に繋がるようなナニカがここにあるって、ラインハルトも判断したんだよね」
「仰る通りです」
コホンと軽い咳払いをひとつ。
そうして場を仕切りなおしてから、ラインハルトは改めて口を開いた。
「陛——先帝のもとに“あの者”、クロが出入りしていたことはご存知ですね?」
「もちろん。父さんからは、利害が一致したから契約していただけだって聞かされたけど」
「そうです。事実、彼との契約によって得られたものは大きく、帝国は富を手にすることができました」
うなずく。
もっとも代表例となるものが魔導列車だろう。それ以前とは明らかに一線を画す交通手段を独占したことで、帝国はその版図を広めるのみならず、他国へも強い影響力を握るようになった。
わざわざ挙兵などせずとも、もはや大陸の覇権は帝国が握っているようなものだ。
そう理解を示してみせたノアに、だがラインハルトは「ですが——」と言葉を続けた。
「ですが、クロの行っていた研究は危険なものでした。放置すれば、帝国のみならず大陸すべてが危険にさらされてしまうほどに」
「………」
「ゆえに先帝は、いずれクロがくわだてていた計画を破綻させるつもりでした。一番の出資者という立場を利用することによって」
「だけど、父さんは帝位を降りることになった」
その経緯については、ノアとしては疑問をはさまないではいられないのだが。
ひとまず余計な茶々は入れずに、ラインハルトに話の続きをうながす。
「その通りです。新たに即位された陛下には、その立場を利用することはできなかった。それどころか、クロとの連絡までもが遮断されてしまった」
「……だから武力行使に出るしかないってことか」
「ご理解いただけたようでなによりです」
これで大まかな経緯は理解できた。
先帝から諸々を引き継ぐにあたって、新皇帝フランはクロの計画を知ることになったのだろう。そして、その危険性を放置することができなかった。
だからこそのラインハルトだ。
(これでラインハルトが帝国外に出てきた理由は分かった。クロと協力していた父さんなら、その計画を把握していたことにも納得はできる。だけど——)
疑問は残っている。
それを問いただすべく、改めてノアはラインハルトの横顔を覗きこもうとしたところで、
『警告! 上空にて未確認の飛行生物を確認! 繰り返す、警告! 未確認の飛行生物を——』
「これは……」
皇室次男として育てられたときの知識を、脳の奥深くから引っ張りだす。
これは第一種特別警報。
軍の出動をもってしても鎮圧が困難とされるほどの、破格の事態に直面したときに鳴らされる警報だったずだ。
ノアがそのことを理解するのと同時に、士官たちの間にも動揺がはしっていく。
「第一種? そんなものが鳴らされるなんて……」
「未確認飛行生物って、強力な魔獣がなにかか?」
はじめは警報を理解できていなかった一般兵たちの間にも、徐々に動揺が伝播していく。
無理もない。
訓練で想定されているのも、せいぜい第二種特別警報が限界だ。さらに上をいく第一種特別警報ともなれば、皇帝の威光でもなければ対処できないレベルだ。
(なんとかして混乱を抑えないと——)
緊張と混乱で乾いた舌を、やっとの思いで動かしたときのことだった。
「——落ち着け」
端的な、だが力強いひと言。
ただそれだけをもって、ラインハルトは周囲の混乱をまとめて鎮めてみせた。
士官たちのすがる眼差しに臆することなく、堂々とうなずいてみせる。
「まずは対象の確認を急がせろ。正体と、その目的を探れ。不明であればそれでいい」
「は——ハッ! 了解しました!」
「搬送した兵器の展開も急げ。この警報が出されるほどの相手では、生半可な歩兵は役に立たない。すべてを兵器運用に費やして構わない」
「ハッ!!」
ノアが口をはさむ暇もない。
ラインハルトの的確な指示を前にして、士官たちは次々に冷静さを取り戻していく。そしてひとり、またひとりと敬礼を返して、それぞれの持ち場へと走っていった。
後に残されたのは、ノアとラインハルトのふたりだけだ。
まだ浮ついた心地が収まらないまま、ノアはふぅっと息を吐く。
「大したものだね。まるで動じていないみたいだ」
「人よりも顔に出にくいというだけです。それよりもノア様。ひとまずノア様は——」
「——却下」
その言葉に先んじて、ノアは首を横に振った。
困った顔をしたラインハルトに、真っ向から視線をぶつけた。
「悪いけどこれは僕のわがままだ。なにを言われたって納得しないし、譲る気もない。ここで退いたら、僕がここにいる意味がなくなるからね」
「……ですがノア様。ここから先は危険ですから、どうかお聞きわけください」
「却下」
我ながら無理を言っているという自覚はある。
だが、ここで退く手はない。
ラインハルトが強引にノアを拘束したところで、隙をみて脱出するくらいのことはしでかすだろう。
そんな決意を、ノアの眼の奥から感じたからか。
「………私のそばから離れないと約束してくださるのならば」
「——っ」
ラインハルトが折れた。
予想はしていなかったが、期待していた展開ではある。
なるべく喜色がそのまま出ないように気をつけながら、ノアは勢いよくうなずいた。
「ありがとう! ごめん、世話をかけるね」
「そう仰ってくださるなら、おとなしくしていてほしいのですが」
「それは無理だね」
「……まったく。陛下が知ればお悲しみになりますよ」
溜め息混じりなラインハルトの言葉。
それを馬耳東風とばかりに聞き流しつつ、ノアは率先して会議室へと歩を進めていった。