第445話
はるかに空高く。
何者の視線をも通さないだろう、分厚い雲海のさらに上空。そこを悠然と飛翔する影が五体いた。
すなわち、『至高』の名を冠した竜たちである。
『……なにも現れぬな』
『やっぱり『白』の勘違いだったんじゃねぇの? あいつ、結構意味深なことを言いたがるやつだし』
『そんなことは——!』
『でも、なにも出てこねえじゃん』
『それは、そうだが……』
『もうそろそろ引きあげたほうがいいんじゃねえの? 俺たちが一箇所にいるのも、あまりよくないって話だし』
今にもあくびをもらしそうなほど眠たげな『青』と、痺れを切らして言葉尻が荒くなっている『赤』。
彼らの好き勝手な物言いに『白』は反論しようとしたものの、すぐに黙らされてしまった。
そんな言い合いを見かねてか、『黄』が面倒くさそうに溜め息をもらす。
『あまりゴタゴタ言うなよ。君だって、納得して協力したことだろう?』
『だけどなあ』
『べつに無理に協力しろって言ってるわけじゃないんだ。嫌なら、君は抜けてしまえばいい』
『……ちっ』
結局、『赤』も本気で文句を言おうとしていたわけではなかったのだろう。
『黄』がそうたしなめれば、見るからに渋々という様子でありながらも、舌打ちひとつをこぼして顔をそらす。
ひとまず、嵐は去ってくれた。
そのことに内心で安堵しながらも、『白』は『白』自身で迷いを抱く。
(だが、『赤』の言う通りだ。このまま見張っていたところで、なにか成果が得られるものか)
『赤』が痺れを切らしたのも、決して彼が短気なことだけが理由ではない。
『白』をふくめた五体が空を飛ぶこと、早数時間。
それほどの時間を費やしておきながら、彼らはひとつの成果すら挙げることができていなかったのだ。
『赤』が率先して文句を言ったからこそ、他の竜たちは冷静さを保つことができた。だが“赤”がいなかったならば、また別の竜が口を開いていたことだろう。
逡巡する。
(ここが潮時か)
“あの方”の——『白』にとって主であり親であり神である存在のことは、確かに気になる。
だが、なにをおいても優先する——というほどではないのかもしれない。
(あまり長々とつき合わせるわけにもいかん。もうひとめぐりしたところで——)
解散しよう。
そう考えを改めた瞬間のことだった。
『———ッ!?』
鱗にヤスリをかけられたような感覚。
ゾワゾワとした痒みが首の周囲をはしり、妙なほど落ち着かせない気分になる。
そしてそれは、『白』だけが覚えたモノではなかったらしい。
『これは……』
『ふむ。始まったようだな』
『風が——大地が騒ぎだしている? いったいなにが起きたというの』
『ハッ。ようやくかよ』
警戒する『青』や『黄』と、どこか怯えもにじませる『緑』。彼らとは対照的に、嬉しげに不敵な笑みを浮かべてみせた『赤』。
三者三様の反応をぐるりと見渡して、『白』はこの感覚が、単なる気のせいではないことを確信した。
ふぅっと息をもらす。
『方角は——南方か。距離はそれほど遠くない』
『行くか?』
『焦るな『赤』。先走れば、帝国のときの二の舞となるぞ』
『……ちっ』
『青』が制止する。
その言葉を耳にしながら、『白』はさらに感覚を研ぎ澄ませていく。探るのは当然、この騒々しい気配のもとについてだ。
(数は……二か、三か? 詳しくは分からんな)
さらに探ろうとしてみても、妙なほどに感覚が遮られているようだ。
何者かが術かなにかで、『白』たちの知覚をも惑わしているのだろうか。そんな芸当ができるというだけで、驚嘆に値するのだが——、
それ以上に、『白』の気を惹いてやまないモノがひとつ。
(これは、“あの方”なのか?)
薄っすらと。
意識しなければ感じ取れないほどの希薄ではあったが、それでも確かに。『白』が探し求めていた“あの方”の気配が感じ取れる——が、あまりにも弱々しい。
ざわりと胸が騒いだ。
(なぜだ。なぜこれほどまでに“あの方”の気配が感じられない。“あの方”はもっと超然として、圧倒的な存在感を放っていたはず)
考えて、すぐに答えは浮かんでくる。
だが、『白』の思考はそれを受け入れようとしない。
すなわち——“あの方”が、何者かによって窮地に立たされているなどという可能性を。
(なんだ、いったいなにが起きている。なにがどうなって——)
グルグルと思考はめぐるが、なにか明瞭な答えが浮かんでくるわけもない。
次第に焦り、ほとんど意味のない思考の空回りを数回続けたところで、
『——なあ、行かねえのかよ』
再び痺れを切らしたのか。『赤』が口を開いた。
若干の苛立ちを自覚しながら、『白』は応じる。
『逸るな『赤』。なにも分からないまま突っこむのは危険だ。もう少し慎重に——』
『んなこと言っても、ここにいちゃなにも分からねえだろ』
ぐうの音も出ないほどの正論だ。
『赤』がそれを言ってみせたことより、自身がそんな単純な反論を予想もできなかったことに、『白』は愕然とする。
それほどまでに、自分は冷静に物事を考えることもできなくなっていたのか。
『……『白』』
『あぁ、分かっている』
『黄』に言われるまでもない。
今『赤』が言ってみせた通りだ。ここでウダウダとしていたところで、なにか妙案が浮かぶわけでもない。ならば状況を確かめるという意味でも、ひとまず現場へ向かってみるべきだろう。
腹をくくる。
『——行くぞ』
『白』の言葉に、他の四体がそれぞれの反応を示す。
そのなかで一番目立っていたのは、やはり『赤』だろう。
『よっしゃ! ようやく暴れられるぜ』
『大丈夫なの『赤』。あなた、怪我もようやくふさがったばかりじゃない』
『心配すんなっての。いざとなりゃ骨だけになっても暴れまわってやるよ』
『そういうことじゃないわよ』
一堂は溜め息をもらす。
だがそんな無謀にもみえるほどの前向きさは、今のような状況であれば頼もしくもある。
そう内心でだけ感謝しながら、『白』は気配が感じられる方角に頭を向けた。
(“主”よ、どうか今しばらくお待ちください)
その“主”に自分がなにを求めているのか、いまだ判然とはしないまま。
『白』は勢いよく翼をはためかせ、空の風に乗った。