第441話
(——さて。どこから攻めるべきか)
慎重に間合いを測りながら、ヤマトは思考をめぐらせる。
相対するは青鬼。かつては教会随一の聖騎士として名を馳せた強者であり、極東で戦ったときにも苦戦を強いられた相手だ。
その戦闘スタイルは、剣術と魔導術をともに高レベルで使いこなす万能型。間合いを選ばなくていいということは、裏を返せば、相手が不得手としている間合いで戦えるということでもある。
現に。
「……ちっ」
「させないよ。踏みこまれたら苦しい展開になるのは、もう分かっているからね」
音もなくすり足でにじり寄ろうとしても、青鬼はすかさず半歩後退してしまう。
ほんのわずかほどであっても、間合いを詰めさせようとはしない徹底ぶり。それはともすれば神経質であり、余裕が失せていることの表れでもあっただろう。
だがヤマトからすれば、厄介であることに違いない。
(あまり時間をかけてはいられない……!)
ジリジリと焦れる感覚が、胸のなかに募っていく。
今こうして青鬼と対峙している間に、時間ばかりがすぎていく。それはつまり、結界のなかにいるクロがその分だけ好きに行動できているということだ。
悠長にはしていられない。
(いっそのこと、攻撃をしかけてくれたほうがやりやすかったが)
依然として、青鬼は静観を続けていた。
徹底した間合い管理。それは万が一のリスクをも避けんとする姿勢であり、彼の目的がただ時間を稼ぐことだけにあると如実に表していた。
このまま様子を見ていても、らちが明かない。
ならば。
「行くぞ」
腰を落とす。
まだ鞘に収めたままでいた刀に手をかけ、地を踏む足に力をこめていく。
前方にいた青鬼が、警戒心をあらわにし、さらに数歩後退るのが分かった。
(だが、このくらいならば——)
機は一瞬。
風にそよぎ、草が揺れる。
雲にできた切れ目から、ほんのわずかに陽光が差しこんできた刹那のことだった。
踏みこむ。
「なっ」
まばたきほどの瞬間。
ただそれだけ青鬼の反応が遅れた間に、ヤマトは彼我の間合いを半分にまで詰めていた。
残すは、わずか五メートルほど。
「舐めるなッ!!」
青鬼が吼えた。
勢いよく地を蹴り、向かうは後方——ではなく、前方。
「———!?」
「吹っ飛べ!!」
意表を突かれたヤマトを前に、青鬼は手を突きだした。
手のひらに魔導術が描かれる。
それがなにを意味するかを理解するよりも早く、地面から噴きあげるような突風が、ヤマトの身体を下から持ちあげた。
靴底が地を滑る。
「くそっ」
慌てて爪先でこらえようとしても、それでどうにかなる勢いではない。
拮抗はほんの数瞬程度。
やがてヤマトの足は地面を離れ、風に吹かれるがままに身体は空を舞った。
自由に身動きできないなか、眼下の青鬼が手をひらめかせるところが眼に入った。そこに浮かびあがるのは、再び魔導術。
「穿て」
『霊矢』といったか。
魔力でつむがれた無数の矢が、その矢尻をヤマトに向け、一斉に放たれた。
いまだ空に飛ばされているヤマトでは、射線から逃れることはできない。
(だが、ならば——)
足の踏んばりは効かないが、この際は仕方ない。
空で身体をひねり、刀に手をかける。
途端に刀からあふれ出てくる闘志。その奔流をなだめすかしながら、急ごしらえの抜刀体勢を作りあげた。
整息。
「シ——ッ!」
一閃。
抜きはらった刀が、そして刃からほとばしった妖気が、無数に迫る『霊矢』を迎え撃った。
石が大波にさらわれるように、弾幕がただ一撃をもって薙がれる。
その光景を見た青鬼の眼が、仮面の下で見開かれた。
「これは……」
「今度こそこちらから行くぞ」
斬撃の勢いをそのままに、足を地に叩きつけた。
若干の地滑り。
どうにか衝撃を受け切ったところで、ヤマトは刀を身体の脇にそえた。膝を曲げる。
「ふっ」
肉薄。
一瞬遅れて我を取り戻した青鬼は、今度はバックステップで間合いを離そうとするが——間に合っていない。あっという間にヤマトとの間合いが詰まっていく。
互いの眼が見合うほどの距離まで詰まったところで、青鬼の眼になんらかの決意が秘められていることに気づいた。
青鬼の口がわずかに動く。
「剣よ。我がもとにあれ」
「———っ」
聞こえてきたのは詠唱。
ハッと視線を動かせば、ヤマトの視界から隠すようにしながらも、青鬼の背の奥でなにかが光り輝いていることが分かった。
おそらく、聖剣術。
『危ないっ!!』
咄嗟に踏みこむ足を止める。
瞬間、鼻先をかすめるほどのヤマトの寸前を、虚空に作られた剣が貫いた。
ドッと脂汗が背ににじむ。
「外したか。だが……!」
すぐそこにまで迫っていた死の恐怖に、ヤマトの心臓が暴れまわる。
だがそれが落ち着くことも待たずに、青鬼はさらにもう一手を重ねた。
空の煌めきが数を増やす。
「これならばどうだ!」
「厄介な」
視線をめぐらせた。
ざっと見えたかぎり、空中に生成された剣は五振り。そのすべてを完璧に統御しているとあれば、凌ぐことはかなり難しい。
思わず顔をしかめた。
『大丈夫。あれなら簡単に斬れるよ』
(……ならばその言葉、頼りにするぞ)
刀から伝わってきた自信満々な思念に、ヤマトも応じる。
バックステップ。身体が空に浮いている間で二振り。着地した隙をさらさず、さらに三振りを叩き斬った。
刀身にまとわりつく邪気が、その禍々しさに任せて、青鬼が作った聖剣を喰い散らかす。刃からただよっていた聖気も失われ、ただの魔力として霧散していってしまった。
(どちらが勇者側か分からなくなる光景だな)
そう思わないではいられない。
だが、ひとまず苦境を乗り越えることはできた。
その安心感のままに、ホッとひと息吐こうとして、
「……油断も隙もあったものではないな」
「そう言うなら、ここは斬られてほしかったんだけどね」
咄嗟に振りぬいた刀の先で、青鬼が振った聖剣が噛み合っていた。
六本目。
空に作ったモノとは別に、己が振るうための聖剣をさらにひとつ作っていたらしい。
ギチギチと刃と刃が擦れる。
『むぅ。これ、なんか硬い』
(そうだろうよ)
不満そうな刀の意思に、さもありなんと内心でうなずいた。
青鬼の手のなかにある剣から放たれる聖気は、ヒカルが持っていた本物と比べても遜色ない。たやすく斬れた五振りとは、そもそもの作りからして異なるようだ。
言うなれば、先のものが数打ちの鋳造品なのに対して、こちらは熟達の職人がしあげた一点物のようなもの。
刃と、その刃の奥から伝わってくる青鬼の情念に、感心せずにはいられない。
(だが、ここで退いてやるわけにはいかない——!)
ふいに均衡を崩す。
刃と刃が弾かれ、互いの身体がぐらりと揺らいだ。
青鬼も急いで体勢を立てなおそうとしていたが、先に攻撃体勢に入ったのはヤマトのほうだった。
「力を貸せ」
『———! 分かった!』
あふれ出す歓喜の情。
刃が邪気に包まれていく。それにともなって理性がガリガリと音をたてて削られていくが、耐えられないほどではない。
刀を上段へ。
「やっぱり、その刀は……!?」
「受け止めてみせろ」
ひと言だけ残して。
聖剣の防御ごと斬ってみせんと、大上段からの一撃を見舞った。