第44話
赤毛の男の武装は、両手に握った曲刀のみ。暗器の類を持った様子はない。ヤマトと同じく、正統派の戦士タイプとでも言うべきか。
対するノアは、ヒカルを探して走ったときに慌てて持ち出した魔導銃が一つと、上着に仕込んだ暗器が幾つか。更に数本の銃や暗器をたんまりと持ち込むのが、ノアの本来の戦い方だ。それと比べれば、今の状況は何とも心許ない。
(嘆いても仕方ないね)
今あるもので、どうにか凌ぐしかない。
再び目的を確認したところで、銃口を赤毛の男へ向ける。
「魔導銃か」
「その最新型。結構使い勝手はいいよ」
頼れる武器が銃一つである以上は、間合いを徹底して離すことが絶対の前提。
そのことを赤毛の男も理解しているのだろう。銃口の向きに意識を割きながらも、ジリジリとノアに近づこうとしている。
「銃使いの相手は慣れている」
「あらま、それは嬉しくない情報だね」
帝国以外ではあまり一般的ではないはずだが。重要人物の護衛を勤めるために、あらゆる武器に精通しているのかもしれない。
そんなことを考えながら、ノアは口を開いた。
「そういえば、名乗りがまだだったね。僕はノア。一介の冒険者さ」
「……ロイ」
「ロイか。こんなときに言うのも変だけど、よろしく頼むよ」
言いながら、開戦は唐突に行われる。
挨拶代わりに銃撃を一発。目にも留まらない速度で射出された弾丸は、恐るべき精密さでロイの胸元に吸い込まれる。
対して、ロイは弾丸の軌道上に曲刀を掲げ、身体を逸らした。
曲刀と弾丸がぶつかり、火花を散らせる。
「じゃあ助言を一つ。銃使いの前で大人しく立たないことをお勧めするよ」
剣の刃を届かせるには、数歩の踏み込みを必要とする間合い。手元の魔力操作だけで攻撃を届かせる銃が、圧倒的に主導権を握れる距離だ。
並みの剣士であれば、その一撃で沈められていただろう。意識の間隙を縫うように放たれた銃撃を、ロイは見事に防いでみせた。
――だが、防いだだけだ。
「く……っ!?」
「ほらほら、そのままじゃジリ貧だよ? どうにかしないと」
反撃をさせる暇など与えない。
戦略盤で相手の王を詰めるように、相手の捌き方を計算しながら淡々と銃撃を放つ。その全ての狙いが正確無比であり、下手に受け損なえば、それだけで勝敗が決する。
絶えず襲う銃弾の嵐を、ロイは両手の曲刀と持ち前の身体能力で捌き続ける。刀身を盾のようにして身体を守り、銃撃の軌道から必死に身体を逸らす。その全てが神業と称賛されてしかるべき技だ。しかし、それでは足りない。
ロイの行動は全てが最善のもの。にも関わらず、銃弾が一発放たれるたびに、ロイの状況は急速に悪化する。
「……すごい」
ララがノアの銃弾の弾幕を前に、呆気に取られたように声を漏らす。
それに応えないまま、ノアは真っ直ぐロイの動きを観察していた。
「もう分かったでしょ? あの間合いで僕の前に立ち続けた時点で、詰んでいたんだって」
ノアが見て感じたロイの実力ならば、この状況を打破することはできない。まだしばらくは銃撃を防げるであろうが、それもいつまで保つか。やがては捌き切れなくなり、銃撃の前に倒れる運命だ。
つまり。
逆に言えば、ノアの想定を越える実力を出せれば、状況を打破できる。
「さあ、どうする?」
「――『幻霧』」
試すような目つきで見つめていたノアの前で。
一言だけロイが呟く。直後、ロイをとりまく魔力が不可思議な動きを見せ始めた。
「へぇ? これは……」
魔力の霧、とでも言うべきか。
ロイ本人を覆い隠すように、白い霧のようになって魔力が辺りに吹き散らされる。肉眼では、霧に阻まれて少し先までしか見通すことができない。魔力による探知も、不定期に蠢く魔力の中では機能しない。この中ならば、ノアもロイの姿を認めることはできない。
「奥義の一つなのかな? 確かに、この中なら銃の利点は活きない」
護衛のために使う技と言うよりは、暗殺に向いた技のように思えるが。利便性が高いことに間違いはない。
感心したようにノアは言う。だが、その動きは止まらない。
魔力の霧が張り巡らされる前と同じように、迷いを一つも見せないままに銃撃を放ち続ける。その一発ごとに、霧の先から金属質な音が聞こえてきた。
「でも使うのが遅かったね。最初からこの屋敷中に霧を作っておくべきだった」
既に、詰みの段階までノアは戦略を立て終えているのだ。状況を確認できなくなったことは痛いが、致命的な問題ではない。
脳内で描いた図面の通りの軌道とタイミングでもって、銃撃を放ち続ける。
(この状況から打てる手は限られるけど)
限りなく勝利に近い状況。それでも、思考は止めない。
先に分析した通り、ロイはヤマトに迫るほどの実力の持ち主だ。それほどの人物が、ノアの描いたシナリオに従順に踊ってくれるとも思えない。
ならば、どうするか。
「無理を通すしかないよね」
足踏み一つ。
思考の傍らで構築した魔導で、辺りの魔導が一斉に晴れる。
広がった視界の中で、ロイの姿は思いの外近くにあった。左肩に銃撃で傷を負いながらも、闘志に燃えた目。右手に握った刃を真っ直ぐ、ノアに向けている。間合いは既に狭まり、回避は不可能。
「『鮫牙』ッ!!」
「おっと」
気迫と共に放たれた斬撃を前に、ノアは前進。力が込められる寸前の刀身を横から押し、身体の軸からずらす。
必殺の一撃。それに相応しい威力の斬撃が、ノアの胸元すぐ近くの空を斬った。
「な……!?」
「隙あり」
硬直したロイの胸元に掌底を一つ。
苦し紛れの斬撃を余裕をもって回避した後、回し蹴りを側頭部へ。
倒れ込むようにして蹴りの衝撃を減じたロイに追撃はせず、ノアはさっさと間合いを離す。
「ほらほら、休んでる時間はないよ」
「ぐぅっ!?」
間合いが離れたのならば、再び銃の独壇場だ。
同様に判断したロイが、咄嗟に階段の陰へ身を滑り込ませるところへ、銃撃を数発。咄嗟の銃撃は、ロイの身体を微かに傷つけるに留まったようだ。
「今ので決めたかったんだけどね」
「格闘の心得もあったとはな」
「かじったくらいだよ」
事実、ヤマトならば先程の交錯でロイを仕留めることはできただろう。
だから、所詮は付け焼き刃。それでも、身につけていなければロイに斬り伏せられていたのだから、付け焼き刃も馬鹿にできないものだ。
(ここまでは順調かな)
魔導銃に不備がないことだけを確かめてから、ノアは戦況を分析する。
ロイは詰みの状況から脱するために、相応の魔力と左肩に傷を負った。格闘戦ではほとんどダメージを与えられていないものの、追撃の銃撃で多少の切り傷は作れたか。
対するノアは、外傷はまったくない。他方で、まったくの無傷かと問われれば、それは違うと答えるだろう。
(思ったよりも魔力消耗が激しい。困ったな)
衛兵たちを退けたときとは違って、ロイと相対している今は、ノアは一発ごとに相当の魔力を込めている。具体的には、かつてバルサに放った銃撃と同程度の魔力だ。
その甲斐あって避けざるを得ない程度の威力は出せているが、その分、ノアの魔力消費も激しい。まだ半分ほどは残っているが、逆に言えば、もう半分ほどは消耗した。普段ならば迷うことなく回復薬で魔力を回復させるところだが、今は準備不足が響いている。魔力を回復させる手段がない。
(今度からは薬も持つようにしないとなぁ)
初めての海を前にして、思っていた以上に気分が高揚していたのかもしれない。
密かに自省しながら、ノアは時間の感覚を測る。
(もうだいぶ経ったかな……)
だとすれば、もう少しの辛抱だ。
そう自分に言い聞かせて、ノアは階段裏のロイの気配を探る。
「いつまで隠れているつもり? 何かやるつもりなら、早く見せてほしいんだけど」
「……待たせたな」
ゆっくりとロイが階段裏から姿を見せる。
左肩の傷は応急手当したらしく、血が滲んで赤く染まった布が巻かれている。剣を握るほどの力はなかったようで、曲刀は今は右手にだけ握られていた。またノアが咄嗟に放った銃弾も案外命中していたらしく、ロイは身体の各所から血を流していた。
「あら。ずいぶんボロボロだね」
「―――」
挑発混じりのノアの言葉を、ロイは黙殺する。
つまらなさそうに鼻息を漏らしながらも、ノアは油断なくロイの姿を観察した。
「……魔力が変だ。何をした?」
「―――」
その指摘にも、ロイは応えない。
胸中でむくむくと嫌な予感が膨らむ。
ノアが見つめる先で、ロイは右手の剣を正眼に構えた。無意識の内に、足が後退る。
「――『夢幻刃』」
その名を告げるのと同時に、ロイの魔力が一瞬だけぶれる。
咄嗟に銃撃を放ったノアは、直後に驚愕の声を上げた。
「分かれたっ!?」
右手に曲刀を携えたままのロイが、寸分違わない姿のまま二人に分かれる。肉眼で違いが捉えられないのみならず、魔力の方もまったく差がない。
どちらが本物なのかは判断できない。咄嗟に両方を撃つものの、やはりどちらも神がかった技量で銃撃を曲刀で弾く。
「どっちも実体か!」
狙いが甘い上に薄い弾幕では、ロイの前進を止めることなど叶わない。
瞬く間に間合いを埋めてくるロイに、ノアは焦りの表情を浮かべる。一人だけならば多少の抗いようはあるとしても、二人分の斬撃を捌き切ることは、ノアの格闘技術では不可能だ。
かくなる上は、多少の傷を覚悟の上で押し込むしかない。
覚悟を決めて銃を握り直したノアだったが、屋敷の扉が蹴破られる音を聞いて、身体から力を緩めた。
「本当、ベストタイミングだね」
今にもノアへ凶刃を下そうとしていた二人のロイ目がけて、神速の斬撃が放たれる。片方はそれを紙一重で回避するものの、もう片方は斬撃に直撃したようだ。胸元に一文字の切り傷を刻まれた後、身体が砂のように細かな粒子になって崩れ去る。
「お前は……」
「咄嗟に手を出したが、構わなかったか?」
水着の上から上着を羽織っただけという平和な格好ではあるものの、その身体からは隠しきれないほどの闘気が溢れていた。久し振りに感じた気がする頼もしい気配に、ノアはそっと息をつく。
抜き身の長刀を一振り手に持って、その男――ヤマトはノアの前に立っていた。