第439話
「……妙だな」
一見しただけでは穏やかそのものな、昼下がりのエスト高原。
その柔風に頬を撫でられながら、その空気とは対照的な鋭い眼差しで、青々とした高原をアナスタシアは睨みつけていた。
本来ならば人形めいた艶のある金髪も、今は高原の風にあてられてボサボサに乱れてしまっている。だがそんなことにも執心せず、アナスタシアの眼は一心不乱に、“なにか”を探すべくめぐらされていた。
ややあってから、ほっそりとした指を顎にあてる。
「——なにかあったか、アナスタシア」
「ん? あぁいや」
背中から声をかけられる。
そちらへ振り返れば、いぶかしげな顔をしたレレイがいた。
彼女の疑問に答えようとして、代わりに問いかけ返すことにした。
「お前のほうは、なにか気づいたことはないか?」
「私が聞いていたのだがな……」
「まあ、いいから」
溜め息をひとつ。
それ以上の問答を重ねることはなく、レレイは首を横に振った。
「ないな。どこを見ても自然そのもの、異変などどこにもない。かろうじて竜の気配だけはとらえられたが……」
「その竜の気配にしても、正確な場所までは感じられない。そういう話だったな」
「不甲斐ないことだが」
レレイがうなずく。
彼女を責めるつもりはない。ただ淡々と事実を確認するにとどめたアナスタシアは、すぐにはてと首を傾げた。
「だが、そんなことはこれまでもあったのか?」
「……というと?」
「自然が自然のままに乱れる環境のなか、竜の気配だけを感じとる。お前が巫女として竜の気配に敏感なことは知っているが、そんなことが可能なほどだったのか?」
「ふむ」
ひたすら怪訝そうな顔をしていたレレイだが、その言葉を前にして、ようやく要領を得た表情をした。
腕組みをする。
「つまり、なにか別の要因があると」
「たぶんな。お前の感覚を研ぎ澄ませているモノか、竜たちを惑わせているモノか。はたまた俺たちには想像もできないレベルの“なにか”が起きているのか」
「雲をつかむような話だな」
呆れをにじませた言葉をひとつ。
だがレレイはアナスタシアの話を否定しようとはせず、すっと眼を細めて空を見あげた。
「……なにか心あたりがあるのか?」
「なきにしもあらず、ってところだ」
「聞かせてもらっても?」
「あぁ」
わずかにためらう素振りを、一瞬だけ。
アナスタシアはグルリと周囲に視線をめぐらせてから、ゆっくりと口を開いた。
「——レレイ。お前は古代文明ってやつについて、どのくらい知ってる」
「古代文明だと?」
胡乱げな視線。
だがすぐに思いあたったのか、はたと手を打った。
「そういえば、島の祭壇がその遺跡だったとは聞いたな。ノアがずいぶんと興奮していたことは覚えている」
「へぇ? まあ、それなら話は早いな」
コホンと咳払い。
場を改めるべく、アナスタシアはたたずまいを改めて。
透き通った青空の彼方へと指を向けた。
「古代文明ってやつの真相については諸説あって、今もその実態を知り尽くした者はいない。遺跡に残された文献を読み解いてみても、なにを書いているのか分からないって始末だ」
「……聞いたことはある」
「ただどうやら、古代文明末期には“とある計画”が進められていたみたいでな。計画は文明崩壊とともに頓挫したものの、現物はまだ残されているらしい」
「それがどうかしたのか?」
「まあ聞けって」
要領を得ないという顔。
そんなレレイのことはいったん置いておいて、アナスタシアはさっさと話を進めた。
「“計画”の目的は、ざっくり言えば人類保全だ。発展しすぎた技術のせいで乱れた環境下で、自由に外を出歩くこともできない人類のために、人類を守るモノを開発しようってな」
「……にわかには信じがたい話だが」
「気温操作、湿度操作、風量操作。さらには天候操作に地形操作。そうした技術の数々を生み出し、それでも問題解決はできなかった連中は——最後に、神を作ろうとした」
「神を?」
うなずく。
「言うなれば人工神か。人の手によって、人を完璧に管理する神を作っちまおうって計画だな」
「無茶苦茶な話だな」
「あぁ。そのことに気づけないくらい、開発者たちは追いつめられていたんだろうさ」
自らの手によって自らの尊厳をおとしめる行為だ。
もしも“計画”によって人が平和に生きていけるようになったところで、それは家畜の身に甘んじた結果でしかない。
彼らが今のアナスタシアと同じような正気を保てていたならば、間違えても“計画”を進めようとは考えなかったはずだ。
だが現実では、“計画”はそのままに——そして当初の予想を上回るほど順調に進んだ。
「いくつかの問題は残しながらも、滞りなく人工神は完成した。鋼鉄仕掛けの機械知性で、人を完璧に管理する超越者が」
「それなのに、古代文明は崩壊したのか」
「正確には、崩壊させられたんだ。人工神の手によってな」
レレイが息を飲む。
「なぜだ? その作られた神は、人を——文明を存続させるためにあったのだろう?」
「さてな、そこは今も議論されているところだ。人工神が致命的なバグを起こした説、人間の定義に問題があった説、あるいは人のために文明を滅ぼすことを選択した説。どれも一長一短あって、まだ確かなところは分かっていない」
「そうか……」
知恵熱を放出すべく、大きな溜め息をひとつ。
そうして混乱する思考にひとまず区切りをつけたレレイは、再び冷静さを取り戻した瞳でアナスタシアを見つめた。
「それで、その話が現状にどう関わってくる? 見たところ、ここの遺跡に異変があったわけでもないようだが」
「別に確証があるわけじゃないさ。ただ、そんな人工神レベルの存在でもなけりゃ、自然やら竜やらに干渉はできないだろうってな」
「ふむ」
可能性のひとつ、くらいには考えてもらえただろうか。
その話すべてを鵜呑みにしたわけではないにせよ、レレイは小さくうなずく。その様子を確かめてから、アナスタシアは改めてグルリと周囲を見渡した。
(人工神による干渉。もちろんすべてが本気なわけじゃないが、そう考えればしっくりくるのも確かなんだよな……)
彼女が考えるのは、突然姿を消してしまった勇者ヒカルのことだ。
アナスタシアとて人の心理を読み解くことに長けているわけではない。だがそれでも、ヒカルにその前兆がわずかほどもなかったのは確かだ。望郷の念を募らせていたにしても、それに発奮されて行動を起こすような人物ではない。
自然、アナスタシアたちが知らない間に“なにか”が干渉したと考えるべきだ。
(なんの痕跡もなく失せた勇者。やたら静まり返っている高原。ざわめく竜。……俺の知らないところで動いているやつがいる)
真っ先に思いつくのはクロ。
次点で人工神や、魔王だろうか。
だがそのなかのひとつと断定するには、あまりにも思考材料が不足していた。
(手づまりってやつだな……)
このまま高原をさまよったところで、なにかが見つかる可能性は低い。
いちど、ヤマトたちがいるはずの駅に戻るべきだろうか。
そんなことを考え始めた——瞬間のことだった。
ふところに入れていた通信機が、無音のまま振動した。
「おっ」
「……通信か?」
「みたいだな」
手持ちの通信機がつながっている先は、ヤマトだ。
本人の了承も得ないまま勝手に取りつけたものだったが、まさかヤマトのほうから連絡してくるとは。
(いちいち想像を裏切ってくるやつだな)
胸もとに手を忍びこませ、通信機を手にした。
レレイは気を利かせたのか、無言のまま、遠方で探索していたリーシャのほうへ歩を進めていく。
その背をなんとなしに見送ってから、アナスタシアは通信機を口もとに寄せた。
「よう。ヤマトだよな」
『——アナスタシアだな。よかった、つながってくれたか」
ヤマトの声。
切羽つまっている様子こそないものの、どことなくその声音に違和感を覚えた。
なにか心境の変化を経たのか。
少し考えこんだところで、ひとまずヤマトの話を聞くことにした。
「で? いったい俺になんの用だ? そっちのリリを介してないってことは、それなりに緊急のことなんだろ。勇者の手がかりでも見つけたか?」
冗談混じり、願望混じりの言葉。
だがそんなアナスタシアの発言に、ヤマトは大真面目に答えてきた。
『確証が得られたわけではないが……。ひとまず、手がかりにはなるはずだ』
「……へぇ。こいつは驚いたな」
今度は他意のない驚きの声だった。
ヤマトならばなにかやるかもしれない、くらいの予感はしていた。だがまさか本当に、アナスタシアたちに先んじて手がかりを見つけてくるとは。
胸のなかでヤマトへの評価をさらに上乗せしつつ、問い返した。
「詳しく聞かせろよ。なにがあった」
『こちらでクロの手先のひとり——赤鬼と名乗る男と交戦した』
赤鬼。
聞いたところによれば、その男は以前、勇者ヒカルと聖騎士リーシャを相手に、ひとりで互角の戦いを演じてみせたという。
間違いなく強者。
「結果は?」
『……なかば偶然ではあるが、俺が勝った。今は駅に拘束している』
思わず、驚きの声がもれそうになった。
大金星などというものではない。
「そいつは大手柄だな……。で、そいつから手がかりを得たってわけか」
『そういうわけではないのだが……』
妙に歯切れの悪い言葉。
それに問い返そうとしたところで、ヤマトは先に声をあげた。
『アナスタシア。時間遡行、時渡りといった言葉に覚えはあるか?』
「あん? そいつは——」
直接聞いた覚えはない。
だが、それらの言葉が意味しているところは理解できる。
ヤマトの口からもたらされた情報を前に、アナスタシアの脳が一気にまわり始めた。
「……ははぁん、時間遡行。なるほどそういう形で干渉したってわけか。となると今回の事態は——」
『なにか分かったのか?』
「推論づくめではあるがな」
雑に応えつつ、再び通信機へ。
「具体的な場所とかはどうだ。クロがいそうなところとか」
『……それは分からん。だが、いちど確かめてみたい場所がある』
「そいつは僥倖」
満足げに鼻を鳴らした。
なにかあるかもしれない、くらいの考えでヤマトを手もとに置いてきたが。その判断がここまで結実してくれるとは、夢にも思わなかった。
傍から見れば怪しいことこの上ない笑みを口もとに、なんどもうなずく。
(ヤマトのうちに眠った素質——勇者の兆し。それが、人工神の干渉をわずかでも除けたってことなら——)
『……アナスタシア?』
「ん、おぉ」
自分の世界に没入していたことに、ヤマトの声で今さらながら気づいた。
白けた空気を仕切りなおすべく、咳払いを数回。
「ヤマト。そこに地図はあるよな」
『む。……あぁ、確かにある』
「よし。なら心あたりがあるって場所がどこなのか教えてくれ」
周囲を探索していたリーシャとレレイに、手を上げて合図する。
手がかりの少ないまま、なにをすることもできず歩きまわるしかできなかったが——ヤマトのおかげで、状況は一変した。
ここからならば、打てる手は無数にある。
(この舞台にいる役者は、勇者に魔王、クロに俺たちに——帝国軍もか)
足もとに転がしていた荷物袋から地図を取りだした。エスト高原の地理を描いた紙に、さらにいくつものコマの影を空想する。
コマひとつひとつの動きをシミュレートし、状況を分析していく。
「ククッ、面白くなってきたな……!」
『……そう楽観していい状況ではないはずだが』
「そう固いこと言うなっての」
口端が釣りあがるのを止めることができない。
咎めるようなヤマトの言葉は聞き流しつつ、アナスタシアは次に打つべき手を模索し始めた。




