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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
438/462

第438話

 刀身をなかばで断たれた刃が、クルクルと空を舞う。

 時間の流れが止まってしまったかのような空白。

 ややあってから、空にあった刃がまっすぐ地に突き刺さった。


「……これは……」


 にわかには信じがたい。

 そんな内心を窺わせる声音で、ボソリと赤鬼は呟いた。

 先程まで刃が待っていた空を仰ぎ、妙なほど軽くなった手中を確かめ、そして五体満足なままのヤマトを窺い。

 やがて、深い溜め息をもらす。


「負けたのか、俺は」

「———」

「見事だ」


 素直には賛同しがたい。

 だがだからといって、偶然に近くとも勝者の座を手にしたヤマトが、敗者たる赤鬼にかけていい言葉などあるはずもない。

 そんな内心をそのままに顔をゆがめれば、赤鬼はどこか愉快そうな笑い声をあげた。


「勝者がそんな顔をしてどうする。胸を張れ。貴様は確かに俺の技を破り、そしてこの刀をも斬ってみせた。これを見て、貴様の勝ちでないなどとほざく者はいまいよ」

「……ほとんど不意討ちだ。もし正面から備えていたならば、お前に届くこともなかった」

「だとしてもだ」


 赤鬼の身体から立ち昇っていた闘気が、あっという間に萎んでいく。

 軽くなった刀を鞘に収めようとして——ふっと苦笑いをこぼし、その動きを止めた。


「あのとき、俺は貴様が刀の邪念に飲まれたものと信じて疑わなかった。理性などとうに消え失せ、ただ力のままに得物を振る獣になったのだと」

「ほとんどそのようなものだった」

「いや違う。貴様は獣のごとき姿をさらしながらも、その力を技で御していた」

「そんなことは……」


 そう言われたところで、ヤマトには素直に認めることはできなかった。

 ただ必死にあらがっていた記憶しか残っていないからだ。当然、赤鬼が言うように力を技で御していた記憶もない。がむしゃらに、刀から伝わる意志の奔流に飲まれまいとしていただけだ。

 その沈黙が、どう映ったのか。

 しばらく無気力に折れた刀を見つめていた赤鬼は、ややあってから顔を上げた。


「……その刀」

「———?」

「もうなんともないのか?」


 言われて、ヤマトも手中の刀に視線を下ろした。

 呪剣。妖刀。

 ひとりでに禍々しい意志に目覚めた刀は、その邪念をもって、ヤマトの正気を侵そうとしてきた。

 だがその濁流にも似た邪念は、今となってはすっかり鳴りを潜めていた。


『………』


(意識はまだある。なら、ただおとなしくなっているだけか)


 手応えを確かめるついでに数度振り、ヤマトはうなずく。


「どうやらそのようだ」

「そうか。ならば貴様は確かに、その刀を調伏したのだろうな」

「調伏?」

「貴様を主と認めたということだ。そのような者が現れるとは、思いもしなかったが」

「……そうか」


 褒められている、のだろうか。

 どう反応すれば分からず、首を傾げることしかできない。

 そんなヤマトに言い聞かせるように、ぐったりと地面に腰を下ろしながら、赤鬼は口を開いた。


「過去数度、貴様と同じように呪われた剣を手にした者がいた。いずれもその力に恐怖し歓喜しながら、やがては剣の呪いに心身を蝕まれ、正気を失うことになったのだ。貴様という例外を除いてな」

「ずいぶんと詳しいな」

「まあ、聞け」


 ヤマトの疑念をひと言で殺し、話を続ける。


「なぜ貴様が呪いを退けられたのか。過去の呪剣の担い手たちには、古今無双と称えられるほどの猛者や、数多の苦難とともにあった勇者がいた。そのなかで、なぜ貴様だけが?」

「………」

「呪いを前にして自我を保てるほどの強靭な精神。それは認めよう、だがそれだけではない。まだ別の、不可解なモノが貴様のなかには眠っている」

「不可解なモノだと?」


 いぶかしげに首を傾げてみせるが、赤鬼ははっきりと首肯してみせた。


「おそらくはそれこそが、クロが貴様を気にかける理由だ。貴様ならば、己の描いた絵をひっくり返しかねないと」

「……ずいぶん買いかぶられたものだ」

「そうか? 俺には、そうとも思えなかったがな」


 言い切ってから、赤鬼はぐらりと身体をよろめかせた。

 あふれるほどの闘気が萎んだ今となれば、病的なほどの痩身が眼についてくる。決して不健康なわけではなく、磨きあげた技を振るうため最適化した体躯なのだろう。だが傍目から見ている分には、無性に心配になってくるのも事実。

 思わず声をあげそうになったところで、赤鬼は再び上体を起こす。


「む……、少し気を張りすぎたか」

「なに?」

「いつものことだ。死合の後は身体が重くなる。数時間ほど休めば、すぐによくなる程度のものだ」

「……病の類ではないのだな?」

「無論」


 ろくに頭も働いていないのだろう。

 ひと言だけ返した赤鬼は、それで精魂果ててしまったのか。がくんと首を落とした。


「俺のことは放っておけ。貴様にはまだやることがあるのだろう?」

「放っておけだと? こんな場所に——」


 言い返そうとして、すぐに口を閉ざした。

 当の赤鬼が、すでに意識を手放していることに気づいたからだ。戦いが終われば体力も尽きるという言葉の通りに、赤鬼はすぐに寝入ってしまっていた。


(こんなところで寝るやつがいるか)


 軽く揺さぶってみたところで、彼が起きることはないだろう。大地に座りこむ姿勢のまま、ずいぶんと深い眠りに落ちているようだ。

 だが、ここに置いていくわけにもいかない。

 駅近郊の穏やかな場所とはいえ、魔獣は出没する。そこに寝入っている人間がいたとなれば、彼らの格好の餌となることだろう。

 さすがにそれは寝覚めが悪い。


「……仕方ないか」


 溜め息がもれた。

 本当ならばすぐにでも行動に移したいところだったが、やむを得ない。

 すっかり眠ってしまった赤鬼に肩を貸し——軽い。さっさと担いだ。


「こいつは駅員に任せるとして……、その後にどうするかだな」


 駅に向かって足を進めながら、ヤマトは空を仰いだ。

 赤鬼の気配に勘づいたときには、まだ曖昧なものでしかなかった予感。漠然と“何か”があるくらいにしか分からなかったものが、今ははっきりとした形で感じられる。

 赤鬼と刃を交えるうちに、感覚が研ぎ澄まされていったからだ。


(時渡り、とこいつは言っていたか)


 担いだ赤鬼に視線を投げながら、彼の言葉を思い返す。

 “時渡り”。

 文字通りに解釈するならば、時間を遡るか飛び越すということだろう。無論、そんなことをした記憶はヤマトのなかに残ってはいないが——、


(妙なほど鮮やかに焼きついている光景。これは過去に——もしくは未来に起こったことか)


 そういえばと、思い出す。


「お前もこの記憶を持っているようだったな。となると、実際にあったことなのか?」

『……知らない、そんなの』

「知らないはずはないだろうに」


 語りかけた先は、腰にさげた刀だ。

 だが返ってきたのは、ふてくされたような言葉だけ。

 思わずもれそうになった苦笑いを、すんでのところでこらえた。


(ともかく、すぐに確かめる必要はありそうだな)


 ようやく手に入った手がかりなのだ。

 感覚任せで確証もないようなものだが、捨ててしまうには惜しい。ノアやアナスタシアらにも連絡して、すぐに探ってみるべきだろう。

 深呼吸をひとつ。

 ヤマトは足早に駅への道を歩いていった。

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