第435話
エスト高原駅を出て、数分ほど歩き続けた先。
どこまでも続く草原を見渡し、あたりに人気がないことを確かめてから。ヤマトは腰もとの刀にそっと手を伸ばした。
臨戦態勢のまま、鋭い眼差しを自身の後方へと向ける。
「そこにいるのは分かっている。いい加減出てきたらどうだ」
「………」
「あくまで隠れているというならば、こちらも相応の手に出るが」
その脅しに屈したわけではないだろうが。
ヤマトが険しい視線を投げ続けていると、やがて人の気配はなかったはずの草原に、ふいに人影が現れた。
どこかから歩いてきたのではなく、初めからそこにいたとでもいうように。あくまでも自然体のままでたたずんでいる。
遮蔽物もなにもない草原で、ヤマトの眼を欺くだけの技量。それが驚嘆に値するが、よりヤマトの眼を惹いたものは別のことだった。
「お前は……」
「言葉を交わすのは初めてか」
憤怒で顔をゆがめた赤鬼の仮面。
そのひとつを見ただけで、ヤマトはすぐに彼の正体に気づいた。
「クロの手先——赤鬼か」
「その通りだが……、手先とはずいぶんな言い様だな」
「事実を言ったまでのことだ」
赤鬼。
ヒカルたちから話だけは聞いていた。いわくヤマトと同じく極東の刀術に長けた剣士であり、その技をもって、かつてはヒカルたちを相手にひとりで立ち回ってみせた傑物とのこと。
ヤマトとしても、一度くらいは対峙してみたいと思っていた相手だ。
(だが、なにもこんな時分でなくともよかったのだが)
溜め息をこぼしたくもなるが、強気な姿勢は崩さないでおく。
「ずいぶんと長いこと見張っていたようだな。それがクロからの命か?」
「馬鹿を言うな。やつが俺に命令することは認めていない」
売り言葉に買い言葉。
互いに好戦的なことを言い合っているうちに、黒い感情が胸のなかに徐々に集まっていくことを自覚した。
ただ戦の気配に血が高揚しているわけではない。
本能のさらに奥の部分で、なにかがヤマトに「戦え」と囁いてくる。
(なんだこの感覚は……?)
得体の知れないモノに感情を支配されることほど、不愉快なことはない。
無意識のうちに、眉間にシワが寄っていく。
「なら、俺をつけていた目的はなんだ」
「大したことではない。クロがやたらと警戒していたから、先に様子を見ておこうと考えただけのこと」
「……ここでやり合うつもりはないと?」
「かもしれんな」
言いながら、ヤマト自身はその言葉を本気にはしていなかった。
戦うつもりがない?
そんなはずがない。本当にただ様子見することだけが目的だったなら、こうも剣呑な気配を振りまいたりはしない。今こうしている間にも、赤鬼からは絶えず鋭い殺気が飛んできているくらいだ。
無意識のうちに、刀の柄に這わせていた手に力がこもる。
そのヤマトの様子を見て、赤鬼は仮面越しでも分かるほどの笑みを浮かべた。
「やる気か?」
「そちらがその気ならば」
「ククッ、それは俺の言葉だがな」
ヤマトに続いて、赤鬼もまた刀に手をかける。
乗り気でないような言葉とは裏腹に、身体から放たれる闘志は格別。口を開いていることのほうが不思議で、むしろ有無を言わさずに斬りかかってくるほうが自然なほどの剣呑さに満ちていた。
じっとりと脂汗がにじんでいく。
『やるの? やるの?』
(うるさい。気が散る)
『いいよやろう、殺っちゃおう。前はあいつ食べられなかったし、私もお腹空いたし』
刀から伝わってくる意思は禍々しさに満ちていたが、赤鬼を相手にする以上は、そのやる気が頼もしくもある。
整息。
この刀をこのまま使っていいのかという逡巡はあったが、ひとまず懸念は脇に置いておく。
(間違いなく難敵。だが倒せたならば、得られるモノも大きいはず)
対するは赤鬼。
クロの側近のひとりであり、刀術の使い手。一筋縄ではいかない難敵だが、クロに近しい立場である以上、ヒカルの行方についても重要な情報を握っているはず。
ほとんど偶然によるものだが、せっかくたぐり寄せたチャンスだ。この機を逃す手はない。
そう自分を納得させてから、ヤマトは刀をわずかに抜いた。