第433話
極彩色の光が、またたく間に流れていく。
自分がどこにいるのか。立っているのか座っているのか。そもそも存在できているのか。そんなことすらも曖昧になる世界のなか、ヤマトの眼には驚くべき光景が映りこんできた。
「なんだあれは……っ!?」
一言で表してしまうならば、地獄絵図。
いかなる現象なのか、空は禍々しく赤黒い光に覆われている。大地には深い亀裂がいくつも刻みこまれ、さらには都市ひとつが丸ごと収まってしまうほどのクレーターまでもができていた。
そして極めつけは、クレーターの奥底で咆哮をあげる“黒い影”。
これまで鬼やら竜やらを嫌というほど見てきたヤマトだったが、その彼からしても、未だかつて出会ったことがないレベルの禍々しさだ。
ただ茫洋と眺めることしかできない。
そんなヤマトの視線の先で、“黒い影”の前へ躍り出た者がひとりいた。
「ヒカル、なのか?」
外見は、確かにヒカルのそれだ。
だがあまりにも気配が異質だった。ヒカルの姿こそしているものの、その中身がまったく別のモノにすげ変わってしまったかのような——、
ぐるぐると思案を空回りさせるヤマトの先で、ヒカルは聖剣を掲げた。
聖剣の刃から放たれたのは、記憶に新しい極彩色の光。
「ヒカル! いったいなにを——」
「——時間遡行」
時間遡行。
その言葉がスッと耳に滑りこんだ瞬間。
再び、視界が極彩色の光で閉ざされた。
名残を惜しむように手を伸ばしながらも、ヤマトの思考は、ヒカルが残していった言葉について考え始める。
(時間遡行。時を遡行する。過去や未来を行き来する、ということか……?)
その疑問に答えてくれる者は、ここにはいない。
悶々とした想いのまま、ただ眼を見開いていることしかできない。そんなヤマトの視界に、今度は色彩を失った写真のような形で、いくつかの光景が浮かびあがった。
空を舞う五体の竜。
悠然と歩を進めるラインハルトの背。
倒れ伏したクロの死骸。
傷ついた赤鬼と青鬼。
そして——不気味に胎動する、刀の煌めき。
「これは……」
理性が落ち着きを取り戻していけば、それにともなって光の奔流も収まっていく。
まぶしさから解放された眼で周囲を確かめれば、すぐ前の記憶にある通り、駅の構内からまだ一歩も出ていない場所だった。
ズキズキと頭の奥が痛んでいるものの、ひとまず五体満足ではあった。
思わず、安堵の息がもれる。
(なんだったんだ、今の光景は)
白昼夢にしては、あまりにも鮮烈な景色だった。
さらに今朝から覚えていた既視感が、これまで以上に強くなっている。
(あそこでヒカルは『時間遡行』と口にしていた。ならばあれは、未来か過去の光景ということになるのか?)
『ボゥッとして、どうしたの?』
どこか夢見心地のままな、浮ついた感覚。
だがそこに童女の——腰もとの妖刀の声が割りこんできたことで、ヤマトは一気に冷や水を浴びせられた。
緩みかけていた緊張の糸を、一気に引き締めなおす。
「……今のは、お前が見せたのか」
『なんのこと? なにか見えたの?』
「なに?」
話が通じていない。
そのことに一瞬だけ首を傾げたヤマトだが、次いで別の可能性を探る。
(干渉されたわけではない。ただのきっかけだったということか?)
先程の光景にもあった、禍々しい意思に目覚めてしまった刀。
その刃に触れ、言葉を交わした。このことがきっかけとなって、いわば封印されていた記憶が解き放たれた?
(そんなことがありえるのか? まだ幻覚だったとしたほうが、納得はしやすいが……)
さらに深く思案の海に沈もうとして。
煩悶とする心を振り払うように、勢いよく首を振った。
『どうしたの?』
「なんでもない」
端的に黙らせつつ、視線は駅の外へ向けた。
先程までは感じられなかったものだ。
いくつもの光景を見せられた影響なのか。今朝からボンヤリとした形でのみ覚えられなかった既視感が、今はよりはっきりと知覚できている。
根拠があるわけではない。だが無視できるほどに軽い感覚でもない。こちらのほうに——“なにか”がある、気がする。
(確かめてみるか?)
ノアが配慮してくれたおかげで、今のヤマトは自由気ままな身だ。
普段ならばためらうだろう軽率な行動も、今ならば気楽にできる。
少し歩いてみて、なにもなければ戻ってくればいい。
そう自分を説得して、爪先を駅の出入り口へ向けたところで。
「———」
『変な感じ。誰かが見ている、のかな?』
誰かに見張られている。
いつから、どこから、なぜ。そうしたことは一切分からないが、ヤマトが外へ出ようとした瞬間に視線が強まったことは間違いない。
(俺を外に出したくないのか。だが、ここではしかけてこない)
『なにこれ。ジロジロ見てきて、気持ち悪い』
監視者の真意はどこにあるのだろう。
容易には答えの出ない疑問が再び浮かぶが、今度はそれに囚われることもなく、意識を現実に引きつけた。
(誘うか)
『やるの? 一緒にやろう!』
依然として幻のなかにいるような曖昧な感覚。
それを払拭する一助になってくれるかもしれない。
そんな打算を胸のなかで組み立てながら、ヤマトは駅から出る足を速めた。