第429話
昼すぎ。
エスト高原駅ではちょうど昼休みに入った刻限だったらしい。ヤマトらが先程まで着席していた食堂に、飢えた兵士たちが殺到していた。
戦場と見間違うほどの熱気に包まれた食堂を尻目に、ヤマトはノアと顔を突き合わせる。
「竜が現れたか……」
先程アナスタシアからもたらされた情報を、口のなかで転がす。眉間に深いシワが刻みこまれ、彼が苦悩していることがひと眼で分かる。
そんなヤマトをおもんばかってか、ノアが伏せ眼気味のまま口を開いた。
「どういうことだと思う?」
「……分からん」
「前にヤマトが竜の里に行ったときの話からすろと、彼らは好んで人の世に介入するような性格じゃないみたいだったよね。世間を疎んじているというよりは、ひたすら傍観に徹しているような」
「そのはずだ」
少なくとも竜の里で出会った『白』に関しては、その傾向が強かった。
彼の興味は里を守ることに集約されており、外界へ向ける意識は希薄そのものだった。魔王軍蜂起に際して竜らが騒ぎたてたのも、必要以上の争乱は避けようとする考えゆえとみていいだろう。
だからこそ、アナスタシアからもたらされた情報には理解が及ばない。
(——いや。だが待てよ)
思考が回転する。
『白』との出会い。そこで交わされた会話と、そして里を襲った悲劇が脳裏によみがえった。
地に倒れる無数の竜の骸と、それらを前にして慟哭した『白』の姿。
「これも報復なのか?」
「報復って……」
数瞬考えたところで、ノアもその答えに行きついたらしい。
「帝国を襲った赤い竜——『赤』と狙いは同じってこと? ここに現れた竜たちの目的は、里を襲ったクロたちへの報復にある」
「かもしれない、というだけだ。だがそんな事情くらいしか、至高の竜が五体も集まる理由にはなるまい?」
「うーん……、情報が少ないからなんともいえないけど……」
曖昧に言葉を濁すが、ノアも積極的に反対するつもりはないらしい。
ややあってから、渋々な様子をよそおって頷いた。
「分かった、とりあえずその線で考えてみよう。どうせ手がかりらしいモノもないことだからね」
「竜がクロらを探しているならば、そう間を空けることなくみつけるはずだ。この地は起伏が少なく、身を隠せるような場所もほとんどない。魔導術であっても、竜らの眼まではあざむけまい」
「だろうね。そしてクロが魔王の皇都脱出を手引きしていたことを考えれば、その近くに魔王が——さらにヒカルもいるかも」
「追う価値はありそうだ」
ようやく掴めた手がかりらしきモノ。
しかしその手応えに頬を緩ませる間もなく、ヤマトは眼を伏せた。
「だが、どうやって竜を追う? 俺たちの足では到底追いつけないぞ」
「そこだよねぇ……」
ヤマトに続いて、ノアも溜め息をひとつ。
当然ながら、人の足で竜を追おうというのは無謀がすぎる。こちらが必死に二足で地を駆ける間に、竜はその何十倍もの速さをもって空を翔けるからだ。
それに、そもそもどのようにして竜の所在を知ればいいのか。
重苦しい沈黙が場に降りる。
「——それについては、俺たちのほうに任せておけ」
「アナスタシア?」
ふいにそれを破ったのは、いつの間にやら再びリリの肉体を借りていたアナスタシアだった。
改めて問いただすよりも早く、アナスタシアは口を開く。
「そもそも竜が集まってるってのを知ったのは、レレイのお手柄なんだ。加護を授かるって形で魔力的なリンクを得たことで、ぼんやりとだが竜の所在を探ることができるらしい」
「加護を……。そうか、それなら確かに魔力をたどっていけば、竜のもとに行くこともできるかも」
「こっちは足で行かなきゃならねぇから、そう簡単に捕まえられるとは思えねえけどな。だが、確実に追うことはできる」
「手助けはいらない?」
「いらねぇな。人数が増えすぎても邪魔なだけだ」
その自信満々な言葉の裏側には、「竜たちのことは俺たちに任せろ」という自負が潜んでいるようにみえる。
感心するような安堵するような吐息がもれる。
「そっか。なら竜のほうはレレイたちに任せるとして、こっちは——」
「帝国軍方面だな」
ノアが力強く頷く。
「帝国本土から突然移送されたらしい大型兵器。今はまだ整備段階みたいだけど、軍の上層部は間違いなく情報を握っている。そこを探れば、もしかしたらヒカルに繋がるかもしれない」
「手立てはあるのか?」
「さてね。通信履歴をたどってみるか、大型兵器ってのを直接確かめてみるか。いっそのこと身分を明かして管理権限を掌握しちゃうか」
そう言って、ノアは黒い笑みを浮かべた。
こうした悪巧みをさせることに関しては、ノアの右に出る者はいない。「ほどほどに」とだけ告げておいて、ヤマトは自分のことに意識を移した。
(俺はどう動くべきか……)
いつもであれば、なにを迷うこともなくノアに追従していたことだろう。
だがヤマトも意識できないほど深いところにいる自我が、「それでいいのか?」と警鐘を鳴らしていた。
胸騒ぎが止まらない。
(なにか見落としていることがあるのか? だがそれらしい心当たりなど——)
妙なほどに落ち着かない心地のまま、何気なく腰もとの刀に触れて。
『——美味しそうな匂いがするよ?』
幻聴か。
延髄にゾッとするほど冷たい手がそえられたような感触とともに、耳もとに童女の声が響いた。
思わず飛び跳ねる。
「———ッ!?」
バクバクと音をたてて心臓が早打ち、冷たい脂汗が止めどなく流れる。
だがそんなヤマトの様子を、ノアとアナスタシアは呆けた面で眺めていた。
「ヤマト?」
「どうした急に」
「………いや……」
(なんだったんだ、今の声は)
いつの間にか冷えきっていた指先をこする。
胸が痛いほどに高鳴る心臓をなだめながら、ヤマトは駅構内を見渡した。
「……大丈夫? どこか体調でも崩した?」
「ケッ。こいつが体調崩すようなやつかよ。どうせタイプの女でもみつけたんだろ」
「いやぁ。ヤマトはそういう人じゃないと思うけど……」
ノアとアナスタシアの会話には一切反応することなく、ひたすら視線をはしらせていく。
特に騒ぎが起きた様子はない。どの兵士も緩んだ顔で料理を頬張り、つかの間の休息を満喫して——、
(いや、違う)
かぶりを振る。
みつけた。
リラックスした雰囲気の兵士たちに混じって、巧妙に隠しながらも、身体のなかから緊張をにじませている者が数名いた。
みたところ、いずれも下級兵ではなく高官ばかり。彼らが振りまいているものは不穏な緊迫感ではなく、むしろ高揚する心を鎮めるような、ほどよい緊張感だ。
「ヤマト? 本当に大丈夫?」
「大丈夫だ。あと少し——」
高官らのなかに、露骨に一点をみつめているような不心得者はいない。
だが逆に、そちらへ眼を向けまいとして死角を作ってしまっていた。
都合五名。それぞれの死角を描き、合わせ、彼らの意識を惹きつけて止まない一点を探る。
「あそこか」
高官らが意識していたモノを発見した。
みたところ、ただの下級兵のようだ。食堂に殺到するようなことはしないながらも、百官店の書籍コーナーをさまよい、休息を満喫しているような風情だが。
眼と眼が合う。
「———っ」
今度は飛び跳ねるような醜態はさらさなかった。
だが代わりに、先程のを倍にしてもたりないほどの脂汗が背に流れる。
緊張で強張るしかできないヤマトの視線の先で、それに気がついた下級兵が、素朴な外見には似合わないほど覇気に満ちた笑みを浮かべた。
ガタリと、腰もとの刀が震えるような感覚。
「ヤマト、本当にどうしたっていうのさ——あれ?」
釘づけになっていたヤマトの視線を追い、ノアも顔をしかめた。
無理もない。
むしろヤマト以上にノアにとって、彼はそうするだけの存在だっただろう。
悠々と歩みを進めてくる下級兵を前に、ノアは衝撃を隠せないままに小さく呟いた。
「ラインハルト、どうしてこんな場所に……!?」