第428話
はるか上空。
地上にはどんよりと曇った姿をみせる灰色の雲を越え、頭上に水晶をいただくところにて。
一頭の白銀の竜が、身をうねらせ、大空を泳ぐように翔けていた。
『………これは……?』
黄金色の眼で、雲の裂け目から地上を見渡す。
獣らしからぬ知性を宿した瞳が映しているものは、生暖かくも穏やかな風に吹かれてたなびく、エスト高原の青々とした光だ。
緑色の輝きを前にして、白銀の竜——至高の一柱たる『白』は、いぶかしげに喉を鳴らした。
『おかしい。確かに“あの方”の力を感じたはずだが……』
そこにある光景が幻ではないかと疑うように、『白』は眼を凝らす。
だが、そうしてみたところで景色が変わるはずもない。結局その景色が現実であると認めたらしい『白』は、雄大な姿はそのままに、物憂げな溜め息をもらした。
そんな『白』に、眼下の雲のなかから声がかけられる。
『そんなに大きな溜め息を吐いて、どうしたの』
『……『黄』か。お前がここまで飛んでくるとは、ずいぶんめずらしいことがあったものだ』
『そう茶化さないでよ』
雲海のなかから、ゆっくりとした動きで黄金色の竜が姿を現した。
『黄』。
『白』と同様、至高の一柱として数えられる存在ではあるが、その性格は真逆。規律規範に縛られることをよしとせず、気のまま自由闊達な日々をすごしている竜だ。
そんな、いつもならば大地の奥底で怠惰に寝ていることを好む『黄』が、この空高くまで飛んできた。
『なにかあったのか?』
食いつくように問いかけた『白』の眼光に、『黄』は呆れた溜め息をもらす。
『あったといえばあったよ。妙にピリピリした友達が、いつもは見向きもしない空に来たんだ。様子を確かめるくらいはするだろ?』
『……つまりは私が原因だと?』
『率直に答えるならね』
グルルと威嚇にも似た唸り声をあげるものの、それが気まずさゆえの冗談にすぎないことはお見通しだったらしい。
『黄』は特にとりあうこともなく、改めて『白』に問うた。
『で? 僕たちの友人であるところの君は、こんな場所でなにをしているのかな』
『それは……』
『バカがつくほど生真面目な君のことだ。それなりに重要なことではあるんだろ? なら、僕たちも手伝えるかもしれない』
その言葉に、『白』は感謝を告げたり質問に答えたりするよりも先に、頭が痛そうな様子で首を振った。
『来たのはお前だけではないようだな、『緑』あたりか?』
『それじゃあ正解とはいえないね。答えは『青』や『赤』も含めた全員だ』
『なんだと?』
答えた『黄』に、『白』は胡乱げな視線を叩きつける。
『やつらには守るべき場所がある。そちらはどうした』
『少し離れたくらいで、どうにかなったりはしないさ。その役目をバカ真面目にこなしていたのは君くらいだよ』
『なんということだ……』
『お説教なら後で『赤』あたりにでもやればいい。それより——』
『黄』の鋭い眼光が、まっすぐに『白』を射抜いた。
『質問の答えがまだだよ。『白』、君はここでなにをしていたんだ?』
『……大したことではない』
『本当に大したことじゃないなら、そんな剣呑な空気は出さないでほしいんだけどね。それに、君の目的は僕らには隠さないといけないことなのかい?』
『そういうことではないがな……』
溜め息をひとつ。
渋々ながらも、『白』は詰問する『黄』に向きなおった。
『このあたりで、“あの方”の力を感じたのだ』
『“あの方”というと——』
ムッとした様子の『白』が口を開くよりも先に、『黄』は答えをみつけたらしい。
『我らが尊い創造主様のことか』
『……あぁ、といっても確たるモノではない。そんな気がしたという程度の話だ』
『君は僕たちのなかで一番、創造主様のことを敬愛していたからね。僕たちには感じられなかったモノを感じたとしても、特別おかしくはないか』
納得する頷きを数回。
そうしてから、『黄』も先程までの『白』と同じように、雲の裂け目から地上を見渡し始めた。
『創造主様の力を感じたはいいものの、それらしい痕跡はまだみつかっていないと』
『不甲斐ないかぎりだ』
『責めているわけじゃないさ』
どこか意気消沈した様子の『白』をなぐさめてから、『黄』は改めて問いかける。
『『白』。もしも創造主様をみつけたとき、君は創造主様になにをするつもりだい?』
『それは……』
『いくら君が敬虔だからって、ただ挨拶をしたいだけではないんだろう? なにか別の目的があるはずだ』
『……そうだな』
ややためらう様子ながら、確かに頷く。
数秒の沈黙。
頭のなかにひしめく思念をなんとか言葉にして、『白』は吐き出した。
『おそらく私は、あの方に問いたいのだ』
『へぇ。なにを聞くつもりだい?』
『我らの使命。世界の行く末。勇者と魔王への沙汰。調停の先になにをみているのか——』
次々に羅列してみせながらも、『白』自身がその言葉に納得しきれていないらしい。
黄金色の瞳を細め、物憂げに溜め息をもらしてみせた。
『……分からぬ。私自身、あの方になにを問わんとしているのか。問うたところで、なにが変わるのかも分からぬ』
『そうと知りながらも、動かないではいられなかったってことか。——変わったね『白』』
『変わった? 私が?』
不本意そうに応じた『白』だったが、『黄』はそれにたじろぐことなく頷いた。
『変わったさ。昔の君なら、そんなふうに創造主様を問いただそうとはしなかったはず。ただ盲目的に、創造主様から与えられた使命に殉じることだけを考えていただろうね』
『………』
『なにが君をそうさせたんだい? 子飼いの竜が殺されたことか、里にいたった人間が現れたことか。それとも、『赤』が人の手によって退けられたことか』
『さあな』
おそらくはその答えも、『白』のなかでは固まっていないのだろう。
苦悶するようにうつむいた『白』をみて、『黄』は愉快そうな笑みをこぼした。
『まあなんでもいいか。『白』のめずらしいワガママだ。どうせだし、僕らもつき合うとしようかな』
『……いいのか?』
『水臭いよ。別に危険なことをするわけでもない。創造主様の痕を探すくらいだったら、いくらでも手を貸すさ』
『助かる』
その何気ない礼すら、『黄』にとっては思いがけない言葉だったのか。
眼を丸くしてからクツクツと笑みをこぼす『黄』に、憮然とした顔で応じながらも。『白』は再び眼下の地上へと視線をはしらせるのだった。