第427話
ヤマトはしばらく兵士たちと言葉を交わしてみたものの、結局、売店にいた兵から聞いた情報以上のものを得ることはできなかった。
少なくない徒労感のままに、思わず溜め息がもれた。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
「む? あぁいや、そういうことではない」
体調を案じるリリの視線に、朗らかに応えてみせた。
こんなに小さな娘に心配されるようでは情けない。気を取りなおして、リリが手にしている買い物袋に視線を下ろした。
ずいぶん楽しげに売店を見ていたわりに、その袋に入っているものはごく少量だ。
「もう買い物はいいのか? もっと買ってもいいんだぞ」
「いいの! あんまりたくさん買っても、持ちきれないでしょ?」
「そうかもしれんが……」
遠慮しているのか。それとも単に無欲なだけなのか。
しばし迷った末に、答えは保留にしておいた。
「分かった。またなにかほしいものができたら言え」
「うん!」
「さて。そろそろノアとも合流しておきたいが——」
言いながら、視線をめぐらせた。
もうずいぶん長いこと、きゃいきゃいとはしゃぎながら買い物をするリリを見ていたからだろう。今さらヤマトが周囲を見渡したところで、それを見とがめる兵士はいなかった。
ヤマトの真似をしてか、リリもキョロキョロと視線をめぐらせる。
そのまま探すこと、しばらく。
(——見つけた)
折り目正しい軍服を着こなす兵士たちに混じって、ノアの姿を発見した。
どこか別のところで会話をしていたのだろうか。見るからに立場の高そうな軍人に、朗らかに手を振って別れを告げている。
眼と眼が合った。
「あ、ヤマト! ごめん待たせた?」
「いや。こちらもちょうど手隙になったところだ」
ノアが小走りに駆け寄ってくる。
その表情をこっそりと窺ってみるが、なにか神妙なモノを秘めている様子はない。むしろ、どこか困惑している様子であった。
首を傾げながら問う。
「なにか話は聞けたか?」
「うーん……。聞けたといえば聞けたんだけど、目当てのモノじゃなかったってところかな。一応ヤマトにも伝えるよ」
「助かる」
「そうと決まれば、軽くお昼でも食べようか。ちょうどいい時間になったみたいだし」
そう言われると、腹が減っているような気がしてきた。
結局、ヒカル捜索の決定打となる情報は得られなかった。となれば、この件は長期戦になると覚悟したほうがいいだろう。
余裕のあるうちに腹も満たしておくべきだ。
ヤマトとノアの会話を聞きつけて、リリが瞳を輝かせる。
「ご飯?」
「うん。どうせならここで食べていこう。レトルトよりはずっと上等なものが食べられるはずだよ」
「やった!」
「ほう」
ノアが立てた指に釣られて、視線を食堂のほうへ向ける。
そちらも百貨店と同じく、いつもは駅勤めの兵士らのために運営されているのだろう。今も仕事がひと段落したらしい兵たちが、緩んだ顔で料理を頬張っていた。
じわりと口のなかにツバが溜まる。
「……そうするか」
「日替わりの一品しか出せないけど、その分だけ手間暇かけて作ってるって話だよ」
「それは楽しみだ」
帝国料理がうまいことは、冒険者時代に食べてきた弁当でよく知っている。辺境の地にあるとはいえ、ここは帝国軍直轄の施設なのだ。自然、そこで出される食事にも期待が高まるというもの。
クルクルと音をたてながら胃が臨戦態勢に入る。
そんなヤマトに笑みをこぼしつつ、ノアは食堂のほうへ足を向けた。
「それじゃあ僕は三人分もらってくるから、ヤマトたちは先に席を取っておいて」
「任された」
そろそろ混雑してくる気配を感じたのか。ノアは足早に受付へと歩いていく。
その背を一瞥してから、ヤマトは隣のリリの手を引いた。
「リリ。俺たちも——」
「お? ずいぶんと女の扱いに手馴れたじゃねぇか」
リリの声でありながら、明らかに異なる口調。
それが耳に届いた瞬間、ギョッとして思わず手を離そうとしてしまった。
「アナスタシア!?」
「おう。情報交換をするためってのと、ちょうど役得にありつけそうな気がしたんでな。こっちに繋いだんだ」
「役得——お前、昼をこっちで食べるつもりか」
「レトルト食品なんてものは食べ飽きたからな。たまには美味いもんを食わねぇと。それより、さっさと席を取ろうぜ」
「あ、あぁ」
言われるがままに、手近な席に腰かけた。
対面にリリ——の肉体に憑いたアナスタシアが腰を下ろす。
情報交換をするため。
その言葉は嘘ではないだろうが、果たして本音なのだろうか。むしろアナスタシアの目当ては、ここで美味い昼食を食べることにある気がするのだが——。
昼食を前にしてはしゃいでいたリリの声が、脳裏をよぎった。
「……本当に食べるのか?」
「あん? 当然だろ」
「そうか……」
申しわけないような、腹立たしいような。それでいて奇妙な納得もできるような。
複雑な心のままに視線をさまよわせれば、対面にいたアナスタシアは大げさに溜め息を吐いた。
「――冗談だよ冗談。本気にするなバカ」
「……は? 冗談?」
「当たり前だろ。こうして会話するくらいなら造作もないが、それでも感覚にズレは生じるんだ。そんな状態で飯食ったところで、楽しくはねぇよ」
「そういうものか」
それならば、それでいいのだが。
今ひとつ釈然としない気持ちのまま口を閉ざしたところで、料理を受け取ったノアが席に近づいてくる。
「お待たせ! 今日のメニューは——」
「おう。さっさと座れよ」
「アナスタシア!? まさかリリの分を食べちゃう気なの? さすがにそれは大人気ないと思うんだけど」
「違うっての!」
「あ、そう? ならいいんだけど」
気安い会話を交わしながら、ノアは皿を配膳する。
ビーフシチュー。それにバゲット。
大陸西部ではかなり一般的なメニューだが、皿から立ちのぼる芳香が、否応なくヤマトの腹を刺激した。
衝動的にスプーンへ伸びそうになった手を、すんでのところで抑える。
「……先に情報交換を済ませるか」
「そうだね。リリをおいて先に食べちゃうわけにもいかないし」
「ちっ。ずいぶんとご機嫌な飯じゃねぇか」
苛立ち混じりの悪態をひとつ。
それでひとまず鬱憤を晴らしたらしいアナスタシアは、気を取りなおして正面を向いた。
ヤマトの隣にノアが腰を下ろす。
「そっちはどんなもんだったよ。なにか有力な手がかりはあったか?」
「微妙なところ。ヤマトにも伝えておこうと思っていたんだけど」
軽い咳払いで、ノアは場の緊張感を整える。
「まずは情報のひとつ目。北地から帝国軍が帰ってきているみたいだよ。新皇帝に即位した姉さんの指示で、北地侵攻はひとまず先送りになったみたい」
「それは俺も聞いたな」
というより、それくらいしか情報が得られなかった。
ヤマトの相づちに、ノアは首肯した。
「これは別に秘匿されてたわけじゃないからね。一般兵でも、耳の早い人だったら知ってておかしくないと思う」
「即位して早々に、侵攻軍の撤退か。ずいぶんと手際がいいじゃねぇか」
「……そうだね。正直、ここまで早く軍が動くとは思っていなかった」
「ふむ?」
今ひとつ話についていけてなかったヤマトに、ノアが補足の説明をはさむ。
「かなり急な代替わりだったから、反対派もたくさんいると思ってたんだよ。そういう連中に足を引っぱられて、姉さんもしばらくは身動きが取れないと予想していたんだ」
「時間から察するに、即位直後に通達したみたいだな。反対派が気づく暇もなかったのか。それとも誰にも反対させなかったのか」
いずれにしても、新皇帝フランがやったことは尋常ではない。
ようやくそれに理解が及んだヤマトは、軽く顔をしかめながら問いかけた。
「帝国の動きか。問題になりそうか?」
「……それに関係するのが、情報ふたつ目。こっちはひとつ目と違って極秘扱いだったから、言いふらさないように気をつけてね」
そう前置きしてから、ノアは話し始めた。
「昨晩、この駅に帝国本土から大型兵器が搬送されたみたい。なにに使うのかは士官にも知らされてない。ただいつでも使えるように整えておけって命令が、軍上層部から下されたみたい」
「大型兵器?」
「その正体までは僕も聞き出せなかった。ただ末端の兵に混乱がないところを考えれば、候補はある程度までしぼれる」
言いながら、ノアは指をふたつ立てる。
「ひとつは大型魔導砲。スペックこそ桁違いでも運用方法は同じだから、特に混乱なく運用できる。もうひとつは自律兵器。起動さえすれば勝手に作戦行動に入るって意味で、兵には知らせる必要すらない」
「魔導砲か、自律兵器か」
「どちらにせよ、なにに使うつもりなのかって疑問はあるけど」
ノアの言葉に頷く。
魔導砲にせよ自律兵器にせよ。そこに武器を持ちこんだならば、当然その先には、なにかを攻撃することが想定されている。
帝国軍が、ひそかに脅威になるかもしれないモノを発見している?
「……調べる価値はありそうだな」
「直接聞き出せることはもうないから、あとは尾行するとかになるね。——以上が、僕がここで調べた情報」
「助かった。想定以上だぜこれは」
満足気にアナスタシアが頷く。
「お前もなにか掴んだか?」と問う視線がアナスタシアから向けられたが、無言のまま首を横に振った。
「なら次は俺たちのほうだな」
「魔王の痕跡は見つかった?」
「それらしきモノは。ってくらいだな」
口ぶりから察するに、まだまだ手がかりとするには曖昧なモノばかりなのだろう。
わずかに落胆の色をのぞかせたノアに、アナスタシアはにやりと笑みを浮かべた。
「だが、もうひとつデカいモノは見つけたぜ」
「……というと?」
「竜だ」
言われたことが、即座に理解できなかった。
ややあってから脳の理解が追いついたところで、ヤマトとノアは同時に顔をしかめる。
「竜?」
「おう。それも一体だけじゃねぇ。レレイによれば全部で五体の竜が、なにかを探すように上空を飛んでるって話だ」
「それって——」
明らかに尋常ではない。
にわかに変わり始めた空気を前にして、ヤマトは空腹も忘れ、ごくりと乾いた喉をツバで湿らせた。