第426話
ヒカルと魔王の痕跡を探そうとするリーシャたちと別れて、一時間ほどが経った頃合い。
ノアとリリとともに草原を歩き続けたヤマトの前には、一見して昨日と同じ雰囲気のエスト高原駅があった。
「わぁ……っ!」
帝都から出立して以来の、巨大な建物。そのなかで忙しく動き回る人々の熱気。
それらを目の当たりにしたリリが、無邪気に歓声をあげる。
「大きいね!」
「ただの終着駅ってだけじゃなくて、辺境調査の拠点としても使われる場所だからね。そこらへんの駅よりもずっと設備は整っているよ。もっとも民間人が訪れることはあまりないから、機能性重視で色気のない作りにはなっているけど——」
「………?」
「あー……、そうだね。ここは大きいね」
詳しい説明をしようと試みたノアだったが、リリがほとんど理解できていないことを察したのだろう。
なにかうまい言い方はないかと模索するも、やがて疲れたように溜め息をもらし、首を横に振る。
だがその程度の言葉であっても——むしろ簡素な言葉であったほうが、リリの耳には聞こえがよかったらしい。華やぐような笑みを浮かべ、再び視線を駅のほうへと向けた。
「……引き受けなければよかった」
ボソリとこぼされた、ノアの愚痴。
それを偶然聞きとめたヤマトは、そのまま眼をノアへと向けた。
「後悔しているのか」
「正直ね。子供の相手ってどうにも得意じゃないんだよ」
「……意外だな」
「そう?」
ヤマトのなかにあるノアへのイメージは、どんな相手であってもうまく会話ができるというものだ。卓越した対話能力といってもいいだろう。
リリは魔族——をモデルとしたホムンクルス——とはいえ、その言動は一般的な少女そのもの。権謀術数をめぐらし、腹のうちでなにを考えているかも分からない狸親父を相手にするよりは、はるかにマシだと思っていたのだが。
心外だと言うように、ノアは溜め息をもらす。
「子供って話が通じないからさ。ただ言葉が通じない異国の人間ともまるで違う。ごくごく自然の倫理観が欠けていたり、常識がなかったり、そもそも論理を通すことができなかったりで、住んでいる世界が違うんだよ。ちゃんと話そうとしたら、その子供が作ってる世界を理解しないといけない」
「……子供の世界か」
「そんなの、生まれたときから一緒にいる親でもなければ無理でしょ。子供がなにを考えているのか、どうすれば喜ぶのかが分からない。だから苦手」
「深く考えすぎだとは思うが」
「だろうね」
呆れた心地のままに呟くが、同時に得心した。
なるほど、確かにノアは子供が苦手らしい。その理屈の是非がどうであれ、そんな話をぐだぐだと並べてしまう時点で、無邪気な子供には敬遠されることだろう。
ならば、リリの引率はヤマトが請け負ったほうがいいのだろうが。
(かといって、俺も特別子供が得意なわけでもないからな……)
子供なんてものは、適当に愛嬌を振りまいておけばいいものだ。
だがあいにくとヤマトは、自覚できてしまうほどの無愛想な男である。なついてくれた幼子といえば、成長する前の妹ハナや、なにを考えているのか今ひとつ分からない極東の少女ホタルくらいだ。
実績というには、あまりにも心もとない。
「だが、やるしかない」
深呼吸をひとつ。
なんとかして笑顔を浮かべようと頬を引きつらせて——すぐに諦めた。
(下手な作り笑いなどしたところで、気味悪いだけか)
愛嬌などというものは、ヤマトとともに来てしまった時点で諦めてもらうしかない。
無愛想な顔のまま、ポカンと口を開けて駅を見ていたリリの手を握る。
「ふぇ?」
「なかに入るぞ。フードは外すな、正体が知られれば面倒なことになる」
「——分かった!」
元気のいい声とともに、リリはすっぽりと外套のフードをかぶった。
魔族とはいっても、せいぜい肌が黒っぽい程度。長袖やフードで素肌を隠してしまった以上、今のリリが魔族であると見抜ける者もそうはいまい。
そう己に言い聞かせていたヤマトに、どこか笑みをたたえたノアが近づいてきた。
「いいじゃん。案外似合ってるよ、そういう姿も」
「どういうことだ」
「お父さんみたいってこと」
口がへの字に曲がった。
これでも二十歳をようやく越したばかりの若輩の身だ。子持ちが似合っていると褒められたところで、素直には喜びがたい。
今ひとつノアの言葉が理解できていないらしいリリを放っておいて、ヤマトは話題をそらした。
「そっちはどうする。ついてくるか?」
「まさか。せっかくヤマトがリリを引き受けてくれるんだから、僕は僕のほうで自由に動かせてもらうよ。うまいこと身分を使えば、詳しい情報も手に入れられそうだし」
「そうか」
どうせならノアも道連れにしてやろうという目論見が外れた悔しさ半分、きっと有益な情報を掴んでくるに違いないという頼もしさ半分。
結果として小さく頷くだけに留まったヤマトの答えに、ノアはにやりと笑みを浮かべた。
「そっちも頑張ってよね。無害そうな子連れ相手だと、意外と口が軽くなる人も多いし」
「……善処しよう」
「頼りない返事だなぁ」
やれやれと溜め息をもらしつつ。「お先に」とばかりに、ノアは小走りで駅へと走っていった。
その背を何気なく見送ったヤマトだが、隣のリリが、どこか羨ましそうな眼でノアを見つめていたことに気づく。
「あー……、俺たちも行くか」
「———! うん!」
早速、駅のなかへ足を踏み入れた。
まず眼に飛びこんでくるのは、奥で静かにたたずんでいる魔導列車だろう。大陸横断鉄道の終着駅であるここには、長旅の果て、いくつもの汚れを浮かべた列車がやってくる。その姿にひと仕事終えた達成感が満ちているようにみえるのは、果たして錯覚だろうか。
次いで眼を惹くのは、どこか呑気な雰囲気をただよわせる帝国兵たち。
(相変わらず呑気なものだ)
仕方ないのかもしれないが、帝都を警備する兵たちとは雲泥の差だ。
辺境であるがゆえに重要度も低く、また是が非でも守らなければならないモノも特にない。そんな地にあっては、屈強な兵であろうとも緊張感が緩んでしまうことだろう。
現に突然現れたヤマトとリリに対して、いぶかしげな視線を向けてはいても、警戒するような者はほとんどいない。
とりあえず物々しい雰囲気でないことに安堵してから、ヤマトはリリをうながした。
「どこから回りたい?」
「うーんとね、お店! お買い物してみたい!」
「買い物か」
北地という環境な地で暮らしてきたリリにとって、それは縁遠いものだったはずだ。
帝国で生活するうちにそのことを知ってからというもの、彼女にとってはひそかな憧れだったに違いない。
ぐるりと見渡し、視線を一点で止めてから頷く。
「ならばあそこだな。ついて来い」
「うん!」
リリの手を引き、さっさと構内を歩き抜けた。
百貨店というべきだろうか。
帝国軍によって運営されているその店には、ごくまれに訪れる旅人や暇に耐えかねた兵らが手軽に利用できるよう、様々なものがまとめて陳列されている。
一つひとつの数量こそ少ないが、品数については帝都でもなかなかみられないほどに豊富だ。
「わぁ……!」
「好きにみてきていいぞ」
「いいの!?」
「満足したらなにを選んだか教えろ。値段次第だが、まあ買えなくはないはずだ」
懐が温かいとはとてもいえない財布事情だが、子供のほしがるモノを買うくらいはできるはず。できなければ情けない。
そんな思いから出た言葉は、リリにとっては福音に等しかったようだ。
「ありがとう! 行ってきます!」
「おう」
弾かれたように駆けだす背を見送る。
ふと、近くにいた店番の兵がほほえましそうな顔をしていることに気がついた。
「……なにか」
「これは失礼しました。お子様が来店されるのはめずらしいものですから、つい」
「責めているわけではない」
こみあげる気恥ずかしさを押し殺し、軽く咳払いをする。
そんなヤマトの内心に気づいてか気づいていないのか。呑気な笑顔を浮かべた兵士はそのまま、いくつもの商品を前にして眼を回しているリリに視線を向け続けた。
「あなたの娘さんですか?」
「いや、親戚のな」
「あぁ道理で、親子にしては歳が近いと思っていました。こちらへはどういったご用件で?」
「旅行だ」
言ってしまってから、それが失言だったことに気がつく。
つい先日まで戦場だった場所に、子供連れで旅行? そんなもの、ワケありだと自白してしまっているようなものではないか。
思わず脂汗をにじませたヤマトに対して、帝国兵はなんとも呑気な声をもらした。
「旅行ですか。ここらへんの景色は雄大ですからねぇ」
「……あぁ。ひと眼だけでも見ておきたいと、そう思ってな」
「いいと思いますよ。私もかれこれ数ヶ月はここに勤務しているのですが、景色には毎朝驚かされていますからね」
「そういうものか」
疑ってない——正気か?
勘ぐる視線を向けたくなるが、すんでのところで堪えた。藪を突いて蛇を出すような真似は避けたい。
代わりに、ここへ来た本題について問うことにした。
「ここらでなにか変わったことはないか?」
「変わったことですか?」
「あぁ、なんでもいい。……あの娘に話すネタにもなるからな」
「そういうことでしたか」
慌てて補足した言葉に、兵は朗らかに笑ってみせる。
「あと数日ほどした頃に、北へ派遣されていた部隊が帰還されるそうですよ。本国にいらっしゃる新皇帝陛下が命じられたとのことで」
「ほう? 初耳だな」
「急に決まったことらしいですから。おかげで戦争が短くなったと思えば、少し喜ばしい気もしますよね」
「戦いには反対だったのか?」
「どうでしょう。反対ではありませんでしたが、賛成というわけでもありませんでしたね。一応兵士をやってますが、戦地に行くのは嫌だったので」
「なるほど」
辺境に飛ばされる不良兵士らしい言葉だ。
だが彼を嘲笑うようなことはせず、ヤマトはいたって神妙に頷いてみせた。
「戦とはろくでもないモノだ。関わらずに済むなら、関わらないほうがいいだろう」
「本当ですよ。こうしてのんびり見張りしていれば給料もらえると思ったから兵士やってるのに、戦だなんて」
言ってしまってから、それが問題発言だったことに気づいたのだろう。
焦った表情で兵士はヤマトの顔色を窺う。
「あの、今言ったことは——」
「安心しろ。誰かに言いふらしたりはしない」
「そ、そうですか? よかった……」
安堵したように溜め息をもらした兵士に、ヤマトは深い感謝とともに頷いてみせた。
ここで得られた収穫は大きい。
新皇帝フランがどうやら反戦派のままでいることと、その方針を現場の兵士は歓迎していること。そして、北地に向けられていた軍が撤退していること。
それらが示すモノは、北地に迫っていた危機が遠ざかったという事実に他ならない。
(とはいっても、まだ予断を許さない状況ではあるが——)
ひとまず、吉報であることに違いはない。
そう自分に言い聞かせたヤマトは、肩の荷がひとつ降りたことにホッと息を吐いた。