第421話
極彩色の光のなかへ飲みこまれる。
すぐ眼前にまで迫っていた黒いスライム、離れてもなお圧倒的な威風を放っていたラインハルト、慌てた様子で駆け寄ろうとしていた仲間たち。
それらすべての気配がはるか遠くへと追いやられ、ヒカルだけを残して世界が消え失せてしまったかのような錯覚を覚えさせる。
「これは——」
『時間遡行です』
戸惑いのままに声をあげれば、それに答えるモノがひとつ。
先程からヒカルの内部に巣喰い、勇者の権能を好き勝手にいじっていた存在だ。
彼あるいは彼女への警戒心を強めながら、ヒカルはその声に耳をそばたてる。
「時間遡行? 時間を巻き戻す——過去に行こうっていうことか」
『肯定します。現時点の状況を分析した結果、目的達成にはきわめて大きな障害があると判定されました。よって、いちど過去に戻ることで状況改善を試みます』
「目的に、障害? ちゃんと全部説明してくれないと協力も何もできないよ」
暗に、事情すべてを話さなければ協力はしないぞと脅してみる。
それがどれほどの効果があったのか。だが無機質な声の主は、ひとまず説明する気にはなってくれたようだった。
『解答。私に設定された目的は“人類を進化させること”にあります』
「人類の進化? 遺伝子でもいじろうってこと?」
『否定します。設定者は、私が設計するレベルを越えた進化を望まれました』
「設定者っていうのは——」
『その件に関する解答は許可されていません』
思わず溜め息がもれそうになる。
だが、本来ならば得難い情報を前にしていることは確かなのだ。気をぬけばこぼれそうになる悪態をぐっとこらえ、ヒカルは質問を続けた。
「……それじゃあ障害ってほうは?」
『解答。現地名称:エスト高原に大きな力が集まったことにより、星の均衡が崩れていました。名称:勇者に干渉することで事態解決を試みましたが、種族名:スライムのイレギュラーが介入したことにより、目標達成が困難になったと判定しました』
「だから、時間を巻き戻して解決しようってこと?」
『肯定します』
「そんな——!」
今度こそ、溜め息をこらえることができなかった。
「無茶苦茶だよ。そっちの都合でいきなり時間を戻して、これまでのことをなかったことにしようだなんて。横暴がすぎる」
『発言が理解できません。時間遡行にともない、記憶の蓄積もリセットされます』
「どうせ誰も覚えていないから、好きにやっていいってこと? そんな理屈に納得できると思う?」
『なにか問題点がありましたか? 時間遡行にともなう消費エネルギーは、過去に蓄積された分で補填可能です。あなたが消耗するものはありません』
「そういうことじゃない……」
もはや溜め息すら出なかった。
薄々勘づいてはいた。だが、あえて考えないようにしていたのだ。
勇者の権能を強化してみせたり、ヒカルの身体を無理矢理に動かしたりと、確かに“それ”は途方もない力を持っている。理解が及ばないほどに超常の力は、ともすれば神とよばれるほどのものだろう。
だが、そこには本来あるべき道理がない。
ただ己の目的——いわく設定された目的を達成することだけを優先し、通さなければならない道理をまるごと無視してしまっているのだ。
世が世ならば。“それ”が公に出たならば、邪神と名づけられても不思議ではない。
(私はこいつと相容れない……!)
確信する。
勇者としての責任感ゆえではない。ただのヒカルとして、その声が告げる内容にはどうしても納得できなかった。
今はまだそのときでないとしても、いずれは袂を分かつことになる。
心のなかで身構えながら、ヒカルは周囲の極彩色の光を睨めつけた。
「……ひとまず、話は理解した。それで、時間遡行をしてからどうしようっていうの」
『時間遡行に合意いただけたということでしょうか』
「いいから」
返答はごまかして、無理矢理に話を続ける。
『具体的には、あの場に居合わせたことで星を割る要因となったモノの排除を行います』
「星を……っ」
星を割る。
その言葉にひやりと肝が冷えたが、言わんとすることはヒカルにも理解できた。
暴走した魔王に、それと釣り合うよう権能を強化された勇者ヒカル。さらにどこからともなく現れた五体の竜と、圧倒的な火力をもっていちどは場を制圧した帝国軍。そして、土壇場まで潜伏していた黒いスライム。
並べただけで目眩がしてくるような、すさまじい面々だ。彼ら同時に同じ場所で争い始めたならば、それこそ星が割れるような被害が出てもおかしくないだろう。
(だけど、それを排除するってことは——)
黙りこんだヒカルの内心をどう分析したのか。無機質な声は、さらに言葉を重ねた。
『今回の件における問題点は、名称:魔王の権能が大幅に強化されたところにあると分析されました。よって時間遡行をしたのち、魔王が強化される前に討滅することが推奨されます』
「暴走するよりも先に、魔王を倒せってことか」
『肯定します。時間遡行を経たのちでも、あなたの権能は強化された状態が保たれます。覚醒前の魔王を討滅することは容易であると推測されます』
「かもね」
そのこと自体に、ヒカルは異論を唱えるつもりはなかった。
もとより魔王は倒さなければならない相手なのだ。それが多少早くなったところで、特に困ることはない。
ひとつ頷くが、まだ疑問は残っている。
「あそこにいたのは魔王だけじゃなかったよね。五体の竜に、騒ぎを聞きつけた帝国軍もいた」
『解答。両名ともにあなたと魔王の戦闘を確認したのちに現れました。よって戦闘を小規模にとどめることができれば、出現しないものと想定されます。スライムについても同様でしょう』
「なら、いいけど」
暴走前の魔王ならば、たやすく屠れる。
その戦いを静かに手早く済ませられたならば、五体の竜も帝国軍も現れる心配はない。
(それが終われば、あとの敵は——)
目的が達成されたと悦に入っているだろう、無機質な声の主だけ。
どこにいるのか。どうすれば攻撃できるのか。
それらに見当はつかないが、こうして会話ができている以上は、なにかしらの手立てもあるはず。
ひそかな敵意を隠しつつ、ヒカルは小さく頷いた。
「ここまで来た以上、どうせ後戻りはできないんでしょ? なら、やるしかない」
『合意を確認しました。これより、時間遡行の最終フェイズに入ります』
ただ流れるばかりだった極彩色の光が、途端にぐにゃりとゆがみ始める。
時間遡行が完了するのだろう。光越しに、まだ穏やかだった頃の夜空が見えてきた。
『——完了しました。約二四時間の遡行を行いました。これより現界します』
「分かった」
二四時間前。
ちょうどエスト高原に到着し、先行して駅へ向かったヤマトたちの帰りを待っている頃合いだろうか。
どこかなつかしくも思える光景を脳裏に描きながら、ヒカルは極彩色の風景から抜け、エスト高原へと降りたった。