表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
海洋諸国アルス編
42/462

第42話

 ほんの一瞬前までは夜闇の中で寝静まっていたアルスの街が、今や大騒動の渦中にある。

 苛立つ心を懸命に宥め落ち着かせながら、グランツは早足で屋敷の廊下を歩いていた。


(いくら何でも早すぎる! 奴らは私を切り捨てるつもりですか!?)


 横目で壁の時計を見やれば、夜の零時は既に越していることが分かる。クロと会った時点から二日後――すなわち今日に襲撃は決行されるとは聞いていたが、まさか日付が切り替わった瞬間に始めるとは。


(契約書でも作っておくべきでしたね……!)


 唐突すぎる話の転換で、その発想に至らなかった自分を恨む。

 口約束のままでならば、容易に粗を突くことが可能だ。だからこそ、商人として名を馳せるようになってから、グランツは商談に契約書を作成することを習慣としていた。今回ばかりは、それを『海鳥』に利用されて悪い方向に出てしまったが、契約書はいつもグランツの身を助けてきた。


「これも一つの教訓、としておきましょうか……」

「グランツ様?」


 訝しげに目を向けるロイには応えないまま、グランツは足を進める。

 やって来たのは執務室の前だ。そのドアノブを握り、軽く回す。鍵はかかっていない。


(やはり忍び込まれましたか)


 グランツは極端な秘密主義者だ。ゆえに、極力自分の周囲に部外者を近づけようとせず、また人を信じようとしない。信じられるものは、己と金、そして契約だけ。

 執務室には、グランツだけが入室することができる。特性の鍵を設け、それを持っているのはグランツだけ。クロのように不可思議な力を使わない限りは、とても忍び込めない場所にしていたはずだ。それを破るだけのピッキング技術を有していたとは。


「腐っても『海鳥』の後継者ですか」

「……申し訳ありません」


 妹の蛮行に、ロイが頭を下げる。

 それに鼻を鳴らして応えながら、グランツは扉を開ける。盗みに入られたにしては、まったくものが散らかっていない。そこら辺は律儀と言うべきか。


「あなたはそこで追手を喰い止めなさい。必要なものをまとめたら、私も出ます」

「分かりました。お任せください」


 礼をするロイに見向きもしないまま、グランツは執務室へ身を滑り込ませる。

 照明のスイッチを切り替え、光が部屋を照らす。室内に誰もいないことを何度も確認してから、グランツは深く溜め息をついた。


「ままなりませんね、まったく」


 全身から滲み出る脂汗が気持ち悪い。

 この屋敷に揃えているのは、全員――ロイも含めて、グランツが契約によって縛りつけている兵たちだ。その性根にグランツは一切の興味を持っていない。ただリスクとリターンの兼ね合いによってのみ、従わせている連中。だからこそ、『海鳥』の言葉で容易に裏切りかねない。人は感情的な生き物だ。

 絶体絶命の危機。誰を頼ることもできない。いっそのこと、このまま窓から抜け出して、夜闇に紛れて海に逃れた方がいい気すらしてくる。


「――それは違いますね」


 ずいぶんと弱気になっていたようだ。

 小刻みに震えていた手を押さえ込む。心臓の鼓動を意識して、何とか思考を落ち着かせる。

 元々、自分はどのようにアルスで成り上がったのか。どのようにしてアルスを支配したのか。


「全ては金です」


 金。

 何も知らない者から見れば、それは不可思議な紋様が描かれた紙であったり、やたら細かな細工のされた金属板でしかないもの。だが、価値を知る者同士であれば、それは大きく意味合いを変化させる。

 金は人の欲望と直結している。長期的な損得のみならず、短絡的に人の情を動かすことができる、至高の力だ。

 小声で呟きながら、グランツは執務室の床に作らせた隠し扉を開く。


「ここは無事でしたか……」


 隠し扉の先には金庫が一つ。

 グランツがようやく抱えられるほどの金庫の中には、既にグランツも数え切れないほどの金貨が詰まっていた。貧乏人が中を見てしまえば、その金色の光で目が眩んでしまうのではないだろうか。

 自分の栄誉の象徴。これを見るたびに、グランツは自信を取り戻すことができる。金によって人を操れるのだと、強く確信することができる。


「大丈夫だ、私はやれる、私はやれる、私は――」


 目を閉じ、自分に言い聞かせながら金貨を触れる。

 幾度となく触れたことのある貨幣の感触に、徐々に心臓の鼓動が収まっていく。


(この金と、契約書を幾つか。それさえ持ち出せれば、どこへ行こうとも再起は可能だ)


 つまりは、ここが正念場。

 失敗することは許されない。信じられるのは自分だけ。勝利に必要最低限のものだけを割り出し、それ以外は切り捨てる。


「………よし」


 覚悟は定まった。

 頭の回転はかつてないほどに速い。山積みになった書類の中から必要なものだけを抜き取る。その最中にも、思考はこれからの行動について検討を進める。

 結論。


「今のままでは、確実な脱出は見込めない」


 ならば、どうするか。現状を変える切り札を得る他あるまい。

 机の上に置いた通信用魔導具を起動する。繋ぐ先は既に決まっている。


『はい? どちら様ですか?』

「申し訳ありませんが、時間がありません。手早くお願いしますよ、クロさん」

『あらグランツさんでしたか。どうしました?』


 何を白々しい、と頭が煮えたぎりそうになるが、必死に冷却する。今は取り乱している時間も惜しい。


「予定よりもだいぶ早い行動だったことは、ひとまず目をつぶりましょう。それはともかく――」

『はい? 何のことです?』


 クロの言葉に、グランツは一瞬だけ言葉に詰まる。


「何のこと? 竜がアルスを襲撃していることです! おかげで私の計画も狂っていますよ」

『いやいやご冗談を。まだ行動させていませんよ』


 クロが何を言っているのかが、理解できなかった。


『せっかくですし時間もお伝えしましょうか。竜の攻撃は陽の出と同時に行います。それまでに何とかアルスを抜け出してくださいね?』

「そんな、馬鹿な……」

『まあそうですね。何か被害があったとしたら、竜が身動ぎしたくらいじゃないですか? いい加減、あの竜も焦れているみたいですし』


 本格的な攻撃はこれからということ。

 それに思わず視界が眩みそうになるが、すぐに取り直す。


「……それならそれで構いません。どうせやるならば、派手にやってほしいものですね」

『おや? いいのですか?』

「構いませんとも」


 グランツの財産――長い時間をかけて作り上げてきたアルスの街も、既に捨てる覚悟は固めた。

 どうにかして魔王軍の攻撃から守るつもりではあったが、今の状況はそれを許してくれない。下手に未練を残しては、グランツ自身の身が危ない。

 そんなグランツの覚悟を悟ったのか、クロの声の調子が少しだけ変化する。


『なるほど。それで、私に連絡したのはなぜですか? ただ文句を言うためではないのでしょう?』

「無論です」


 応えながら、グランツは扉の外を見やる。

 荒々しい足音が扉の奥から漏れ聞こえている。『海鳥』の連中が早くも到着したらしい。ロイがどれだけ彼らを喰い止められるかは分からないが、あまり期待はしない方がいいだろう。

 怖気づきそうになる心を奮い立たせて、グランツは通信先のクロに告げる。


「機関が開発した試作品があると言っていたでしょう。至急こちらへ」

『――へぇ?』


 リスクは大きい。だが、乗り越えられたならば、その先に勝利が待っている。


『何に使うつもりですか? リスクは重ねて申し上げたはずですけど』

「あなたには関係ありません」

『クフフッ! それはごもっともですね!』


 楽しげに笑うクロに、グランツは沈黙を保つ。


『まあ構いませんとも。サンプルはまだまだたくさんありますからね!』

「どのくらいかかりそうだ」

「すぐですよ」


 グランツの耳が、クロの肉声を捉える。

 すぐさまそちらの方へ視線を転じれば、執務室の片隅に影のように佇むクロの姿があった。


「はい、こちらがその品です。そして、こちらが契約書」


 グランツの流儀に合わせてか、クロはわざわざ契約書を持ち込んできたらしい。

 鼻を鳴らしながらそれを受け取り、グランツは即座に目を通す。


「サンプルは無償提供する代わりに、それによる損害賠償は一切認めない契約です。経過観察はこちらが勝手に行いますから、そちらが配慮する必要はありません」

「そうですか」


 クロから手渡されたのは、真紅の宝石だ。

 見ていると思わず吸い込まれそうになるほどに、透明度の高い紅色。何も知らない者にならば高く売れそうだが、グランツからすれば、その美しさを楽しむことはできそうにない。


「欲望を力に変える魔導具、ですか」

「原理は私にもさっぱり分かりませんでしたけど」


 だが、結果がもたらされるならば今はいい。

 宝石を握り締めて、グランツは暗い笑みを浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ