第417話
「これは……!?」
ヤマトたちがそこへ到着したとき、すでにそこは混沌極まる戦場となっていた。
空には五色の竜が舞い、極彩色の炎を眼下へと叩きつけている。ふいに急降下しては振るわれる爪と牙により、大地に深々と傷痕が残されている始末だ。
そして彼らの視線を一身に集めているのが、ヤマトたちが眺めている今なお熾烈な戦いを繰り広げている、勇者ヒカルと異形——おそらくは変異した魔王の二人だ。
「よかった。なんとか間に合ったみたい」
「あぁ。だがこれは……」
無邪気に喜びの声をあげたリーシャに対して、レレイはあくまでも冷静に眼を細める。
彼女の視線の先にいるのは、天を翔ける竜たちだ。竜に縁のある彼女としては、どうしても彼らを見過ごすわけにはいかなかったのだろう。
じっと黙したまま何事かを考えこんでいたレレイは、やがて眉間にシワを寄せた。
「このままだとマズいな」
「マズいって、何が——」
「被害が大きすぎるんだよ。至高の竜たちに勇者と魔王、そんな連中が暴れまわっても無事でいられるほど、大地ってやつは頑丈じゃない」
言葉を引き継いだノアに、レレイも同意の首肯をする。
その言葉のさらなる真意をくめなかったヤマトは、小さく首を傾げた。
「ここが不毛の大地になるということか」
「それだけなら、まだ救いようはある。問題なのは、ここからさらに激しい戦いになったときかな」
言いながら、ノアは地面のえぐられた痕のひとつを指差した。
「たとえばあそこ。ヤマトは分からないかもしれないけど、あそこから大量の魔力があふれ出ているんだ。人がどうこうできるレベルじゃない、すごい量のね」
「魔力が?」
「魔力っていうのは少量なら、生命を活性化する役割も担ってくれる。だけど、それがあまりにも多かったときには——」
ノアが爪先で地面をこすった。
「ここみたいに、生命を根こそぎ死滅させちゃう。どんなに豊かな場所でも、雑草ひとつ生えないような場所になっちゃうんだよ」
「それは……」
「ことがこのエスト高原だけで留まるなら、問題はそう大きくない。だけどこのまま大陸全域に広がるようなことになれば」
大陸全土が、不毛の大地になる。
それがどれほどの問題であるかは、改めて論じるまでもないだろう。
改めて危機感を募らせたヤマトだったが、やがてここへ来た本来の目的を思い出す。
「そうだ、ヒカルは——」
熾烈な戦いを繰り広げるヒカルと魔王とを見やり、思わず眼を細めた。
(なんだあれは。あれは本当にヒカルなのか?)
異形と化した魔王が理性を失っていることは、もはや疑うまでもない。ヤマトの眼でも追い切れないほどの速度で駆け回る魔王の姿は、もともとの毅然とした王の片鱗はどこにもなく、ただひたすらに暴走する獣のような有り様だった。
一方でそれに相対するヒカルのほうも、どうやら尋常な様子ではない。
「ねぇヤマト。あれって……」
「忘我の極地に至った、というわけではなさそうだ」
戦いのなかで壊されてしまったのだろうか。鉄仮面を失いながらも戦い続けるヒカルは、遠目では聖剣の神々しい光が相まって、誰もが思い描く勇者のごとき姿をしていた。
だが、あまりにも眼が虚ろにすぎる。
(何が起きた。あれでは、ヒカルの意識も残っているかどうか)
ヤマトの眼に、あれがヒカルでないことは明らかに映った。
良くも悪くもヒカルは情に篤い人間だ。それは日頃の言動のみならず、彼女の戦いぶりにも色濃く反映されている。そのときそのときの感情が映し出されるヒカルの刃は、彼女が勇者であることを何よりも鮮明に表しているようだった。
だが今のヒカルには、それがない。
(極限まで理を詰めた刃だ。数手先数十手先までを読み切り、その最適解をひたすらに繰り返すばかりの機械じみた刃)
それが、ひとつの武の極地であることに違いない。
だがあまりにもヤマトの知るヒカルとかけ離れていることも、確かな事実だった。
ヒカルの姿形をしていても、“あれ”はヒカルではない。
そう確信したのと同時に——研ぎ澄まされたヤマトの感覚が、ゆっくりと近づいてくる誰かの気配を感知した。
「誰だ」
「………っ⁉︎」
ヤマトに一瞬遅れて、ノアたちも接近者の気配に勘づく。
だが全員が戦闘態勢を整えるよりも先に、その接近者は堂々と姿をさらした。
現れたのは、金髪の童女。
「俺だよ。お前たちが来るのが見えたからな、こっちに合流したんだ」
「アナスタシア……」
ほっと安堵するにノアは溜め息をもらす。
「無事だったんだ」
「どさくさに紛れて隠れて、なんとかな。それよりもとっとと状況を整理するぞ」
アナスタシアはめずらしく切羽詰まった様子だったが、今の状況を考えれば、無理ないのかもしれない。
「ヒカルとともにいたのに何をしていたのか」。
そう問い詰めようとしていたらしいリーシャたちは、だがアナスタシアの憔悴した面持ちを前にして、ひとまず口を閉ざした。
「はっきり言えば、今の状況は最悪一歩手前だ。かろうじて詰みにはなってないものの、いつ詰んでもおかしくない」
「というと?」
「これが、クロがいじらしく作りあげた大舞台ってことだよ」
クロが作りあげた舞台。
その言葉に、ヤマトたちはそろって眼を鋭くさせた。
「詳しく——」
「そこから先は、せっかくですから私からお話ししますよ」
ふいに差しこまれた声。
そちらへ視線を向けたヤマトたちは、そこに立っている者を見て戦意を昂らせ——その状態をみて、困惑に目尻を落とした。
「クロ……?」
「皆さんおそろいのようですが、彼らはどうにか仕事を果たしてくれたみたいですねぇ。また会ったら労わないと」
見間違えるはずがない、クロだ。
これまでも幾度となくヤマトたちの前に立ちはだかり、謎めいた言葉ばかりを残しては立ち去っていた得体の知れない男。だがその実力は高く、ひとりでは苦戦は免れまいとヤマトに理解させるほどのものを秘めていた。
そんなクロが、半死半生の状態でそこにいる。黒いローブはズタズタに斬り裂かれ、その内側からとめどなく血があふれ出ていた。
「その傷はどうした」
「いやぁ。どこぞの国から出てきた英雄様と戦ってみたら、この通りですよ。無理はするものじゃないですね」
「英雄?」
咄嗟に脳裏に浮かんだのは、帝国の大英雄ラインハルトだ。
だが彼が本国を出て、こんな辺境の地にやって来るようなことがあるのだろうか。
そんなヤマトの疑念はさておいて、クロは疲れ果てた様子で地面に腰を下ろす。
「この状況が、お前の作りあげた舞台だと言ったな。どういうことだ」
「そのままですよ。私たちが大陸各地を回り、ときにあなたたちと戦ってきたのは、すべてこのときのため。目の前にある、この舞台を完成させるためのことでした」
眦を決したヤマトたちが口を開くよりも早く、クロはさらに言葉を重ねた。
「あなたがたには信じがたいかもしれませんがね。私たちの目的は、この状況を今もどこかで眺めているだろう存在——いわゆる神に、現世に降臨してもらうことなんですよ」
「……神?」
「正確には、神様気取りですけどね。超越者ぶって君臨し、管理として自らのエゴを押しつけてくる存在。それに干渉するなら、向こうから現世に降りてきてもらわないといけないですから」
当惑に任せて隣に視線を向ければ、ヤマトと同じ表情をしたノアと眼が合った。
理解が追いつかない。
教会の者として神話に詳しいだろうリーシャもまた、ヤマトらと同様に困惑の表情を浮かべている。
唯一真面目な顔を崩さないのが、何やら事情を知っているらしいアナスタシアだった。
「私たちがその神様気取りについて知っているのは、どうやら“それ”の目的が人類保全——もっといえば人類進化にあるということです。人のさらなる進化をうながすために、“それ”はあの手この手を尽くしている」
「世迷言だ」
「今はそう思ってくれてかまいかせんよ。実際に見てみないことには、理解も納得もできないでしょうから」
ヤマトの言葉を軽く流し、さらにクロは話を続ける。
「“あれ”は滅多なことがないかぎり、その根城から出ようとはしない。超越者たるモノ、易々と姿をさらしてはならないということなんでしょうね。その数少ない例外のひとつが、世界が崩壊の危機にさらされたとき。——ここまでいえば、あなたたちも理解できるのではないですか?」
「それが、ここだと?」
「えぇ。分かりやすい世界の危機だと見せつけ、降臨させるためのね」
ひとまず、クロが言わんとすることは理解できた。
だがだからといって、彼の目的を肯定できるはずもない。“神”を降臨させるとは言っているが、そもそも本当に“神”とやらが実在するかも分からないのだ。
改めて論じるまでもない。
(とにもかくにも、この場を収めてしまえばクロの計画は破綻する。ならばさっさと仕掛けるか)
無言でノアたちと視線を交わす。
本当ならば先陣切ってしまいたいところだが、あいにく無茶はつつしむようにと釘を刺されたばかりだ。妖刀の制御もままならぬ今、ヤマトはむやみに刀を抜くべきではないだろう。
先陣の役目はレレイに任せる。
その意思をくみとり、レレイが静かに身構えたときのことだった。
「さあ、来ましたよ」
クロが空を仰ぐ。
なんとなしに、釣られて視線をもちあげたヤマトたちは。
その先にて、どこからともなく放たれた一筋の閃光が、空を裂き竜たちの間を貫き、魔王と対峙していたヒカルを貫く光景を目の当たりにした。