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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
410/462

第410話

 この世のどこにあるとも知れない、深い闇。

 一寸先を見通すこともできず、また手探りで辺りを調べることも叶わない。そもそも、そうした調べごとができるような個があるのかすら、定かではない。

 そうした闇の中にあって、確かに――だが弱々しく蠢動するモノがあった。


『―――』


 闇よりも深い混沌を身にまとい、直視するだけで正気が損なわれるような禍々しさを振りまくモノ。

 人が見たならば、ともすれば邪神とも名づけられるだろう。混沌がそのまま実体を得たかのような姿は、信仰であれ畏怖であれ忌避であれ、人が崇拝するにたるだけの格をそなえていた。


『―――………』


 そんな、とても現し世には相応しくない超常を体現した存在は。

 どこか苦悶するかのように身悶え、だがその苦悶すら自分のものと認められないほど自我を喪失し、ただ禍々しさだけを残して消え失せようとしていた。


『―――?』


 身体が灼かれる苦痛。

 混沌に溶け出す快楽。

 それらも判然としないなかで、その黒いモノ――かつては“黒竜”の名で恐れられたスライムは、散り散りになった肉体を寄せ集める。

 だが懸命に身体を構築しようとしたところで、それが意味を成すことはない。そうして得た肉体も、この闇のなかにあっては、自覚することも難しいのだから。

 それでも。

 己が存在すること――生きていることを証明するように、スライムは必死に身体を寄せ集める。


『―――………』


 果たして意識と呼べるか、定かではないが。

 ひたすらに肉体の構築を繰り返すスライムのなかで、記憶の断片が蘇った。

 もうどれほど前のことか。いや、ほんの一瞬だけ前のことかもしれない。だが確かにスライムの身に起きたこと。

 魔王との戦いだ。


『―――』


 知性など欠片も残っていないスライムであっても、その光景は鮮明に思い出すことができた。

 何かに導かれるがまま放浪するスライムの前に現れた、魔王と呼ばれる若き魔族。その力は、スライムの前に立つにはあまりに不相応であり、ゆえに何の躊躇いもなく蹂躙した――はずだった。

 だが、スライムが魔王にトドメを刺そうとしたときに――“それ”は起こった。


『―――』


 魔王の覚醒――いや、より正確には。

 歴代魔王の魂が覚醒めたのだ。幾千幾万のときを経て、自我を失いながらも加護として積み重なり。そうして巨大な――それこそ、スライムでは抗えないほどの怨念と化した魍魎の魂が覚醒めた。

 ただ力の多寡を比べようというならば、それでもスライムは勝利することもできただろう。たとえ魔王らの妄念がどれほど図抜けていても、かつて黒竜と呼ばれたスライムが喰ってきたモノは、それを凌ぐほどに多かったからだ。


 だが、現実はそうはならなかった。


 魔王とはすなわち、魔を統べる王。

 その名の通り、彼が真なる魔王として覚醒めた瞬間――黒竜の身にあった力のほとんどは、彼に奪われてしまった。

 結果として残ったのは、何かを喰う前のスライムただ一人。


『―――………』


 かつて黒竜として恐れられた頃の姿など、もはや見る影もない。

 大陸に現存する魔物では、誰が疑うこともなく最弱。知性も本能もなく、ただ茫洋とし、無為に生命と時間を浪費するだけの存在。




 ――いや、違う。




『―――!』


 どくんと。

 何かが跳ねるような音が、闇のなかで木霊する。

 何の拍動か。だがその正体を確かめる間もなく――スライムは、狂おしいほどの衝動に襲われた。




 ――腹ガ減ッタ。




 飢え。

 それはすなわち食への渇望であり、生への渇望でもある。

 秒ごとに肉体の輪郭が定まる。ただ虚無がそのままあるかのような闇のなかにあって、徐々に、だが確実に、スライムの身体が浮かびあがっていく。


 喰イタイ。


 もう何でもいい。肉か草か。ただ喰えるモノであれば――いや喰えなくとも、喰いたい。


『―――』


 たとえば。

 そう、たとえばの話だが。

 この身を縛る闇そのものは、喰らえるのだろうか。


『―――』


 気づいてしまえば、もう止まることはできなかった。

 どこか遠く。胸の奥深くから冷静な声――己でない、もう一人の己が叫んでいるような感覚があったが、それは飢えを紛らわせてはくれない。

 ただ飢餓の衝動に任せて、辺りの闇を喰らう。


『―――!!』


 喰えたのか、喰えてないのか。

 判別はできなかった。だがわずかに――ほんのわずかに、飢えが満たされた気がした。

 その瞬間、元から残っていたかも怪しかった理性が、今度こそ完全に吹き飛ぶ。


 喰ラウ。


 喰ラウ喰ラウ喰ラウ喰ラウ――、


『―――?』


 耐えがたい飢餓感が、収まっては膨らみ、満たされては渇く。

 その連鎖を数百ほども繰り返したときのことだ。

 遠く――深淵なる闇を越えたその先に、“何か”があることに気づいた。

 間違いない。

 “あれ”は喰えるモノだ。


『―――――!』


 大きな気配が二つ。

 小さいが、実に美味そうなモノが一つ。

 そしてどこか懐かしく――また耐えがたいほど食欲をそそられるモノが、五つ。

 あれらすべてを喰らえたならば、この飢えも満たされるだろうか。耐えがたい苦しみを忘れ、飽食の幸福に我を失することができるだろうか。

 その可能性に思い至った瞬間。

 身を束縛していた闇への執着が、不思議なほど綺麗さっぱりと消え失せる。


『―――』


 這い上がる。

 闇を裂き、魔を退かし、大地を割り、光を塞ぎ。

 飢餓感に支配されたスライムは、ただまっすぐに、ご馳走が並べられた食卓へと這い上がっていく。

 すべては、ただ喰うために。

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