第408話
言うなれば、それは天変地異。
元は爽涼な草原が広がっていたはずのそこは、今や見るも無残なほど荒涼とした大地になってしまっていた。生の気配などわずかも感じることはできず、ただ無作為にばら撒かれる暴力の余波ばかりが眼に映る荒野だ。
その中心には、二つの影がある。
「はぁ――ッ!!」
『―――!!』
かたや、眼が灼かれるほどにまばゆい光を放つ戦士。全身を強固な鎧で覆った戦士は、その一挙手一投足にて光の波動を放ち、周囲にあった魔力を根こそぎ刈りとっていた。およそ人智を超えた動き。誰の眼にも、彼が自分たちと同じ人間であるようには映らないだろう。
かたや、眼を凝らしてもとらえられないほど濃い闇をまとった獣。その外見をあえて表現するならば、二足の竜だろうか。闇の獣はただ存在するだけで耐えがたいほどの闇の魔力を放ち、荒野にわずかに残っていた生命を摘みとっていた。
光の戦士と、闇の獣。
にわかには信じられない二者の激突は、傍で見る者から現実感を奪い――だが疑いようのない現実として、甚大な被害を生み出している。
「な、何だよあれは……」
その戦いを目の当たりにする者が、一人いた。
まだ幼さを顔に残した青年だ。身にまとうは帝国正規軍の軍服。僻地にあっても気高い誇りを忘れぬようにと、その胸元には小さなバッジが輝いている――だがその輝きも、すぐそこで繰り広げられる戦いを前にしては、いささか頼りない。
誰の眼にも明らかな恐怖。
それに心を支配された青年士官は、じりっと後退る。
『どうした一等兵! 現場の状況を報告せよ!』
本能のまま逃げ出そうとした青年士官。
だがその胸元からもれた通信の声が、彼の頭に理性を呼び戻した。
「じょ、状況? 報告……?」
『偵察としての任を忘れるな一等兵! 繰り返す、現場の状況を報告せよ! 我らがさらなる災厄を止められるかは、貴官の報告にかかっていると覚悟せよ!』
「あれを止める!? 無茶言うなって! そんなの、できるはずがないだろ!!」
自棄気味な青年士官の叫び。
だがその悲痛な声音をもかき消して、戦場で閃光がほとばしった。
「無理……無理だ無理だ! できっこない! たとえ戦車十台持ってきたところで、あんなの――」
『ちっ、狂乱したか……。一等兵! 撮影端末は持ち込んでいるな! 報告は後でいい、まずは現場状況を撮影し、こちらに転送せよ!!』
「撮影? は、ははっ、いいぜ送ってやるさ! 見たところで、どうしようもないって分かるだけだって!」
震える指先で、ポケットから小さなカメラを引っぱり出す。
そのままレンズを戦いのほうへ向けたところで――訝しげに、青年士官は首を傾げた。
「起動しない? 故障したってのか!?」
『一等兵! どうした一等兵!』
「くそっ、何だってこんなときに……!」
彼があと少しの冷静さを取り戻せたならば、その原因はすぐに理解できたことだろう。
眼の前で繰り広げられる戦いと、そこから放たれる魔力の余波。そのあまりに大きな波動のなかでは、よほど頑丈に作られた魔導具でもなければ、正常に動きはしない。
だがそのことに思いも寄らない青年士官は、焦った表情でカメラのスイッチを押す。
「動け、動けって! テストなら千回でも万回でも動いたんだろ! 動けよ!」
『……もういい。貴官は安全な場所で待機せよ! 任務は終了だ、すぐに――』
ひどい砂嵐の音が、通信に混じる。
一瞬遅れてそのことに気づいた青年士官は、苛立ち混じりに通信機を睨みつけた。
「くそっ、こっちもかよ! いったい何が――」
瞬間。
これまで起きていたものとは、比べものにならないほどの爆発が起こった。
さんざんに乱れた魔力波と衝撃波。その二つに滅多打ちにされて、青年士官の身体は宙に舞う。
冗談のような静寂。
青年士官の身体が、高高度から地面に叩きつけられる。
「ぐ、がっ……!?」
かっと身体が燃やされたような感覚。
砕け、裂け、ちぎれる音が耳の奥で響いた。
「―――っ、けほ……!」
何が起きたかを、理解することもできない。
気がつけば世界は真っ赤に染まり、満足に身体を動かすこともできなかった。身体の奥底から寒気がこみあげ、否応なしに指が震え始める。
(これは……死ぬ、のか……?)
心に暗いものが立ちこめる。
話だけであれば、死の覚悟など幾度も説かれてきた。だが、それが現実に身に降りかかろうとは――、
「大丈夫か?」
バシャッと、何かがかけられた感覚。
何が起こったかを知るよりも早く、肺が必死になって酸素を求める。
「な、何が……?」
「応急薬だ。そのまま安静にしていれば、死にはしない」
視線をめぐらせて、その人影に気づいた。
見た目はありふれた青年将校。腰にだらりとさげられた剣は、帝国軍人が身につけるのはいささか妙ではあったが、ことさら奇異なものではない。
だがその胸元――軍服に飾りつけられた記章を目の当たりにして、その印象は一変した。
金銀きらびやかな勲章が多数。およそ一般の者が粉骨砕身したところで、その内の一つを受勲することも困難だろう。
文字通り、別世界の住人だ。
「あ、あなたは!?」
「落ち着け。無理に動こうとすれば、傷口が開くぞ」
「―――!」
鋭い声音に、思わず閉口してしまうほどの痛みに、起き上がろうとした身体を止めた。
代わりに、視線だけを将校へと向ける。
「なに、を?」
「我が任は帝国守護。帝国を脅かすモノ一切を討滅すること。ゆえに、手をくだすつもりはなかったが――」
言いながら、青年将校は眼下を――そこで繰り広げられる、光の戦士と闇の獣との戦いを見下ろす。
もはや、あれはただの私闘の枠には収まらない。
その余波。互いが互いの力をぶつけ合うたびに、周囲の大地が渇き、割れ、砕け、朽ちていく。
「――あれは放っておけば、帝国の害となる」
ゆらりと腰元の剣を抜き放つ。
素人目でも分かる、すさまじい闘気。そのすべてを統御して、一歩踏み出した。
「我がラインハルトの名において、帝国の敵を討つことを宣誓しよう。何人たりとも、我が祖国に仇なすことは許さん」
人の英雄が、神話の戦いに牙をむいた。