第4話
『――武闘大会もいよいよ大詰め決勝戦ッ! グランダーク最強の戦士の座が決定します!』
ワーッと、悲鳴にも似た歓声が観客席から立ち上る。
『まずは東方、ヤマト選手! 本大会初参加ですが、並みいる強豪を木の棒一つで退けてきたその姿、既に知っている人も多いでしょう!』
予選ではブーイングに似た声援を受けたものだったが、本戦を勝ち抜いたことでどうにか認められたか。応援するような歓声が立ち上る。
歓声への反応に困りながら、ヤマトは舞台の向かい側に立った男を見る。
『対する西方、ナナシ選手! 予選本戦全ての試合を一撃で決めてきた凄腕の戦士です! 甲冑で隠した素顔の秘密に取り憑かれた方も多いのではないでしょうか!!』
結局、ノアの言っていたことが実現した形となったか。
全身を鎧甲冑で武装した男だ。分厚そうな装甲を身にまとっている割には、ずいぶんとスムーズな動きをしている。あれも加護の恩恵だろうか。
「ナナシだ、よろしく」
「……ああ」
兜を被っているためにくぐもっているが、想像よりも高く細い声に驚く。鎧が重厚なために大きく見えるだけで、実際には細身の部類であるのかもしれない。
そんなことをつらつらと思い浮かべながら、腰元の木刀を抜き払う。
「……本当に木刀を使うのか」
「知っているのか」
「一応はな」
これまでの試合相手は木刀のことをまったく知らない様子であったから、楽できた部分がある。
気を引き締めながら、審判の合図を待つ。
『泣いても笑ってもこれが最終試合! 両者共に準備万端のようです!! それでは――試合開始ッ!!』
空気だけでなく地面までもが震えるような大歓声が、辺りを埋め尽くす。
その声量に思わず顔をしかめながら、ナナシの動向を窺う。これまでの対戦相手は、開始早々に攻め寄ってきたものだったが、ナナシはどうやら違うらしい。試合前とほとんど変わらない様子で立っていた。――いや。
「何だ、こいつ」
変わらなさすぎる。ひとまず視線はヤマトの方へ向けているが、そこに警戒心がまったくない。身体も完全に脱力してしまっていて、あれでは目が反応できても身体が動かないだろう。
何か策でもあるのだろうか。訝しげにナナシの動向を探る。
「……来ないのか?」
「は?」
「ならこっちから行くぞ!」
傍目から見て隙だらけな動作で、ナナシは長剣を構える。あまりにも素人らしさを感じる構えに、思わず気勢が削がれてしまう。
苦々しいものを覚えながら構え直したヤマトは――即座に、その場を飛び退いた。
「――避けられた?」
「これほどとはな」
一瞬前までは確かに舞台の向こう側で立っていたナナシが、瞬く間に肉薄していた。
ヤマトが立っていた場所で剣を振り切った格好のまま、ナナシは立ち尽くしている。あまりに隙だらけではあったが、先程の不可解すぎる動きを前に、迂闊に手を出す気にはならなかった。
『ナナシ選手、必殺の一撃が本日初めて回避されました! 流石は決勝戦、これまでの試合とはレベルが違います!!』
観客席からの歓声がいっそう大きくなる。
用心深く目を凝らすヤマトの先で、ナナシはおもむろに剣を構え直す。
「まさか避けられるとは。驚いたぞ」
「速いだけならば、大した脅威ではない」
「―――ッ!!」
安い挑発に乗せられたか。かなり荒々しい動きでナナシは踏み込む。その一歩だけで舞台がひび割れるほどの力強さは、驚嘆に値するが。
「またか!?」
「今度はこちらから行くぞ」
軌道が直線的すぎる。いくら目で追えないほどの速さであっても、技巧が欠片も伴っていない攻撃ならば対処は容易い。
剣を振り切った直後で隙だらけな上体目掛けて、木刀を振り抜く。
「なっ!?」
木刀を伝って手に返ってきた感触に驚きを禁じ得ない。
獣じみた荒々しさで剣を振り回すナナシの間合いから外れながら、若干の痺れを訴える右手に力を込める。
『ヤマト選手の一撃が入りましたが、ナナシ選手はまったく堪えた様子を見せません! なんという強靭な肉体でしょう!』
まるで鍛え抜いた鋼の塊を殴ったかのような、硬い感触だった。それだけの防御力を備えた鎧を着ている、だけでは説明ができないほどの硬さだ。
「厄介な」
加護持ちとの戦闘は初めてではないが、ここまで強力な加護を持った者は初めて出会った。
高速化と硬化、そして恐らくは怪力化。どれか一つだけの加護持ちであっても国中でもてはやされるのに、それが三つ――いや。もしかしたら、更に多く備わっている。稀代の英傑という言葉すら物足りない。前代未聞、伝説の中にのみ登場するような――。
「なるほど、お前がそうなのか」
「……? 何の話だ」
思わず漏れた独り言に、ナナシが首を傾げている。
「いや、こちらの話だ」
チラリと舞台脇に控えているノアに目をやれば、ノアも確信を秘めた目で頷いてみせる。
ナナシの正体がヤマトの予想通りだとすれば、この場でヤマトが勝利してしまうのは都合が悪いのかもしれない。――だが。
「勝ちを譲るつもりはない。多少の傷は覚悟してもらおうか」
普通に考えれば、所詮は木で作られた木刀では、ナナシの防御力を越えることはできない。その意味で、勝ち目はないだろう。
だが、ヤマトにも意地はある。故郷で叩き込まれ、これまでの旅路を支えてくれた武術への矜持がある。
木刀を正眼に構え直す。これまでの試合では感じることのできなかった高揚感が、ふつふつと腹の奥底から湧き上がってきた。
ヤマトがまとう雰囲気が一変したことを感じたのか、ナナシも剣を構え直した。
「………」
「………」
舞台上の緊張感が増していく。
司会もいつしか実況を忘れて、観客と共に固唾を呑んで試合を見守っていた時――。
「――楽しそうなことをやってんじゃねぇか。俺も混ぜろよ」
試合に、乱入者が現れた。
ヤマトとナナシが向かい合っていたところの、ちょうど中央付近で、舞台の石畳から黒いモヤが立ち上る。あっという間に、さながら繭のような形状に丸まりながら集まったモヤの中から、その男の声は聞こえてきたらしい。
その現象を前にして、耳に痛いほどの沈黙が会場を覆っていた。
観客たちの視線の中、大きさを増してヤマトの背丈ほどにまでなったモヤの塊から、黒い腕が突き出された。土よりも更に濃く、夜闇をそのまま固めて形にしたかのような色をした腕だ。続けて二本目の腕に脚、胴などが出てくる。
漆黒に染まった身体に、見覚えのない様式で作られた薄手の鎧。頭には、明確に人とは違う生き物であると誇示するかの如く、雄々しい角が二本生えていた。
「……魔族」