第396話
エスト高原駅から歩くこと、二十分程度。
目視では駅が見えないくらいの場所に、ヤマトたちは仮の野営地を定めていた。
周囲を小高い丘に囲われたキャンプ地は、よほど近くまで歩み寄らない限りは視認することはできない。その点、人目を忍ぶ必要があったヒカルたちにとっては、都合がいい場所でもあったのだが――、
「ずっと見張りを置いてなくちゃいけないっていうのも、大変だよねぇ」
「そういうな」
愚痴混じりなノアの溜め息に、ヤマトも嘆息をもって応じた。
魔導技術がほとんど浸透していなかった極東――ヤマトの故郷では、野営時に見張りを立てることは至極当然のことだった。獣や野党、時には鬼など、警戒すべきモノは多岐に渡っていたからだ。
だが、ここでは違った。便利な魔導具が幾つも開発された大陸では、夜の見張りをわざわざ立てずとも、魔物避け・人避けの結界を貼ることができたのだ。
(今の情勢では極力目立つ真似は避けねばならなかった。だから魔導具の仕様も、可能な限り控えていたが――)
ちらりと周囲の様子を窺う。
実際に溜め息を漏らしたノアは、比較的体力を残している方だろう。自然育ちのレレイも、口数こそ少ないものの、その瞳に宿る輝きは煌々として強さを保っている。
ゆえに問題は、残りの四人――リーシャ、リリ、アナスタシア、ヒカルだ。
「………」
「ヒカル、大丈夫ですか? 少しお茶でも――」
「……いや、まだいいよ」
「そうですか……」
表面上和やかに会話をしていても、彼女らの瞳の奥には、隠し切れない淀みが溜まっている。
豊かな文明に囲まれて生活してきた、弊害というべきか。冒険者稼業を営んできたヤマトたちと比べると、彼女らは些か環境の変化に弱い。この過酷な逃亡生活に、いい加減、身体と精神の限界が近づいているのだ。
まだ会話できる余裕を残したヒカルとリーシャに比べて、アナスタシアはずいぶんと荒んだ光を眼の奥に宿すようになっている。リリにいたっては、歳幼い少女――ホムンクルスではあるが――ゆえに、早々に寝込んでいる始末。
――だがそれも、直に終わる。
「んじゃ、そろそろ大事な話を始めようぜ」
アナスタシアが、口火を切った。
伏し目気味に俯いていたヒカルとリーシャが顔を上げ、レレイは無言のまま視線を向ける。ヤマトとノアも、一瞬だけ互いに眼を見合わせてから、アナスタシアの方へと向き直った。
「俺たちがちょろっと調べてきた情報の整理。それと、これからどうするかっていう、今後の方針についてだな」
「……今後の方針……」
「あぁ。まさか、いつまでもここで隠れ潜んでいるわけにもいかねえだろ?」
疲れを越えた暗い感情のままに、ヒカルたちが一斉に頷く。
若干、その勢いに気圧される素振りを見せながら。アナスタシアは軽く咳払いをし、話を続けた。
「だから、状況整理と方針決定だ。何をするにしても、それらができてないことには動きようがないだろ?」
「……そうだね」
「駅で何を見聞きしたか、改めて聞かせて。もう一度、状況を確認し合った方がいいでしょ」
リーシャの言葉に全員が首肯する。
率先して口を開いたのは、まだ余力を残していたノアだ。
「それじゃあ僕から。駅の様子だけど、簡単に言ってしまえば――平穏無事だった。やっぱり多少の動揺は広がっていたみたいだけど、言ってしまえばそれだけ。特に誰かを警戒している素振りもなくて、前に来た時と同じくらいには穏やかな空気だったね」
「……なら、私たちが行っても――」
「たぶん、大丈夫だと思う」
ノアの言葉に、ヒカルたちはパァッと表情を華やがせた。
人目を忍ぶ生活は、一種の禁欲生活に等しい。欲の枯れ果てた老人ならまだしも、歳若い彼女らには厳しいところがあったに違いない。
そんなヒカルたちの様子に頬を緩ませながらも、眼差しだけは鋭く。ノアは再び口を開いた。
「ただ、これから先にどうなっていくかまでは分からないかな。ちょうど僕たちが着いた時に、駅には新皇帝即位の速報が届いていた。今日明日で何かが変わるとは思えないけど、数日後に、大きな変化が訪れても不思議じゃない」
「ならば、明日にでも改めて行ってみましょうか。それぞれ欲しいものもあるだろうし」
「……そうだね。それがいいと思う」
リーシャの提案に、続けて表情を綻ばせるヒカル。
彼女らの喜びに水を差すのも申し訳ない。そんな思いからか、ノアは一瞬だけ苦笑いに似たものを浮かべるも、すぐに穏やかに頷いた。
だが、話はここで終わりではない。
「繰り返しになるけど、次は帝国本土の動きについて。今言った通り、帝国では新皇帝――僕の姉だった皇女フランが即位した。その裏にどんな事情があるのか、新皇帝がどんな政治を望むのか……。そういったことは、今の段階だと『分からない』としか言えない」
「新皇帝フラン。会った時の印象は朴訥として穏やかな女って感じだったが、その性格通りに政治が行われるとも限らねえからな」
「姉さんが、そう簡単に変わるとは思わないけど……」
「権力が人を変えるってだけじゃねえさ。帝国も、皇帝崇拝が過ぎるとはいえ一枚岩じゃない。貴族らの口出しがかさめば、いずれは歪みが出るもんだ」
「……そうだね」
まだ僅かに納得し難い表情を浮かべながらも、ノアは首肯する。
そうして、ひとまず彼を説き伏せたことでよしとしたアナスタシアは、黙して話を聞いていたヒカルへと視線を向けた。
「まあ、現状といえばこんなもんだ。人目を忍んだんだから仕方ないが、僻地じゃ得られる情報にも限りがある。後は、実際に事が起きてみないことには分からねえ」
「じゃあ、問題はその次」
「おうよ。こうした状況を踏まえて、俺たちはどう動くべきか。今後の方針ってやつだな」
その場にいる全員に向かって言うような声。
それでありながら、アナスタシアの視線は一点――ヒカルのみを捉えていた。
自然と、皆の眼もヒカルへと向けられていく。
「……えぇっと……」
「方針を決めるとは言っても、現状把握すらままならない状態だ。正直、こうした方がいいって答えが用意されているわけじゃねえ」
「つまり?」
「俺たち自身で決める必要がある。より正確に言うなら、この面子のリーダーたるお前――勇者ヒカルが決めなくちゃならねえ」
ゴクリと、ヒカルが生唾を飲み干す音が響いた。
だがそれに構うことなく、アナスタシアは更に言葉を重ねる。
「責任だとか役目だとか、んなもんを気負うことはない。事は単純だ。お前が、どうしたいのか――。ただその一事で、俺たちの方針は決まる」
「………」
「俺たち――というよりヤマトたちは、勇者の名の下に結集した。ならその旗頭の意向に従うってのは、至極当然のことだろう?」
挑戦的な声音ではあるが、言っていること自体は、反論のしようがない――そも反論する気が起きないほどの正論だ。
だから、ヤマトたちは口を挟まない。
「さあ。どうする? お前はどうしたい?」
「私は……」
「お役目通りに魔王退治を続けるか? それとも、土壇場で裏切った帝国に報復するか? なんなら、壊滅した太陽教会の復興支援をしてもいい。全部、お前次第だ」
声こそ出さないものの、ヤマトたちもそれに同意する。
ヒカルがどのような決断を下したとして――それが人道に、正義に反しないものであったならば、喜んで力を貸すだろう。それは単に勇者一行だからという理由だけではない。ヤマトたちにとって、ヒカルという少女が、もはやかけがえのない友人になっているからだ。
静かに、ヒカルの言葉を待つ。
十秒か、二十秒か。
しばし沈黙を保った後、ヒカルは躊躇いながらも、ゆっくり口を開いた。
「……本当に、私の望みを言ってもいいの?」
「もちろんだ。それが叶うかどうかは、言ってみてから考えればいい」
「分かった。そういうことなら……」
再びの沈黙。
だが今度はそう間を空けることなく、ヒカルは伏していた顔を上げた。その瞳には誰かに縋るような、いつになく弱々しい光が宿っている。
思わずたじろぐアナスタシアに構わず、ヒカルは口を開いた。
「私は、元いた世界に帰りたい――!!」