第395話
「皇帝の代替わりか。急な話だねぇ」
溜め息混じりに呟いたのはアナスタシアだ。
つい先日まで帝国にいたヤマトたちにとって、まだまだ壮健だった皇帝の姿は記憶に新しい。相応に老いてはいたものの覇気は衰えず、後十年は皇帝位に居続けるのだろうと直感させられたものだ。
その皇帝が、唐突に代替わりした。
「理由は何て書いてある?」
「あー……。皇城および帝都に混乱を招いた責任を取ってとか、そんな感じっぽいな」
「そんな――」
「まあ否定はし切れないだろ。クロが原因だとしても、帝国は確かにそいつと協力関係にあったんだから」
「そう、かもしれないけど……」
思いのままに声を荒げようとしたノアに先んじて、アナスタシアは冷たく言い放った。
ぐうの音も出ないほどの正論。
感情よりも論理を優先するノアだからこそ、そんなアナスタシアに反論することなく、渋々ながらも口を閉ざす。
(だが、何かしらの裏はあるな)
二人のやり取りを横目にしていたヤマトだが、端的に事実のみを記述して締められている新聞の内容を読み終え、思いを馳せる。
事の真相が本当に、ただ皇帝が責任を取ったからとは考えづらい。ヤマトらが出会った皇帝ならば、むしろその災禍を利用し、帝国民の意気を煽るくらいのことを仕出かすだろう。素直に責任を取って退位するなど――らしくない。
ちらりとアナスタシアの方を見やると、小さく頷き返される。
「まあ、世間向け云々ってのは置いとくとしてだ。事の真相がどうかってのは、確かに問題ではある」
「……事の真相か」
「ノア、お前も分かってるんだろ? あの皇帝が素直に退位するはずがない。何か、止むに止まれぬ理由があったはずだ」
丸切り興味を失った様子で速報新聞を折り畳み、アナスタシアは場を仕切り始める。
あえてそれに乗っかって、ヤマトは口を開いた。
「理由か。例えば何がある?」
「特に証拠があるわけでもねぇから、全部憶測になるがな。一番過激なところだと、混乱のどさくさに紛れて皇帝が暗殺されたって線か」
「暗殺――!?」
「混乱鎮圧のために警備兵が駆り出された隙を突いて、暗殺者が侵入したとか。ない話じゃないだろ? 馬鹿正直に公表したら国の威信に傷がつくから、伏せる理由も一応説明できる」
確かに、ありえない話ではない。
むしろ道理だけを見たならば、十分以上にありえる話に思えるだろう。
思わず感心したように頷いてしまったヤマトに対して、ノアは顔を強張らせながら――首を横に振った。
「……それは、ないよ」
「っていうと?」
「もし本当に皇帝が倒れたなら、下にいた貴族たちが黙ってるはずがないから。姉さん――新皇帝フランがどれほど敏腕だったとしても、こうもスムーズに戴冠できるわけがないよ。今頃、国が何個かに分裂していてもおかしくない」
「混乱が小さいということは、皇帝の権威は未だ健在。すなわち、皇帝の身も健在ってことか」
「そう。残念だけど、帝国の貴族はそう賢くない。皇帝っていう重石がなくなったなら、すぐに内乱を引き起こすはずだよ」
自国のことながら冷たく言い切ってみせるノア。
だがその怜悧な横顔からは、先程まで見せていた動転の色はひとまず失せている。アナスタシアがあえて持ち出した過激な例を前にして、一周回って頭が冷静になったというところだろうか。
その彼の表情を垣間見て、アナスタシアは口元に満足気な笑みを浮かべる。
「そうかそうか。ならお前は、どういう可能性があると思う?」
「……貴族を抑える手段として退位を選択したとか、かな」
「貴族を抑えるねえ」
胡乱げに顔をしかめたアナスタシアに、ノアは小さく首肯する。
「帝国に属しているといっても、彼らに帰属意識はあまりない。平気で皇帝に衝突しようとするし、隙あらば皇帝の悪評を流そうとする――言ってしまえば、帝国のガンみたいな存在なんだよ。父上――前皇帝は上手く抑え込んでいたけど、今回の騒動をきっかけに、抑え切れない部分が出てしまった」
「しくじれば、国中で内乱が起きることになる。そうなる前に――」
「彼らの不満をひとまず晴らすことにした。自分は退位して、フラン姉さんに新皇帝の座を明け渡す。そうすれば、貴族は姉さんに取り入ることに夢中になって、国を傾けるような悪事には手を染めない」
「なるほどねぇ」
聞いてみれば、納得しうる理由のようだ。
自ら退位を宣言しておきながら、実際には新皇帝の強力な後ろ盾となり、皇帝位であった時と変わらない政治を展開する。それは確かに、ヤマトたちが出会った皇帝のイメージにもそぐわないものだった。
だが――、
(あの男が、そんなに弱気な政策を取るか?)
脳裏に、覇気に満ち溢れた皇帝の姿を夢想する。
ノアが言ったような強かな政策も、彼ならば実行するかもしれない。だがヤマトの眼には、貴族を収めるために自ら退位するというのは、些かならず弱腰が過ぎるように映る。むしろあの皇帝ならば、これ幸いと貴族勢力を根絶やしにするくらいの過激さを見せるような気がするのだ。
そうでなくても、帝国には彼が――大英雄ラインハルトがいる。
(多少貴族から衝き上げられたところで、ラインハルトが健在な限り国難はありえない。積極的に攻めへ転じることはできなくても、帝都を防衛するくらいは容易いはずだ)
だが、ならば何故――?
悶々と湧き出る疑問のまま、思考の海へと沈み込もうとしたところで。
アナスタシアの咳払いが、ヤマトの意識を我に返した。
「最初にも言ったが、これはあくまで推測だ。あれこれ考えてみたところで、今は証拠が少なすぎる。迂闊に判断するのも危険だろうぜ」
「……そうだな」
「だから今は、これからどうするかって点を考えるべきだ。帝国で何が起きてるかは知らねえが、ひとまず皇帝位が入れ替わったらしい。それを受けて、俺たちは何ができるか。勇者一行として、どんなことをするべきか」
「結局、ヒカル次第ってわけか」
「まあそうなる。当初の目的通り、情報収集はできたってところで今は満足するべきだな」
そうと決まれば、さっさとヒカルたちが待つ場所まで戻るべきだ。
段々と鋭さを増してきた警備兵らの視線と、訝しげにこちらを窺う旅行者の視線。それらを努めて無視し、外へと足を向けたところで。
「む?」
ふとした違和感を覚える。
「どうした」
「いや、今何か――」
何に違和感を覚えたのか。どんな違和感だったのか。
そうしたことは一切意識に残っていないものの、確かに「違和感を覚えた」という経験だけは強く残っている。
戸惑いのまま、周囲を見渡す。
「ふーん? おいノア、何かあるか?」
「……いや、特に何も。というより、ここは魔導具が多すぎてよく分からないんだよね。魔力の波がぐちゃぐちゃに乱れてる」
「なら、ひとまず警戒はしておくってところか」
アナスタシアはそう言ってから、パンッと手を打ち鳴らす。
ヤマトとノアの視線を惹きつけたことを確かめ、足早に歩き始めた。
「ほら! さっさと出るぞ。いい加減、あいつらも待ちくたびれてる頃だろ」
「分かった。ヤマト、ほら行くよ」
「……あぁ」
悶々と何かが引っかかるような感覚。
それは絶えずつきまとっているが、確かにそれに拘泥しているわけにもいかない。そう己に言い聞かせて、ヤマトもアナスタシアの後をついて歩を進めた。