第394話
帝国の皇都にて起こった動乱から、早数日。
至高の竜種たる“赤“の襲撃、初代魔王の遺骸を開放したことで出現した鬼、囚われていた魔王と勇者の脱走。
諸々の事態を受けて厳戒態勢にあった帝国だが、その余波は、どうやら北方の辺境――エスト高原付近にまでは伝わっていなかったらしい。
「ここまで来れば、一安心ってところか」
「一応ここも帝国の管轄下にあるから、あまり気を抜くわけにもいかないけどね」
「そら分かってるけどな」
軽く口論を繰り広げるようでありながら、その二人の間には弛緩した雰囲気が漂っている。
アナスタシアとノア。
肉体的には年相応のか弱さが残る二人だ。皇都からエスト高原までの旅路は、道中の緊迫感も相まって、かなりの負担を強いたに違いない。
そんな二人を労る微笑を浮かべながら、ヤマトも周囲を見渡した。
(下手すれば入れないかとも思っていたが、ここまでとはな)
エスト高原駅。
人が豊かな文明を築いている大陸南半分と、魔族が細々と暮らす大陸北地。その間を隔てる広大なエスト高原の、南端に設けられた設備だ。
ノアが言った通り帝国の管轄下にある駅ではあるが、数ある中でも北端に位置するだけあり、その雰囲気は牧歌的。帝国本土の駅とは比べられないほどに、のどかな空気に包まれていた。
皇都を襲った動乱の影響も、この辺境の駅にまでは届いていないようだ。
これならば、ヒカルたちを少し離れた野営地に置いてくる必要もなかったかもしれない。
(だが、あまり長居するのもよくないか)
そうと悟られないよう周囲を見渡し、ヤマトは早めにこの場を後にすることを決める。
まだ数は少ないし、明確な敵意も向けられていない。それでも駅に駐在している帝国兵の何人かは、辺境には似つかわしくないヤマトたちの姿に、若干の警戒心を抱いている様子だからだ。
下手な騒ぎを起こす前に、退散するのが吉だろう。
「早く用を済ませよう。あまり待たせるわけにもいかない」
「……そうだね。そうした方がいいかも」
ヤマト同様に周囲の眼を察したか。
あまり間を置かずに首を縦に振ったノアは、続いて指を二本立てた。
「二手に分かれよう。僕は食べ物とか服とか買ってくるから、ヤマトとアナスタシアは情報収集。帝国とか他の国がどんな状況なのか、調べてほしい」
「分かった」
「ふうん? まあそれでいいか」
即座に首肯したヤマトに対して、アナスタシアは何か言いたげな面持ちながら首肯する。
その反応を微笑で黙殺したノアは、駅の壁にかけられた時計に眼を向けた。
「じゃあ大体一時間後に集合で。帰りは荷物持ちをお願いするから、そのつもりで」
そう言って早々と、ノアは売店の方へと歩を進めていった。
見るからに異邦人なヤマトやアナスタシアから離れてしまえば、ノアはただの旅行客として紛れ込むことができる。現にヤマトらへ向けられる警戒の視線とは反対に、一人離れたノアへ関心を寄せる者はほとんどいなかった。
あっという間に周囲に溶け込んでしまったノアに、感心する気持ち半分。
何気なくノアの背中を見送っていたアナスタシアへ視線を向け、ヤマトは口を開いた。
「俺たちも行くか」
「おう、情報収集だな――つっても、直接聞くわけにもいかねえ。どうするかな」
それはそうだろう。
見るからに怪しげな二人組に「最近どうだ」などと尋ねられて、警戒しない人間はいない。
かといって噂話に聞き耳を立てるというのも、あまり効果的とは言えないだろう。駅と呼ばれていても、ここに駐在している者は軍人がほとんどだ。噂話に花を咲かせるような不真面目な者が、そう大勢いるとも考えづらい。
ゆえに、できることといえば。
「新聞でも読むか」
「初手としては悪くねえな」
というところになる。
軍直営の売店に置かれた新聞を手に取る。日付は数日前のものだったが、大まかに時勢を掴むだけならば問題ないだろう。
ヤマトとアナスタシアは揃って紙面に視線を落とす。
「……皇城襲撃の方が騒ぎになってるな。むしろ勇者だの魔王だのって話は、あまり書かれてねえ」
「情報統制か?」
「かもな。今の帝国に、他所からのちょっかいを退けるだけの余力があるとは思えない」
帝国が大陸随一の巨大国家だとしても、周辺諸国を無視していいわけではない。むしろ“赤”の襲撃による被害が甚大だからこそ、下手に敵を作ることは避けたいはず。
そうしたアナスタシアの推論は、ヤマトとしても理解しやすいものだった。
念の為にと他の紙面や更に前の日付の新聞も覗いていくが、やはり「勇者」や「魔王」といった文字が出てくることはない。意図的に隠していると見た方が自然だろう。ひとしきり確認し終えたところで、新聞を折り畳む。
「あてが外れたな」
「取っ掛かりとしちゃ悪くねえだろ。少なくとも一般には、勇者が脱走してることが知られてないみたいだから――」
そのままアナスタシアが言葉を続けようとしたところで。
周囲の雰囲気が、妙に騒がしくなる。
「あん?」
「何だ?」
揃って首を傾げた二人は、勢い勇んで駆け込んできた軍人の姿を認める。
雑用を任されるような新米兵士なのだろうか。若干の幼さを残した青年軍人は、真新しい新聞の束を腕に抱えて、大声で叫んだ。
「号外、号外ーッ! 速報が届きましたーッ!!」
それににわかに気色ばんだのは、駅内で職務に勤しんでいた軍人たちの方だ。
各々が取り組んでいた仕事を中断し、新聞を抱えた青年を取り囲む。
「何だ、号外?」
「事件が起こったのかもな」
奪い取るように新聞をかっさらっていく軍人たちに混じり、ヤマトも青年の手から新聞を抜き取る。
号外というだけあって、先程まで手にしていたものよりも薄い――というより、紙一枚だけのようだ。だがそこに書かれていた情報は、先程の比にもならない。
「これは……」
「ほぉん。こりゃ荒れそうだな」
思わず眉間にシワを寄せたヤマトに対して、アナスタシアはニヤリと愉悦の弧を口に描く。
吉報なのか凶報なのか。
その判断は今一つ難しいところではあるが、いずれにしても、大事であることに変わりはない。その大見出しにはただ一言「皇位継承」の文字が踊っていた。
(急な皇帝の代替わり。皇女フランが皇位を継承しただと……?)
皇女フラン。
ヤマトたちが帝国入りを果たした際に、色々と便宜を図ってくれた女性だ。その縁あって、ヤマトたちからしても知らない仲ではない。
だが、そうした恩義を他所に置いたとしても、気になる理由はある。
「………」
視界の隅。
騒ぎ始めた軍人たちに呆けた眼差しを向けるノア――秘めていたものの、帝国第二皇子だった少年の姿を捉えて、ヤマトはそっと溜め息を漏らした。