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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
392/462

第392話

 至高の竜種と呼ばれるモノの一柱であり、“赤”の名を冠する竜。

 更には皇城内で無数に現れた、正体不明の影法師。

 数多の魔獣魔物が彷徨い、一時は大混乱に陥った皇城だったが――英雄ラインハルトの活躍もあり、どうにか落ち着きを取り戻しつつあった。

 そんな皇城の、深奥に位置する部屋。

 来る者尽くを威圧するような謁見の間にて、皇帝はひとり、玉座に腰を下ろしていた。


(皇城の修復、負傷者への補填、対空装備の見直し……。やることが山積みだな)


 これから先のことを思い、溜め息が漏れ出た。

 今回帝国が被ったものは、破格の一言に尽きる。これら全てが元通りになるには、想像を絶するほどの人手・資金・時間が必要になるだろう。当然その間の帝国は、これまでのような躍進を止めざるを得ない。

 痛手だ。

 苛立ちを誤魔化すように、舌打ちを一つ。


「クロめ。やってくれたものだ」


 皇帝の脳裏に蘇るのは、今回の事件までは協力者として名を挙げていたクロの姿だ。

 そして恐らく、今回の事件の主犯である男。

 魔王軍内実の密告や教会勢力への襲撃を始め、これまでクロがもたらした成果は大きい。ゆえに皇帝も、どこか胡散臭い男だとクロを疑う一方で、重用してきた側面があったのだが――、


(契約もこれで終い。我らを欺いたこと、必ず後悔させてくれる)


 立ち昇る怒気がそのまま顔に表れそうになったところで、ふっと首を横に振った。

 皇帝たる者、迂闊に感情を面へ出してはいけない。

 己を戒める意味も込めて深呼吸を繰り返した後、思考を別方向へと転じさせる。


「だが、収穫はある。ラインハルトが彼の竜を抑え込み、退けた。この事実は大きい」


 事実の確認というよりは、己に言い聞かせるように呟いた。

 皇帝がまだ少年だった頃から変わらず君臨し続ける、帝国の守護神。

 その強さは皇帝も知るところではあったが、どこかで、やはり人相応のそれなのだろうと侮るような気持ちもあった。――だが現実は、皇帝の予想に反していた。

 英雄ラインハルトは、ただ一人の力をもって、至高の竜種を調伏せしめてみせた。


(想定以上だ。ラインハルトに“あの欠点”さえなければ、帝国は容易く大陸を統一できたのだろうが)


 考えかけて、否定する。

 ないものねだりをしても仕方ない。それを夢想するのは吟遊詩人や歴史家の仕事だ。統治者ならば、常に現実だけを見据えなければならない。


(まずはどこから手をつけるべきか。ともあれ予算を組み直さねば――)




「お父様。いらっしゃいますか」




 思考の海に沈みそうになった皇帝の意識が、その声に呼び起こされた。

 顔を上げ、謁見の間の大扉を見やる。


「フランか」

「えぇ。失礼します」


 ギィッと音を立てて大扉が開き、その奥から娘フランが姿を見せた。

 さしもの彼女も、この混乱とは無関係でいられなかったらしい。一流の職人に手がけさせた華美なドレスは、ところどころが土埃で薄汚れ、端々に切れ込みが入ってしまっている。それでもなお美貌が損なわれることのない辺りは、流石皇女と言うべきだろうか。

 帝国の宝と称えられ、蝶よ花よと愛でられる皇女。


 ――ゆえに彼女には、価値がない。


 ひとしきり娘の様子を確かめて、皇帝はさっさと視線を外した。


「要件は」

「……この騒ぎです。子が父の身を案じることに、何の不思議がありますか」

「それだけか? 見ての通り私は無事だ。分かったならば、離宮に帰れ」

「お父様……」


 フランは悲しげに眉をひそめる。

 だがフランも、文字通り皇帝の身を案じる一心でここまで来たわけではなかったのだろう。

 何かをグッと堪えるような眼差しで、真っ直ぐに皇帝を射抜いた。


「一つだけお聞かせ願いたいことがあります」

「………」

「お父様は、皇位を誰に継がせるおつもりですか」

「ふん」


 その言葉に、一切の興味がなかった皇帝の瞳に、僅かばかりの色が宿った。


「なぜそんなことが気になる。案じずとも、お前が位を継ぐことはありえん」

「お答えください」

「貴族共に何か吹き込まれたか? 確かにこの動乱は、私の不徳として責めるに十分な事件だろうからな」


 旧態然とした考え方を捨てられない、帝国の癌のような貴族たち。

 奴らがフランに皇位を継承させ、その婿の座を得ることで位を高めようとしていることは既に把握していた。

 それゆえの、溜め息。


「諦めろ。天地が入れ替わろうとも、お前に皇位が渡ることはありえん。それくらいならば、次の世代に望みを託す方が遥かにマシだ」


 その言葉で、あくまで縋りつこうとするフランを突き放した――はずだった。


「お父様」

「失せろ。もうお前に話すことは――」




「ノアに皇位を継がせるつもりですね」




 思わず、己の耳を疑った。

 フランの口からもたらされた言葉は、疑念ではなく確認。既に彼女の内で一つの確信があるような発言だった。

 慌てふためきそうになる心臓を宥め、視線をフランへ向ける。


「誰に吹き込まれた」

「ふふっ。それでは肯定しているようなものですわ、お父様」

「答えろ」

「誰にも。私自身が推測しただけです」


 そう告げるフランの眼は、なるほど確かに嘘を吐いているようには見えない。

 だが、そんなことができるのか。

 思わず疑ってしまった皇帝の内心に応えるように、フランは朗々と言葉を紡いでいく。


「気づいていませんか? 今のお父様、以前とはずいぶんと様子が変わっていますわ。まるで悩みの種が一つ消えてしまったかのよう。私とてお父様の娘ですから、そのくらいは見て取れます」

「………」

「きっかけはノアと話したこと。お父様にしてはずいぶんと饒舌でしたわ。きっと、ノアが想像を越えて成長していたことに嬉しくなってしまったのね。あんな風に意思を示すノアは、前は見られなかったから」


 「よく見ている」と感心する一方で。

 得体の知れない不気味さを、フランから感じていることを自覚した。

 豹変している。

 フランは、果たしてこれほどに――獰猛な笑みを浮かべる娘だっただろうか。


「以前のお父様は、お兄様に跡を継がせようとしていた。それはお兄様への期待というよりは、消去法だったのでしょう。私に任せれば、貴族が国を荒らすと分かり切っていたから。お兄様は優秀とは言い難いですが、少なくとも暗君ではない。妥当な判断でしょうね」

「フラン。お前は……」

「私もそのことに否はなかった。お兄様もその気でしたし、何より私には皇位への興味がなかったから」


 「だけど――」とフランは言葉を続ける。


「ノアと会って気が変わった。ノアならば、この国を導く名君になり得ると思ってしまったから。お父様が無理をして帝国の地盤を固めずとも、ノアならば万事そつなく国を治めると気づいた。――違いますか?」


 窺うような口振りながら、その言葉の裏には、揺るがない確信が秘められているようだった。

 そんなフランの佇まいに、皇帝は無言の内に、己の過ちを認めた。


(どうやら、私は娘を見誤っていたらしい)


 皇室の一人娘として、蝶よ花よと愛でられ育てられた皇女。

 婿を娶り優秀な血を引き入れるための女としては、文句のつけようがないほどの逸材。その反面、情に流され理を外れることを厭わない性格は、統治者には到底不向きだと諦めていたのだが――、

 今のフランの姿は、どうだ。

 帝国を背負う皇帝に対し、己の才気を余すところなく発露し、威風堂々と立ち向かう女傑。

 取り繕った姿ではない。皇帝として長らく権謀術数の坩堝に身を置いた経験が、その姿がフランの本質であることを、声高に教えてくれていた。

 その背から溢れ出る覇気の重さに、目元が歪みそうになるところを必死に堪える。


(このフランならば、帝国の采配することも容易いだろう)


 いやむしろ、現皇帝たる自分よりも優れた采配を下すかもしれない。

 だが、懸念もある。


(あまりに気が昂ぶりすぎている。これでは乱世を生み制することはできても、平穏を築くことはできまい)


 乱世の名君が、治世においても名君になり得るとは限らない。

 フランから立ち昇る覇気は少々剣呑すぎる。戦の絶えない世であればこの上なく頼もしいだろうが、そうでなければ、いたずらに世を乱す暗君になりかねないほどだ。

 今のフランに、帝国を任せることはできない。

 その意を固めるのと同時に、フランは口を開いた。


「お父様。ノアが皇位を望んでいないことはご存知でしょう? それでもなお、ノアに継がせようというのですか」

「……さてな」


 あえて明言を避けた回答。

 だがそれでも、フランが一つの確信を得るには十分だったらしい。


「そうですか――」


 口元に艶やかな孤を描き、顔を上げる。

 その眼に宿る光は、直視した皇帝が寒気を感じるには十分すぎるほどの鋭さを伴っていた。


「ならば、仕方ありませんね」


 言いながら、フランは大胆にドレスの裾をたくし上げる。

 実の娘ながらに、思わず眼を奪われてしまうほど扇情的な白い太もも。だがそこに結わえられたモノを目の当たりにして、皇帝は表情を一変させた。

 魔導銃。

 小型ながらも、撃てば人程度は容易く殺められる凶器だ。


「フラン。お前は……!?」

「お父様。その席、私に譲ってはいただけませんか?」

「自分が何を言っているのか、理解しているのか!?」

「えぇ勿論。お父様こそ、何をそう慌てているのです」


 銃口の黒い輝きに、背筋がゾッと凍りつく。

 だがその恐怖を鋼の理性でねじ伏せ、フランを睨みつけた。


「それを撃ったところで、この座が手に入ると本気で考えているのか。お前が考えるほど、皇位は安くない」

「どうでしょう、そこに座ったことは一度もありませんから。座ってみれば、お父様の言っていることが分かるかもしれませんね」

「どうあっても、退くつもりはないということか」

「えぇ。既に決めたことですから」


 明確な死の予感を前に、嫌な汗が滲み出る。

 だが皇帝とて、伊達に長年帝国を支配してきたわけではない。恐怖に震える本能の裏で、理性が冷静に計算していた。


(竜とラインハルトの戦いは終わった。もう少し時間を稼げば、奴が戻ってくる!)


 あと数秒か、数分か。

 いずれにしても、自分が為すべきことは変わらない。


「……なぜ、この座を欲する」

「なぜ?」

「お前のことだ。ただ権力がほしいわけではあるまい。何が目的だ」


 時間を稼ぐ。

 ただその一念をもって吐かれた言葉は、だがフランには、存外に価値ある問いだったらしい。

 引き金にかける力を緩めて、フランは口元の笑みを深めた。


「お父様ったら、分かり切ったことをわざわざ聞くだなんて。そんなの、決まっているでしょう」

「何?」

「全てはノアのためよ」


 その言葉は、だが脳は理解することを拒んだ。


「ノアの、ため?」

「えぇ。言ったはずです。あの子は皇位なんか望んでいない。もっと自由に旅することこそが望みなのだから、皇位なんて邪魔以外の何物でもない。だけどお父様は、ノアにその重荷を背負わせるつもりでしょう。たとえどんな手を使ってでも」

「それは――」

「否とは言わせません」


 それは、だが当然のことであろう。

 皇族という恵まれた血を継いだ以上、その身を国のため捧げることは義務だ。当人がどう思うかなど関係なく、皇族は国に心血を注ぐことを義務づけられている。

 それが皇族の――ひいては皇帝自身の常識。

 だがフランは、それをあくまで一蹴する。


「私の望みは、あくまであの子が幸福であること。それを邪魔しようというならば、たとえお父様であっても――」


 再び、引き金にかけられた指に力が込められた瞬間。

 蹴破るようにして、大扉が解き放たれた。


「これは……、陛下!?」

「ラインハルトか! 今すぐにこいつを――」

「もう遅いです」


 悲鳴にも似た叫びと共に、ラインハルトが駆け抜ける。

 その姿を認めた瞬間――、




 高らかに、一発の銃声が鳴り響いた。

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