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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
海洋諸国アルス編
39/462

第39話

 ダリアの実を切り分けた際の悪臭が辺りに散漫し、客が寄りつかなくなってしまったということで、その日の商売はもう終いにするらしい。

 手早く屋台を畳んだララに連れられるがままに、夕焼けの赤い光で照らし出されたアルスの街中をヒカルは歩いていた。


「――でも本当にいいの? うちの店、正直結構荒っぽいけど」

「いきなり襲われるわけでもないのだろう? それに、ヤマトやノアも行ったと聞いてはな」


 ララとの会話の中で、彼女の母親が営んでいるという食事どころについての話題になった。今のアルスではあまり見なくなった荒くれ者が集まる店ではあるが、その食事は、ヤマトとノアも気にいるほどであったと聞く。

 評議会や教会での歓待で出された食事は、美味ではある一方で、グランダークで食べたものとほとんど変わり映えしないものであった。不満ではないが、そろそろアルスの現地風の食事に興味が出始めている。

 アルスは海沿いの街だから、やはり魚料理が名物なのだろうか。しかし、ララの屋台を見たところでは、見覚えのない果物も名物であるらしい。

 そんなことをつらつらとヒカルが思い浮かべていたところで、


「うん? 誰だあれ」

「何か気になるのか」


 ララが見ている方へ、ヒカルも視線を転じる。

 『海鳥亭』と書かれた看板を出す店の前に、一人の男が立っていた。相対せずとも分かるほどに身の丈が高く、身体つきも頑強そうだ。青と緑で鮮やかに染め上げられた服で、入れ墨の刻まれた身体を覆っている。

 そんな偉丈夫が、ひどく落ち着かない様子で、『海鳥亭』の中を覗き込んだり、かと思えば唐突に肩を震わせて辺りを見渡したりしている。


「見るからに不審ではあるな」


 傍目で見る限りでは、男に悪意のようなものは感じられない。それどころか、迷子になった子供のような佇まいにすら見える。

 そんな考察をララも同様にしていたのか、どう反応すればいいのか悩んでいる様子だ。


「あの人、前にもうちに来たことがあるんだよ」

「……ということは、あそこがララの店か」

「お母さんのだけどね」と訂正しながらも、ララは男から目を離そうとしない。

「そのときは、お店を荒らそうとしたチンピラの用心棒みたいなことをやっていたんだ」

「それは……」


 あまり穏やかではない話だ。

 すっと意識を集中させヒカルに釣られたように、ララも目つきを鋭くさせる。


「『刃鮫』の一味――グランツの部下だって言っていたけど。今度は何をしに来たんだ」

「グランツさんの?」


 ララに思わず尋ね返してしまう。

 グランツとは、昨日の海流信仰の神殿と評議会に赴いた際に出会った程度のつき合いであるが、そう悪印象は抱けなかった。妙に商人らしい打算的な目つきをすることはあっても、逆に言えば、それ以外は至って普通の人にヒカルには思えたのだ。

 そんなヒカルの当惑を知ってか知らずか、ララは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「あいつがよく見えるのは外面だけさ。内側は、どこまでも金のことしか考えてなくて、人のことなんかこれっぽちも興味を持っていない」

「ふぅむ」


 今ひとつ納得はしがたいが、人の内面とは容易には読み取れないものだ。(そういうこともありのかもしれない)程度の認識だけを持っておくことにする。

 そうこうしているい内に、『海鳥亭』の前で目を彷徨わせていた巨漢の方が、ヒカルとララの姿に気がついたらしい。無表情ではあるが、どこか救いを求めるような目つきでジッと見つめてくる。

 それに溜め息を漏らしてから、足音荒くララは巨漢へと近づく。


「お客さん、今日は何の用だい」

「………」


 その問いかけに、男は何も答えようとしない。ただ黙したまま、ジッとララの顔を見つめるだけだ。

 それに微妙に苛立った様子で、ララは言葉を続ける。


「何か用があるなら話したらどうさ。黙ってちゃ何も分からないよ!」

「お前は……」


 腹の奥へ響くような低い声が、巨漢の口から漏れ出る。

 巨漢はそのまま、『海鳥亭』の中を指差した。正確には、その中でたむろしている客を指差した。


「あいつらの、仲間か?」

「……それが何だって言うのさ」

「それは――」


 ララの問いかけに男が答えようとした瞬間、


「テメェ、そこで何やってんだ?」


 ずいぶんとしゃがれた声が、傍からかけられる。

 そちらへヒカルが視線を転じれば、非常によれた服をまとった男が立っていた。どことなく潮の香りが漂ってくる辺り、海賊の類なのだろうか。口を開かずとも分かるほどに荒々しい雰囲気を漂わせ、まるで手負いの獣のように、辺りを必死に威圧しているように見える。


「お前は……」

「確かグランツのとこの手下だな? ようやく喧嘩売りに来たってところか?」

「違う。話がある」

「あぁ? 俺たちは今更お前らに話すことなんざねぇよ」


 今にも噛みつき出す勢いの男に、思わずヒカルは眉をひそめる。

 あまりいい雰囲気ではない。


「お前ら! ちょっと出てこい!」


 男が『海鳥亭』の中へ声を上げると、ぞろぞろと男たちが店から姿を現す。全員が正しく荒くれ者といった風情であり、腕に覚えがありそうな佇まいだ。夕刻だというのにかなり酒が入っているらしく、妙に顔が赤く、目が据わっている。


「あぁ? 何だお前」

「確か昨日も来たよな、こいつ」

「お? やるってのか?」


 ガヤガヤと騒ぎながら、男たちの雰囲気は急速に物騒なそれになっていく。

 酒が入っていることもあるのだろう。喧騒は留まるところを知らず、男たちの中には腰元のナイフに手を出す者まで現れた。


「ちょっと、落ち着きなって」

「何だよララ。お前も文句でもあんのか?」

「そうじゃなくて。どんだけ喧嘩っ早いのさ」


 リーダーの男は不機嫌そうに目を尖らせるものの、ララの強い視線で気圧されたようにたじろぐ。力関係はララの方が上らしい。唸り声を上げる男を制止しながら、ララは巨漢の方へ視線を転じた。


「それで? 話って何さ」

「はぁ? どうせ喧嘩売りに来たんだろ? だったらさっさと」

「――うるさい!」


 一喝。

 屋台で果物屋をやっていた娘と同人物とは思えないほどに、覇気がこもった喝だ。男たちは冷水を浴びせられたように、しんと静まり返る。思わず、ヒカルまでもが背筋を正してしまいそうだ。

 なおも不服そうな目をしていた男を睥睨して黙らせると、ララは巨漢を促す。


「俺は、グランツのところから逃げてきた」

「逃げてきた? どういうわけさ」

「……あいつのところ、少しおかしい」


 訝しむような視線を向けたララたちに向けて、男はゆっくりと口を開く。


「おかしいって? ……まさか薬でも使ってるとか?」


 薬。

 元の世界ではテレビの中でしか聞いたことのない単語に、思わずヒカルはぎょっとする。こちらの世界でも、そうした違法薬物はあるのか。

 そんなヒカルの驚愕とは裏腹に、男は首を横に振る。


「薬は使ってない。けど、妙な奴らと手を組んでる」

「妙な奴らってのは?」

「魔獣を操っていた奴らだ」

「はぁ?」


 要領を得ないように、ララたちは互いに目を見合わせる。対して、ヒカルは俄然意識を男の方へ集中させた。


「おいテメェ、適当なこと言ってんじゃないだろうな」

「いや。魔獣を使役する者はいる」


 これまで口を閉ざしていたヒカルの言葉に、その場の者全員がヒカルへ目を向けてくる。


「つかテメェは何者だよ。関係ねえなら――」


 スパンッといい音を立てて、文句を言おうとしていた男の頭をララが叩く。


「勇者様だよ。あんたたちだって聞いたことくらいはあるでしょ」

「はぁ? んな野郎知らねえよ」

「だったらもう少し世間のことも調べな」


 男をあしらいながら目配せをするララに頷いて、ヒカルは再び口を開いた。


「先のグラド王国にて、魔王軍の襲撃が行われたことは知っているな? どうにか撃退することはできたが、そのときに魔王軍は、大量の魔獣をけしかけてきた」


 ヒカルにとって、グランダークを襲撃してきた魔獣の大群は記憶に新しい。魔王軍と言えば魔獣を使役するものというよく分からない先入観をヒカルは抱いていたが、そうした真似は通常ならば不可能だということを、ヒカルは教会の者から聞かされていた。


「魔獣を?」

「あぁ。幸いにも先に魔王軍の首領を押さえることができたから、被害は軽微で済んだが」


 それでも、グランダークの外縁部に位置していた家屋や市場はほとんどが破損してしまった。今頃は、その復興作業でグラド王国は大忙しだろう。


「魔獣とは本来、一体に対して人が数人、場合によっては数十人でかからなければ押さえ込めないほどの力を持つ。それが群れになるならば、その力は絶大の一言だ」

「そんなことが……」


 ここアルスという街で魔王軍が活動するならば、恐らくは海の魔獣を使役することになるだろう。

 同じことを考えた男たちも、一様に真剣な表情を取り戻している。海を中心に活動している彼らだからこそ、海の魔獣の脅威については、ヒカル以上に身に沁みて理解できているはずだ。

 重苦しい沈黙が場を包んだところで、それまで黙っていた入れ墨の巨漢が再び口を開く。


「奴らは、魔獣を使って船を襲わせていた」

「なっ!?」


 ララたちは目を剥く。

 驚愕で口を開けないララに代わって、ヒカルが言葉を発する。


「魔獣被害による沈没は、数が多いのか」

「……海の事故は基本的に数えることができない。証拠も何も、全部が波に流されるからね。でも――」


 ララに視線を向けられて、男の一人が重々しく頷く。


「確かに、最近は魔獣の数が多い。風や潮の流れは変わってないのに、魔獣の分布だけがすぐに変わっていた」

「断定はできないにしろ、怪しむ余地はあるってところか」

「グランツの野郎が指示してるに決まってる! あんな腐った野郎が他にいるかよ」


 吐き捨てるように言い放った男に、ララも小さく頷く。

 ヒカルの想像が及ばないほどに、ララたちとグランツとの間には根深い因縁があるらしい。

 憤るララたちを尻目に、入れ墨を刻んだ巨漢の方は意気が萎んでいるらしく、大きな身体を小さく丸めたまま呟く。


「俺、もうあんなこと耐えられない。だから、故郷の島に帰りたい」

「故郷の島はどこに?」

「ずっと南。俺、そこから船に乗ってここにやって来た」


 その言葉に、ララは難しい表情を浮かべる。


「そういう話だけど、船は出せそうなの?」

「……無理だな。航路が全然組み上がってねぇ。今の海――遠くの方はグランツの『刃鮫』一派しか渡れねえよ」


 つまりは、『刃鮫』によって航路についての知識が独占されているという状況。

 あまりアルスの情勢について詳しくないヒカルでも、それは不健全であることは容易に想像できる。商人同士が競い合う市場において、どこか一つの派閥が独占状態にあるというのは、不正不平等が始まる原因となる。

 男の言葉を聞いて、入れ墨の巨漢はますます縮こまってしまう。


「じゃあ今は難しいか」

「あぁ。島と島を乗り継ごうとしたら、どれだけ金がかかるか分からねえ」

「航路を独占できている理由は、魔獣を使役するからか」


 無論、正当な競争によって独占できたという可能性も、ないではないだろう。

 だが、航路とは一年程度ならば継続して使えるものの上に、最悪は船を追跡すれば割り出せるものだ。にも関わらず、グランツの一派だけがそれを独占し続けているという状況は、やはりどこかおかしいと言わざるを得ない。


「かちこむか?」

「……それも必要かもしれない」


 そんなララの言葉に、男たちはにわかに騒がしくなる。意気揚々と酒を煽り始める者や、逆に酒を抜こうと水を一気飲みする者まで様々。だが、全員が戦いに備えようとしているのは確からしい。

 早くも店を出て行こうとする男たちへ、「けど!」と声をかけてから、ララは言葉を続ける。


「このままじゃ証拠が足りない。ただ喧嘩を売ってもいいけど、それは最後の手段」

「あぁ? こいつの言葉で充分だろ」

「言葉じゃ駄目だよ。嘘をついている、私たちが言わせているだけ。そんな言い訳も通っちゃう」

「ならどうするんだよ」


 普通に考えるならば、証拠となるような文書なり現場なりを差し押さえるだろうか。

 そんなヒカルの考えを助けるように、巨漢は口を開く。


「今日は屋敷、警備が薄い。急に船を出すことになって、慌ててる」

「だから抜け出せたってわけか」


 難しい表情で唸りながら、ララは考え込む。

 男たちはララを信頼しているのか、頭を働かせるのが苦手なのか。何も語らず、そんなララの様子をジッと見つめているだけだ。

 やがて、ララは顔を上げて巨漢の方を見る。


「故郷に帰りたいって言ったよね。そのために、協力してもらうことになる。できそう?」

「俺は――」


 巨躯に見合わず、ずいぶんと肝の小さな男らしいが。

 入れ墨を刻んだ男は、少しの間だけ逡巡するも、すぐに顔を上げると首肯する。


「俺は帰りたい。故郷が嫌で飛び出したけど、今は、故郷に帰りたい。また父さんや母さんに会いたい」

「……そっか」


 巨漢の目には、ずいぶんと強い決意の光が宿っている。

 それを確かめて、ララは満足気に頷いた。


「よし! そうと決まれば作戦会議だ! 皆、気合い入れなよ!」


 ララの言葉に、男たちは「応っ!」と大声を上げて首肯する。

 やはり荒っぽい部分は感じるものの、皆仲間意識は強いのだろう。無作法に思えるような立ち振る舞いも、仲間のことを大事に思うがゆえのものだろうか。

 おどおどとした様子の巨漢を店の中に誘う男たちを見ながら、ヒカルはそっと腰元の聖剣の柄を撫でた。

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