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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
381/462

第381話

 ――時を同じくして。




 ヒカルたちが囚われていた客室とは、また別の一角に位置する部屋。

 そこに軟禁されていた三人も、唐突に起こった爆発を前にして、動揺を隠し切れずにいた。


「今のは何だ……?」


 見れば思わず気遣ってしまうほど病的に白い肌をした青年が、崩壊した天井を仰ぎ、呆然と呟いた。

 事情を知らない人間からすれば、皇城の奥で療養していたようにも見えるだろう。白亜の如き肌はあまりに色彩に欠けており、年単位で陽光を浴びていないことが窺えるからだ。――だが、その額から伸びる二本の角を見れば、その意見を真逆に変えるに違いない。


 魔族の角。


 天を貫くほどに雄々しく鋭利な角が、彼が魔族であり、その中でも特に力の強い者であることを悟らせる。

 呆然としながらも警戒を緩めない青年の前へ、巌の如き大男が進み出た。


「魔王様、まだ危険が潜んでいるやもしれません。お下がりください」

「ヘクトル。元よりここは敵地だ。危険など、今更であろう?」

「ですが――」


 ヘクトル。

 魔王軍第二騎士団長の名を冠する男は、魔王の毅然とした言葉に、厳つい顔を更に険しくさせた。

 だがすぐに言い返さないところを見ると、彼も魔王の言葉をある程度認めているのだろう。


「……畏まりました。ですが、万が一に備えてお傍に控えておりますので」

「あぁ。頼りにしている」

「はっ、勿体なきお言葉!」


 やたらと格式張ったヘクトルの返答。

 それに若干辟易とした表情を浮かべた魔王の内心を、その場にいたもう一人が代弁した。


「堅苦しいのはそこまでにしたら? 今はそれどころじゃないみたいだし」

「……ミレディ。お前は魔王様への敬意が――」

「だから。今はそれどころじゃないでしょ?」


 ミレディ。

 魔王軍第三騎士団長に任じられていた女は、相も変わらず形式に拘ったヘクトルの言葉を、半ば愚弄するように鼻で笑った。

 騎士団長の中で最も魔術と奸計に長けたミレディの眼には、ただ忠義に生きることに拘泥するヘクトルの在り方は、もはや論ずるに値しないほどの愚挙に映るのだろう。

 鋭い眼差しをヘクトルが放ってみせても、ミレディはさっさと視線を外し、まるで意に介していないように振る舞う。


(またこれか)


 思わず、魔王は溜め息を零したくなる。

 ヘクトルとミレディ。

 共に魔王軍の中核を担う人材でありながら、その相性は水と油。二人が居合わせてしまったなら、大小問わず諍いが絶えないことが魔王軍でも有名だった。

 だがなにも、こんな敵地――それもその中心地でまで、諍いを起こさずともよいではないか。


「二人とも。そのくらいにしておけ」

「ですが魔王様!」

「相変わらずしつこい男ね。そんなんじゃあ、いつか愛想を尽かされちゃうわよ?」

「ミレディ――!」

「そこまでだ」


 僅かに声に魔力を滲ませ、一喝する。

 いつもならばその程度で沈黙してくれる二人ではないのだが、今が緊急事態であることは、両名とも心得ているのだろう。表面にだけ不満気な色を覗かせつつ、口を閉ざしてくれた。

 散々に乱れていた心を徐々に落ち着かせながら、口を開く。


「何が起きたのかは分からない。だが、これはどうやら人間にとっても想定外のことらしい」

「そうね。浮足立ってる感じが伝わってくるわ」

「……ならば、如何なさいますか」

「賭けにはなるが――」


 言いながら、周囲を見渡した。

 魔王たちの抵抗を防ぐための結界も、先の爆発によって跡形もなく千切れている。先日までは脱出したくともできない状況であったが、結界もなく魔力を自由に行使できる今であれば、多少の警備を突破する程度は可能だろう。

 ヘクトルとミレディへ確かめるように視線をやれば、力強い首肯が返ってくる。

 それで、心は決した。


「――ここを脱出する。多少の戦闘も厭わん。強引に抜ける」

「はっ! ならば私が血路を切り開きましょうぞ」

「熱苦しいのは苦手なんだけどねぇ」

「頼りにしている」


 性格的な相性の問題こそあれど、二人の力量には疑う余地などない。

 気を抜けば浮足立ちそうになる内心を宥め、魔王はやたらと青い空を見上げて――、




「おぉっと! 少々お待ちいただいてもよろしいですか?」




 妙に聴き馴染みのある声が響く。

 咄嗟に身構えながら声の主を見やり、首を傾げた。


「クロ? なぜここにいる」

「なぜとは心外ですねぇ魔王様。私、これでも魔王様の忠実な下僕のつもりだったのですが」

「……そうか」


 クロ。

 魔王直属の機密部隊『影』に所属する一人であり、その中でも魔王に近しい位置にいた男だ。

 魔王たちがここに囚われている間、彼と接触することはなかった。自然、クロはまだ北地にいるものだと考えていたのだが――、


(助けに来た、と見ていいのか)


 ちらりと二人の腹心の様子を窺う。

 どちらも突然現れたクロを警戒しているようだが、敵意にまでは至っていない。状況の急変を前にして、戸惑っているというところだろうか。

 しばし考え込んでから、魔王は再びクロへと向き直る。


「クロ。この騒ぎは、お前が引き起こしたのか」

「えぇその通りです。ここで魔王様に倒れられると、少々困ったことになりますので――」

「ほう?」

「こうして助けに参上したのです。それで、どうかご容赦を」


 ただ純粋に、魔王の身を案じたということではないらしい。

 妙な含みのある言い方が気になるが、今はそれを追求している場合ではない。

 なおも警戒を続けようとするヘクトルとミレディを制止し、魔王はクロへ一歩近寄る。


「まあいい。それで、クロ。ここまで来たということは、道案内はできるのだろうな?」

「えぇ勿論です――と言いたいところなのですが」


 声音だけはにこやかに答えたクロは、だが次の瞬間に、ガックリと肩を落とす。


「どうやら、想定していたよりも早く騒ぎが収まってしまいそうでして。もう一仕事しないことには、脱出するのも難しそうなんですよねぇ」

「何だと?」

「これはヘクトル様! そんな睨まないでくださいよぉ」


 剣呑な眼差しを向けるヘクトルに、クロはペコペコと頭を下げる。

 無論、そこに本気の謝意などあるはずもない。むしろ怒りを煽っているようにしか思えない軽薄さに、ヘクトルは額に青筋を立てた。


「クロ、貴様……!」

「やめろヘクトル。――それでクロ。その、もう一仕事とは何だ」


 「必要があるならば、手を貸す」。

 言外にその意図を込めた言葉に、ヘクトルは血相を変えた――が、手で制止する。


「どうだ?」

「これはこれは、滅相もございません。私に皆様を付き合わせてしまっては、本末転倒というものでしてね」

「それは……」


 問いかけて、はたと気がつく。


(殿を努めるつもりか)


 殿。

 要は脱出する魔王たちの後方に残り、追手を食い止めるということだ。

 クロがわざわざそんな危険な役回りを好むとも思えないが、そう決心してくれたならば、意思を尊重するべきだろう。


「……分かった」

「ご理解いただけたようで何よりです」


 ヘクトルとミレディはなおもクロを訝しんでいる様子だが、わざわざ改めさせる必要はない。

 恭しく頷くクロに鷹揚に返し、魔王は踵を返した。


「ならば、私たちは行くとしよう。クロ、後のことは――」

「あぁそうだ! そうでした! お伝えし忘れてたことがありました!」


 緊張感のある空気を軽く吹っ飛ばすような声。

 思わず相好を崩しながら、魔王はクロを見やる。


「何だ?」

「いえ、そう深刻な話でもないんですけどね」


 そう前置きしてから、クロは魔王の眼を覗き込んできた。

 相変わらず、何を考えているかが分からない不気味な黒眼だ。そこにあるはずの感情は、混沌とし、ぐちゃぐちゃの渦になって正体が掴めない。

 思わず背筋を走りそうになる怖気を、グッと堪える。

 そんな魔王の健気さを嘲笑ってか。ふっと息を漏らしてから、クロはニヤリと口を歪める。


「居城の状況、魔王様はどの程度ご存知ですか?」

「……特に、何も聞かされてはいない」

「それはいけない! いざ眼にして衝撃を受けてしまっては、致命的なことになりかねないですからね!」


 大仰に叫んでから、極端なまでに声を潜める。

 その仕草に、否応なく不吉な予感が胸の内で膨らんだ。


「率直に言いますと、あちらは落城の危機です」

「何だと?」

「ここ帝国の軍が差し向けられ、連日連夜激しい戦が繰り広げられている。今でこそヘルガ様とナハト様の尽力で持ち堪えていますが、それもいつまで保つことやら……」

「そこまでか」


 クロの説明に、ヘクトルとミレディも揃って顔色を青ざめさせた。

 深刻だとは捉えていたが、よもや既に落城の危機に晒されていたとは。

 一刻の猶予もない。


「分かった。ならば急いで――」

「あぁいえ。そういうことではなくてですね?」


 血気に逸る魔王を、調子の変わらないクロの言葉が遮った。


「私が言いたいのは、魔王様に覚悟がおありですか? ということなのですよ」

「覚悟だと?」


 思わず、鼻で笑い飛ばそうとした。

 覚悟など、魔王であることを受け入れた瞬間には既に固めていた。かつて一度も勝利の歴史を飾ったことのない、魔王の名。だがそれも魔族らの希望になり得るならばと、進んで重荷を背負うことを決めたのだ。

 今更、問われるまでもない。


「分かり切ったことを訊くな。覚悟など、とっくの昔に定めている」

「えぇ。それは分かっているんですけどね」


 だが、クロはなおも言葉を募らせる。


「率直に申し上げましょうか。魔王様がお戻りになったとして。その時に城がまだ健在である可能性は――限りなく低い」

「―――」

「奮戦しているとはいえ、所詮は敗残兵の集いです。今こうして話している時には既に、城は落ちているかもしれない」

「……だが」

「きっと、魔族の生き残りなどほとんどいないでしょうねぇ」


 暗澹たる想像図が、魔王の脳裏に描かれた。

 ボロボロに朽ち果て、同胞たちの血で染め上げられた城の跡地。無数に転がる亡骸に深く雪が積もり、やがて分厚い氷の中へと閉ざされていく。

 それは、一言で表すならば“絶望”。

 魔王が魔王の名を冠すると決めた時に、生命を賭して抗おうとした魔族の未来だ。


「魔王様……」


 表情が苦悶に歪んでいる。

 それの何が面白いのか。クツクツとくぐもった笑い声を伴いながら、クロは更に言葉を重ねた。


「今の魔王様がどう足掻いたところで、もう未来は変わらない。過去幾度となく繰り返したように、魔族の大半が死に絶え、また辛く険しい時代が訪れる」

「……そんなことはさせない」

「いいえ手遅れです。先の敗戦で、命運は決してしまった。今代の魔王軍もまた力がないために、敗北し、滅亡へと歩み寄った」


 魔王を断罪するような強い口振り。

 その雰囲気に呑まれているのか、魔王の脇に控えていたヘクトルとミレディまでもが、その顔を強張らせていた。

 更に、クロは言葉を続ける。


「その上で、魔王様に問うているのです」

「……何だと?」

「守るべき魔族の大半が死に絶え、その未来は暗く閉ざされた。――それでもなお戦い、魔族の微かな未来の礎になる覚悟はおありですか?」

「魔族の、礎に」

「えぇそうです」


 出来の悪い生徒に言い聞かせるように、クロはこんこんと説く。


「人が圧倒的な勝利を収めれば、魔族の滅亡はもはや揺るがない。ですがそこに、一石を投じることができたら? 魔族を追い詰めたがゆえに、手痛い反撃を受けたと人が考えるようになれば?」

「何が言いたい」

「簡単なことです。敗北は免れないと知りながら、死兵が抗う。その果てに、一が十を殺すような大戦果を挙げて初めて、追撃の手は微かに緩む。魔族の新たな希望が芽生えるのです」

「それが、礎か」

「えぇ」


 心胆が凍てつくような話だ。

 だが、魔王の為政者としての冷静な部分が、それが決して虚偽ではないと判断していた。

 そうした覚悟が、この先には必要なのだろう。


「どうです?」

「―――」


 微かに手が震えそうになるところを、頬の内側を噛んで堪えた。

 何度問われたところで、答えは変わらない。

 深呼吸を数度繰り返して、荒ぶる鼓動を鎮めた。クロを見返す。


「覚悟など、とっくの昔に定めている」


 「ほう」と驚くような息。

 それを疑問に思う間もなく、クロはパチパチと乾いた拍手の音を響かせた。


「いやぁお見事ですお見事! そこまでの覚悟がおありとは、思いもしませんでした! いやぁお見事!」

「話は終いか」

「えぇ、私の方からこれ以上は何も。今の魔王様ならば、きっと勇猛に戦ってくれるでしょうからね」

「……そうか」


 ホッと息を吐くと同時に、気が緩む。

 知らず知らずの内に緊張が高まっていたのか。手の平にびっしりと汗が滲み出ていることに今更気がついた。

 だが緩んだ一時も、そう長くは続かない。


「む」

「おや。どうやらお客様のようですね」


 ヘクトルとクロに言われて、魔王も外の気配を探る。

 確かに、慌ただしい足取りで近づいてくる気配が幾つかある。間違いなくこの国の人間だ。


「長居しすぎたか」

「申し訳ありません、どうやら長話をしすぎたようでして」

「いや構わん」

「私はここに残りますので、魔王様たちはどうぞお先に」


 やはり殿を努めるつもりか。

 そのことに謝意を抱きながらも、その場を後にしようとしたところで。


「――そうだ魔王様。今度こそ最後に、一つだけ」

「何だ?」


 ちらと視線だけ寄越す。

 いつも通りの怪しい所作のまま、クロは口を開いた。


「いざという時は、ご先祖様に頼ってみるといいと思いますよ」

「………」

「皆敗戦続きで鬱屈しているでしょうからね。きっと、魔王様の勇猛な意思に続いてくれるかと」


 ここまでと比べると、ずいぶんと曖昧な言葉だ。

 だがそのことに首を傾げる間もなく、慌ただしい足取りの主が部屋のすぐ外に迫っているのが分かった。


「お急ぎを」

「……あぁ」


 「行くぞ」と、ヘクトルとミレディを促す。

 故郷の地に比べるとずいぶん眩しい陽の光。それに僅かに眼を細めてから、魔王たちは瓦礫の山に足をかけ、一息に外へと飛び出した。

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