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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
380/462

第380話

 ――空から強大な気配が迫っている。




 そのことを微かに察知した瞬間に、ヒカルは身に宿る加護の力を引き出した。

 まともに理性は動いていない。僅かに残っていた戦士としての本能が、ヒカルの身体を衝き動かす。

 勇者の証たる数々の武具は、今は手元にない。それでも、元来備わっている加護を発露させるくらいは、ヒカル一人の力でも可能だ。


「壁を作るように――」


 イメージを脳裏に描いた。

 今の自分の力では、皇城一帯を防ぎ切ることはできない。範囲は最小限に――ヒカルたちがいる客室に限定する。

 魔力が集結する。


「まずい。ヒカル、リーシャ! すぐに伏せ――」

「――隔てるッ!」


 見る者が見れば、それは結界の応用だと気づくことができただろう。

 客室と空とを隔てるように、漆黒の壁が築かれた。

 その間を行き来していた風、音、光の一切が遮断され、さながら黒い板が空を覆い隠したような錯覚を覚えさせる。

 直後に――爆発。


「きゃぁっ!?」

「これは……!?」


 足元の床が大きく揺れる。

 頑丈そうな大理石の床に一瞬で亀裂が走り、その間から砕けた石粉がもうもうと立ち昇る。あっという間に視界の半分が灰色の幕に閉ざされ、周囲の状況を窺うことすら難しくなった。

 咄嗟に魔力探知を発動させ、背に庇ったリーシャたちが無事でいることを確かめる。


(ひとまず、最初の衝撃は防げたけど――)


 ヒカルの小市民的な一面がパニックを起こす他方で、ひどく冷え切った勇者ヒカルとしての意識が、素早く状況を分析する。

 ヒカルたちがいた客室だけは、なんとか衝撃を防ぐことができた。だがその外――皇城の大半や、その下に広がる皇都の街並みには、甚大な被害が出ていることは間違いない。耳を澄ませば、外からは悲鳴混じりの喧騒が聞こえていた。

 衝撃の原因は不明。である以上、第二撃第三撃が来ないという保証もまた、どこにもない。


(今は辛うじて防げた。だけど、次も同じように防げるとは限らない)


 ゆえに、まず優先するべきは身の安全の確保だろう。

 そう結論づけたところで、ヒカルは振り返る。


「二人とも! 大丈夫!?」

「……ヒカルのおかげで、何とかね。それより、今の衝撃は――」


 事態の急変に対する戸惑いも鎮め、リーシャは唯一事態を理解していそうな者――レレイへと視線を転じた。

 二人の視線を集めたレレイは、重々しい表情で頷く。


「恐らく、私が危惧していたものだ」

「つまり?」

「至高の竜種、その一柱が攻めてきた」


 聞き慣れない言葉に、ヒカルは首を傾げた。


「至高の竜種?」

「お伽噺よ。遥か北の地を探検した冒険者が伝えた、幾万の歳を生きたという竜種。正直、眉唾ものではあったけど……」

「事実だ。私とヤマトがこの眼で確かめた」


 その言葉に、ヒカルはかつてのヤマトの言葉――北地でレレイと出会ったという話を思い出す。

 恐らく、レレイが語っているのはその当時のことだろう。

 一方のリーシャはなおも半信半疑な表情ながら、ひとまず話をそのまま進めることにしたらしい。小さく頷き、土煙も徐々に収まりつつある部屋を見渡した。


「とりあえず、そういうことにしましょう。その至高の竜種が、どうして帝国を襲ってきたのかしら」

「竜種の里を襲った者が、帝国に与していたらしい。少なくとも彼らは、そう確信していた」

「……それが真実にせよ虚偽にせよ、私たちにはとんだ迷惑ね」


 溜め息を零しながらも、リーシャの眼に本気で疎んじている色はない。

 土煙もすっかり晴れ、半壊した客室が一望できる。ヒカルが咄嗟に展開した防壁のおかげで全壊こそしていないものの、天井は全て引き剥がされ、頭上には青々とした空が広がっていた。その外からは、慌ただしい人々の足音や話し声が聞こえてくる。


「ずいぶんと混乱しているみたい」


 ただその一言で、ヒカルもリーシャの言わんとしていることを理解した。


「この騒ぎに乗じるつもり?」

「脱出するには絶好の機会よ。……あのアナスタシアって人の言いなりになるのは、癪ではあるけどね」

「それはまあ、確かに」

「今なら、私たちを監視するどころではないでしょう」


 頷きながら、ヒカルは背に庇っていたリリ――アナスタシアの制御が離れてから、眠るように意識を閉ざした少女を見やった。


「リリはどうしよう」

「ヒカルはどうしたい?」

「私は……」


 胸の内に躊躇いが生じる。

 アナスタシアの言葉を信じるならば、彼女はアナスタシア手製のホムンクルスだ。これまで接してきたリリという少女の人格は、アナスタシアが仮初めに生み出した紛い物でしかない。


 ――だが、それでも。


「連れて行こう」

「それでいいの?」

「置いていったりしたら、そっちの方が後悔しそうだから」

「……分かった。なら、ちゃんと連れて行きましょうか」


 苦笑い混じりではあったが、リーシャも頷いてくれた。

 それにホッと息を漏らしつつ、ヒカルは周囲を見渡す。


「えぇっと……、ここからどう動こうかな」

「それどころではないとしても、人目につくのは避けた方がいいわね。下手に噂が立てば、ここを出た後に動きづらくなるから」

「騒いだりさえしなければ、誰かに見咎められることもないはずだ」

「なら、瓦礫伝いに出ていけばいいかしら」

「恐らくは」


 リーシャとレレイの間で、トントン拍子に話がまとまっていく。

 それを邪魔しないように口を閉ざしながらも、ヒカルは椅子の上で寝かされていたリリを背負う。

 少女とはいえ、優に数十キロは越す重石だ。それを背負ってなお動きに支障がないことを確認して、思わず苦笑いが漏れた。


(元いた世界じゃ、こんなことはできなかっただろうけど)


 重荷としか思えなかった勇者の加護。その恩恵のおかげで、こうしてリリを背負うことができている。そのことを喜ぶべきか、悲しむべきか。

 思わず淡い郷愁の念に囚われそうになったところで、急いで首を横に振り、雑念を払い落とした。


「リーシャ、レレイ。私がリリを担ぐから、二人は周囲の警戒を――」




「おや? 揃いも揃って、どこへ行くつもりですか?」




 耳に届いたのは、聞いただけで思わず眉根を寄せてしまうほどに不愉快な声。

 幾度も聞いたことのある響きに、脳内の記憶を辿り――即座に答えが導かれた。


「お前は……!」

「そう警戒しないでくださいよ。別に貴方たちの邪魔をするつもりじゃないんですから」


 振り返る。

 先の爆発で大きく開け放たれた天井。その外に重なった瓦礫の上に、黒尽くめの男が立っていた。


 クロ。

 魔王軍の隠密部隊に属するらしい男であり、ヒカルたちの前に幾度も姿を現した、言うなれば“宿敵”としていいほどの相手だ。


(どうしてクロがここに?)


 疑問は尽きないが、だからといって隙を晒していい相手でもない。

 背にしたリリを庇うべく、ヒカルは一歩後ろに下がった。

 代わって前へ進み出たのはリーシャとレレイ――だが、ただ警戒する顔つきなリーシャの一方で、レレイの方は、どこか憤怒を堪えるような表情になっていた。

 その小さな体躯から並々ならぬ闘志を放ちつつ、レレイはクロを前に身構える。


「レレイ?」

「すまないリーシャ。一旦、ここは私に預けてくれ」


 眼を離せば、今すぐにでも飛び出してしまいそうなほどの勢い。

 そこに一種の危うさを感じ取ったのか。リーシャはレレイの言葉に首を横に振り、その隣に立った。


「あいつが一筋縄じゃいかないことは、よく知っているわ。力を合わせて、この場を切り抜けましょう」

「……助かる」


 リーシャの言葉に、レレイは小さく頷いた。

 頭の内に溜まった熱を払うように、数度の深呼吸を繰り返す。幾分か淀みの失せた瞳で、前方のクロを睨めつける。


「――いてほしくはなかった。だが、まさか本当にここにいたとはな」

「私としては、貴方がここにいることも結構驚きなんですけどねぇ」

「戯言を」

「本当のことですってば」


 ヘラヘラとして掴みどころがなく、それでいて常に相手を愚弄するような軽薄な口振り。

 その一言一句が耳に入るたびに、胸の内に嫌悪感が募ってくることが感じられた。

 思わず顔をしかめながら、レレイとクロの会話を聞き続ける。


「何が目的だ」

「何の話ですか?」

「とぼけるつもりか」


 軽くはぐらかそうとするクロの態度に、レレイは不快そうに眉根を寄せた。


「竜の里の襲撃。あの時、お前たちはわざと里に痕跡を残したな? 隠すことはせず、むしろ誇示するように、この国までの道標を築いた」

「へぇ?」

「復讐の念に燃える竜たちが、やがてその痕跡に気がつき、追跡してくることは明白。つまりお前はあの時から、竜を帝国に呼び寄せることが目的だった」


 「違うか?」と問うようなレレイの視線。

 それに対してクロは――フードの奥から覗く口元に、ゆっくりと孤を描いた。


「たまたまです。私の力量では、竜の眼を欺くことはできなかった――なんて言っても、いいんですけどねぇ?」

「………」

「正直に答えましょうか。よく気がつきましたねぇ、お見事ですお見事!」

「つまり、お前は」

「貴方の仰る通りですよ。私は分かりやすく足跡を残して、この帝国へ続くように道を作った。無論、竜がそれに続くことを期待してましてね」


 クロの話が続くに連れて、自分の眼尻がどんどん鋭くなっていくことを自覚する。


「何が目的だ」

「やはり気になっちゃいます? ですけど残念! これを話すわけにはいかないんですよねぇ。どこに誰の眼があるとも分かりませんから」

「ふざけたことを」

「おぉ恐い恐い」


 微塵もそうとは思っていない口振りで、クロは大仰に震えてみせる。

 つくづく、その言動で人を煽ることに長けている男だ。

 知らず知らずの内に身体に溜まり始めた熱を吐き出し、クロから視線を外そうとしたところで。


「――おっと、そこの可憐なお嬢さん。実を言いますと、貴方に用があってここまで来たんですよね」

「………」

「兜なんて被ってない方がいいですよ。顔を晒している方が、皆の士気も上がるでしょうに」


 思わず、頬に手を伸ばす。

 かつてクロと対面した時には、いずれも兜で素顔を隠していた。認識阻害の術式も混ぜた特注品だったはずなのだが、やはりと言うべきか、クロには通用していなかったらしい。

 溜め息を零したくなるところを堪えて、クロを睨めつけた。


「何の用だ」

「そう物騒な言葉遣いも、別にしなくていいと思うんですけどねぇ……」

「答えろ」

「やれやれ」


 やたら勿体ぶるように溜めを作ってから、クロはヒカルの顔を覗き込んできた。

 どこまでも深い底なし沼を想起させるような、ドロリとした黒い瞳だ。

 その怖気のあまり、背に寒気が走ったところで。フードの奥から、クロはニヤリと怪しげな笑みを浮かべる。


「貴方、まだ目覚めていませんね?」

「何……?」

「見れば分かります。用意した場の質は、決して低くはなかったはずなんですが。お供の方がよくなかったのかもしれませんね」


 眼と眼を合わせていたヒカルにだけ、僅かに伝わる感情の揺れ。

 その正体を掴む間もなく、クロは再びフードの奥へと眼を隠してしまう。


「ですがもう時間はありません。光と闇は既に交わり、賽は投げられた。望むと望まざるとに関わらず、時は移ろい、やがて決着の場が整う。その時のためにも、貴方は更に力を求めるべきでしょうね――」

「何を言っている」

「もうすぐ正念場だ、ということですよ」


 くるりと踵を返し、クロは瓦礫を踏み越え立ち去ろうとする。

 咄嗟にその背を止めるべく、ヒカルは手中に魔力の弾を形成させた。続いてリーシャとレレイも身構える。


「行かせると思うか」

「私は支援する。レレイ、前は頼める?」

「無論。任せろ」

「……やれやれ。どうしてこう血気盛んな人が多いんでしょうねぇ」


 呆れるような溜め息。

 肩を竦めてから、クロは大きく両の手を打ち鳴らした。


「お二人とも! ここは任せてもいいですか!」

「何を――」


 首を傾げる間もなく、強大な気配が二つ、クロの両脇へどこからともなく現れた。

 見覚えのあるその姿に、思わず眼を剥く。


「確か顔見知りでしたよね? ならここは二人に任せて、私はさっさと退散するとしましょうか」

「なっ、待て!」

「ではでは!」


 パチンッと指を打ち鳴らすと共に、クロの姿が空へ溶け込むようにして消えてしまった。

 魔力の揺らぎを感知する間もない早業。

 相変わらずの熟達の技巧には舌を巻いてしまうが、今はまんまと姿を暗まされたことへの苛立ちが先立った。

 怒りをそのまま、残された二人へと向ける。


(見覚えがある、なんてものじゃない……)


 その二人の風貌は、しっかりとヒカルたちの脳内に焼きついていた。

 見るからに確かな力量を感じさせる風貌。だがその最も特徴的な部分は、二人して顔面を覆い隠している仮面――悲しみを湛えた青鬼と、怒りを顕わにした赤鬼にあるだろう。


 青鬼と赤鬼。


 聖地襲撃の際にもクロの側近として出張ってきた、二人の戦士だ。


「貴方たちは――」


 問い詰めようとしたヒカルに先んじて、リーシャが前へ進み出た。

 その表情に浮かんでいるのは、喜びか、怒りか、悲しみか。あるいはその全てが入り混じったものか。

 激情に唇を震わせながら、リーシャは視線を一点――沈黙する青鬼へと叩きつける。


「どうしてここにいるの――兄さん!」

「………」


 青鬼。

 その正体は、かつては天才聖騎士として大陸に名を馳せ、ここにいるリーシャの兄でもあった青年ジーク。

 かつてヒカルたちと極東の地にて争い、死闘の末に敗北して拘束されていたはずだった。――それが、なぜ。


「答えて!!」


 どこか悲鳴にも似た叫び声。

 それを前にしてなお、青鬼の面を被ったジークは微動だにせず、無言をもって答えとしていた。赤鬼と揃って己の得物を手にし、身構える。

 会話をするつもりも、このままヒカルたちを見逃すつもりもないらしい。


(できれば戦いたくはなかったけれど――)


 こうなった以上は、仕方あるまい。


「リーシャ、構えて」

「だけど……!」

「問い詰めることなら、戦いが終わった後でもできるから」


 言いながら、ヒカルもできる限りの加護を自己に上乗せしていく。

 かつて実際に刃を交えたからこそ理解できる。彼らは手加減したまま勝てるような相手ではない。ここを切り抜けたいのならば、全身全霊をもって立ち向かうべきだ。

 リーシャ自身も、そのことは痛感していたのだろう。なおも言葉を募らせたい様子ながら、体内の魔力を活性化させる。


(苦しい戦いになりそうね)


 ヒカルもリーシャも、元々帝国の虜囚として軟禁されていた身だ。

 得物になるようなものを持たされていたはずもなく、自然素手で戦うことになる。唯一頼りになるのは、元々格闘術を得意としていたレレイくらいか。

 だが、それでも。


(やるしかない!)


 初手を制するべく、青鬼と赤鬼の動きに眼を凝らす。

 竜の襲撃で湧く皇城の一角で、静かに戦いが始まろうとしていた。

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