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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
376/462

第376話

 扉がゆっくりと開かれる。

 その先から姿を見せたのは、二人の男性だ。


(皇帝と、その護衛か?)


 どちらが皇帝であるかは、わざわざ見定める必要もなかった。

 汚れ一つない白銀の髭と髪を蓄えた老人が、やけに冷徹な眼で室内を睥睨し、ノアとフランを捉える。その瞳に滲む感情の色は、ヤマト程度の眼で悟ることはできそうにない。

 二人は即座に、老人に向けて頭を垂れた。


「お待ちしておりました、お父様」

「父上。本日は私共のために時間をお使いいただき、誠にありがとうございます」


 いつになくノアが畏まっている。

 そのことを意外に思う間もなく、老人――帝国皇帝は「うむ」と端的に応えた。しばしノアの後頭部を見下ろしていたかと思えば、やがて興味を失ったように視線を逸らす。


「時間は短い。端的に話せよ」

「……はっ」


 その光景は、ヤマトにとっては到底理解し難いものだった。

 親と子の再会とはとても思えない。主君と家臣であっても、もう少し穏やかな会話がなされるものだろう。だが皇帝とノアの関係は、それらよりも更に冷え切っていた。互いに仇敵を目前にしているような、妙な緊張感が張り詰めているようにすら思える。


(息苦しい光景だ)


 見るに堪えない再会から、そっと眼を逸らす。

 何気なく向けた視線の先にいたのは、皇帝と共に入室した男だ。


(武官。それも相当に高位な者だろう)


 皇帝の身の安全を、最も近い場所から警護しているのだ。騎士団長くらいの地位があってもおかしくはない。

 そんな思いで、男に眼を向けて。


「な……ッ!?」


 思わず、息を呑む。

 中肉中背で茶髪の男。服越しにも伝わる丹念に鍛え上げられた肉体や、やたらと鋭い野犬のような眼光は、確かに特徴的ではあるものの、殊更に珍しいものではなかった。ただ風貌を一瞥しただけでは、彼が皇帝の側近である理由を知ることはできない。

 だが、その内に秘められた闘気は、格別の一言に尽きる。


(どれほど鍛えれば、この高みまで至れる? いや。これは本当に人が至れるものなのか……?)


 測ろうとして、測れるものではない。

 ただ気が莫大なだけに留まらない。その端々に至るまでの一切を僅かな乱れもなく制御し、またそうであることが自然であるかのように振る舞う胆力。その全てが、並大抵の者とは格別した実力を裏打ちしていた。

 己と比較しようと画策することすら烏滸がましい。圧倒的な格の違いを見せつけられ、ただ没我することしかできない。

 ゆえに、それは半ば偶然の産物だった。


「―――!」


 力なく垂れ下がった指先が、腰の刀に触れた瞬間。

 電撃が奔るような錯覚と共に、我を失していた意識が息を吹き返す。見上げるだけで魂を擦り減らすほどの高みを目前に、萎えかけていた闘志の炎が、今再び熱を上げ始めた。

 眼を閉じること数瞬。

 再び顔を上げたところで、その男と視線が絡み合う。


「ほう……」

「ラインハルト。何かあったか?」

「……いや。大したことではない」


 相変わらず冷たい瞳をした皇帝だが、そんな彼の問いかけに対して、男――ラインハルトはぶっきらぼうに返答する。

 だがその言葉とは裏腹に、ヤマトへ向けるラインハルトの眼差しには、一言では形容し難い感情の渦が巻いているようだった。

 そしてそれは、ヤマトの方も同様である。


(ラインハルト、か)


 その名を魂の奥底に刻み込む。

 刃を交えずとも、対峙せずとも、言葉を交わさずとも、本能で理解できてしまう圧倒的な格差。一朝一夕で埋められるようなものではなく、ゆえに闘志は滾るよりも先に萎えようとしていた。

 だが、ヤマトが高みを――武の頂を目指す以上、いずれは乗り越えなければならない壁でもある。


(いつか手合わせをしてみたいものだ)


 身体を立ち昇りそうになった闘気を宥め、視線を正面へ戻す。

 皇帝とラインハルトの格を前に、やはり没我していたノアたち。だが彼らもすぐに気を取り直すと、その眼を皇帝へと向けた。

 手始めに口を開いたのは、ノアだ。


「父上。先日の北地派兵について、父上の真意をお聞かせください」

「真意とな」

「えぇ。父上のことです、ただ魔族が疎ましかったから、というだけではないのでしょう? お聞かせください。父上は今回の派兵の先に、何を見ているのですか」


 どこか挑戦的なノアの言葉。

 それに対する皇帝の返答は、どこまでも冷え切った、それでいて何かを面白がるような笑みだった。


「回りくどい。単刀直入に言ったらどうだ? 『私は派兵に納得ができていない』とな」

「………」

「その上で、私はお前にこう言うとしようか。――なぜ、お前を納得させる必要がある?」


 それは、独裁者の発言だ。

 己の決定のために他者の許しはいらない。そのことを自覚したがゆえの、傲岸不遜な物言い。ただの一個人が口にしただけのものであれば、それは失笑されるものだっただろう。

 だが相手は、皇帝だ。この帝国の頂点に立つ存在であり、ゆえに傲慢であることが許された殿上人。


「帝国は私の国だ。曲がりなりにもお前が皇室の一員であると認めたとして、その事実は変わらない。この国の舵は私が握り、お前はそれに乗る客人でしかない。……いやお前は放逐された身、船の客ですらない」

「それは……っ!」

「その上で、あえて問おう。お前はどのような理由から、私に口を利いている? なぜ私が、お前を納得させなければならない」

「………」


 ノアは口を噤んだ。

 瞳に何の感情をも移さず、傲岸不遜な発言をしながらも表情はいたって平静。その言動から、皇帝の感情を読み取ることはできそうにない。まるで人の語を解する機械を前にしているような感覚に、ノアはひたすら困惑する他ないのだろう。

 どう言えば皇帝を説き伏せられるのか。その手がかりを模索している。


 ――だが。


(ここで沈黙するのは、悪手だ)


 理屈でなく直感から、ヤマトはそう判断した。

 現にノアへ向けられていたはずの皇帝の眼は、既に彼からは離れており、徐々に奥を見通せないほど深い淀みに覆われ閉じられようとしている。興味一切がこの場から失せようとしているのだ。

 咄嗟にアナスタシアへ視線を転じるが、彼女に口を開く気配はない。場を静観するつもりだ。


(まずい。このままでは――)


 募る焦燥感に任せて、口を開こうとした時。


「まあお父様。それはあまりにも冷たくはないですか?」


 淀んだ空気をふっと軽くさせるような、華やいだ声が響いた。

 全員の視線が一点へ集中する。


「フラン。何が言いたい」

「簡単なことですわ。ノアは数年もこちらに帰っていなかったのです。なので、お父様の決断に驚いてしまっているのでしょう」

「………」

「お父様の決断に際し、お兄様が賛同し私は反対した。その結果、私は軟禁されました。私たち家族の輪が壊れてしまうのではないかと、ノアは心配しているのです」

「情が理由だと?」

「えぇ」

「理解し難い」

「それが情というものですわ」


 物腰こそ柔らかいものの、フランの眼には一歩も譲るまいとする強い決意の光が宿っていた。

 筋道立った理屈や理路整然とした策謀。その一切が窺えないが、ゆえに今の彼女を力ごなしに退かせることは、困難を極めるだろう。

 皇帝も、そう判断したのか。


「……度し難い娘だ」


 不愉快そうに眉間にシワを寄せながらも、眼の焦点を再びノアたちへ合わせた。ひとまず話を続ける気にはなったらしい。


「フラン。離宮から勝手に出てきた件は、後で仕置きをするぞ」

「まあ」

「それで、ノア。お前が聞きたいことは、派兵における私の真意だったな」

「……はい。是非お聞かせください」

「二度は言わんぞ」


 皇帝私人の理由というよりも、今なお職務に追われる身の上だからであろう。

 応接室の戸が控えめにノックされ、文官が皇帝を呼ぶ声が聞こえる。

 それに「今行こう」と返答しながら、皇帝はノアに語った。




「万難を排すためだ」




「……万難?」


 あまりに端的すぎる答え。

 その要領を掴めないがために、ノアは問い返すが――皇帝は取り付く島もない。


「二度は言わんと、先に言ったはずだ」

「ですが父上――!」

「くどい」


 冷酷に、ノアを突き放した――直後のことだった。


 ――妙な胸騒ぎ。


「これは……?」

「陛下。お気をつけください」


 ヤマトが周囲に視線を巡らせるのと同時に、これまで沈黙を守ってきたラインハルトが動き始めた。遅れて、セバスも肩を震わせる。

 真っ先に戦闘態勢へ入ったラインハルトの視線は、天井――それを更に越えて、遥か彼方の上空へと向けられていた。


「“何か”が迫って参ります」

「ノア。アナスタシア。身構えろ」

「フラン様。どうかお気をつけを」


 にわかに高まる緊張感に、各々の表情が強張る。

 その最中、溜め息と共に呟かれた皇帝の言葉が、ヤマトの耳に滑り込んだ。


「今日は招かれざる客の多い日だな」


 瞬間。

 堅牢を誇る皇城が、地鳴りと共に大きく揺れ動いた。

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