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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
374/462

第374話

「――ここが戦場になる? それって」


 皇城の一室。

 長らく離れ離れだったヒカル・リーシャ・レレイの三名は、久方ぶりの再会を喜ぶのも束の間、にわかに緊張を高めていた。


「レレイ、何を知っているの? 教えてくれる」


 声音こそ柔らかいものの、リーシャの眉間にシワが寄っていく。

 そんな彼女を前にして、レレイは大した気負いを見せることなく、飄々と頷いてみせた。


「言葉通りだ。この地に――帝国に脅威が迫っている。間違いなく、ヒカルたちも巻き込まれることになる」

「……その脅威というのは?」

「それは――」


 間髪入れずに答えようとして、ふと思い出したようにレレイは視線を転じた。

 その先にいるのは、先程から不思議そうな表情を浮かべている童女リリ。

 「彼女に聞かせていいのか」。

 そう尋ねるような視線に、リーシャは数瞬だけ躊躇った後、リリへと笑顔を向けた。


「ごめんなさいリリ。私たちはこれから大事な話をするから、ちょっとお外で待っててくれる?」

「え?」

「本当なら、貴方にも聞かせるべきなのかもしれないけど……」


 揺れるリーシャの視線。

 彼女を後押しすべく、ヒカルも頷いた。


「難しい話だから。ちゃんと後で、私たちから話しましょう」

「そういうことだから。ごめんなさい、リリ」


 繰り返して、眉尻を下げながらリーシャは謝る。

 キョトンと困惑で眼を丸くさせていたリリだが、どうやらリーシャが真摯に語ってくれていることは伝わったのだろう。躊躇いながら、だが確かに小さく、頷い――、




「…………接続、完了」




 ポツリと、呟いた。

 途端に、糸が切れたようにリリは顔を伏せさせる。


「え?」


 リーシャが首を傾げる。

 白昼夢を眼にしているような感覚。疑問符で頭をいっぱいにさせる他なかったヒカルとリーシャに対して、一歩外れていたレレイは、にわかに眼差しを鋭くさせた。


「ヒカル、リーシャ。構えて」

「え? だけど……」

「いいから」


 緊張感、というには生温い。

 後ろにいるヒカルが息を呑むほどの殺気が、洗練された闘志に混じりながら放たれる。

 その先にいるのは、俯き表情の窺えないリリ。その場で立ち尽くしたまま、微動だにしていない。


(何なの? 突然、ボーッとして……)


 魂が抜け落ちたような、と形容するのが最も相応しいだろうか。

 ビリビリと空気が震えるほどのレレイの殺気を前にして、リリは身構えることも怯えることもしない。――まともじゃない。


「リリ? いったいどうしたの? 答えて――リリ!」

「………」


 半ば悲鳴に近いリーシャの叫び。

 それを受け、ゆらりと身体を揺らしたリリは――おもむろに顔を上げる。


「な……っ!?」

「………」


 そこに表情はない。

 喜怒哀楽を豊かに表していた少女の顔は、まるで仮面を貼りつけられたように、頬すらも動かない。

 込み上げる感情のままに、ヒカルは手中に魔力をかき寄せた。


「貴方は、いったい誰?」

「………」

「リリをどうしたの? 答えなさい!」


 返答は、ない。

 胸の内で膨らむ焦燥感のまま、魔力を更に凝縮させて――、


「………ぁ、あぁー」


 リリの口が動いた。


「リリ!?」

「あー、ぁ、あ、あぁー……。よし、繋がったか」


 喜色を顔に叫んだのも束の間。

 リリの口から立ち昇った声が、徐々に感情に彩られ、やがて一個の人格を形成し始める。

 断じて、リリのものではない。


「貴方は……」

「お? なんで三人いるのか分からねぇが……、まあ都合はいいか」


 リリが顔を上げる。


(リリじゃない。この子は誰?)


 躊躇うヒカルたちを他所に、我を取り戻したリリは、軽く手の平を開閉させる。


「身体の調子も悪くない。戯れで放置していたが、なかなかどうして上手くいったな」

「……貴方は何者ですか」

「あ?」


 三人を代表して問うたリーシャに、リリ――否。リリの身体に取り憑いた“何者か”は、ひどく荒っぽい声で応じた。

 村娘らしい純朴な顔。だがその瞳に宿る光は、ギラギラと獰猛に輝き、リリを介している人物の内面を如実に映し出している。獣か、魔物か。いずれにしても、とても穏やかなようには見えない。

 その眼光に一瞬だけ気圧されたように怯んだリーシャだったが、すぐに威勢を取り戻す。


「何者だと尋ねています。答えなさい」

「おいおい、ずいぶん上から物言ってくれるじゃねぇか。ご挨拶だな」

「答えなさい」

「けっ! 冗談の通じねえ女だ」


 今すぐにでも斬りかかってしまいそうな勢いのリーシャだが、そうしても意味がないことは理解できているのだろう。例え眼の前の童女を斬ったところで、それで傷つくのはリリだけだ。

 悔しげに歯噛みする。

 そんなリーシャを嘲笑する“何者か”は、だが一瞬だけ遠い眼になると、表情を改める。


「もうちょい相手をしてやりたいところだったんだが、時間がなさそうだ。手短に行くぜ」


 コホンと軽い咳払いをしてから、ヒカルたちの顔を一つ一つ見つめていく。


「俺はアナスタシアだ。エスト高原で通信はしただろ? 今回はお前らに話があったから、コイツの身体を使わせてもらった」

「……使うだと? 何を面妖な――」

「細かい話は後だ後」


 リーシャの反論を即座に黙らせ、“何者か”――アナスタシアは話を続ける。


「俺の要件は一つ。この部屋で引きこもってるお前らに、ちょっくら動いてほしいんだよ」

「リリの安全と引き換えに、ということか?」

「あ? んなわけあるか」


 一蹴。

 意外そうに眼を丸めたヒカルたちを前に、アナスタシアは怪訝そうな面持ちをした後に、面倒くさいと言うような溜め息を零した。


「……そうか。お前らまだ気づいてなかったのか」

「気づく? いったい何の話だ」

「こいつの正体だよ」


 言いながら、アナスタシアは自身の胸を指差す。


「リリの正体について?」

「あぁ。単なる魔族ってだけじゃねぇ、くらいは想定してたんじゃねぇか?」

「………」


 答えは、沈黙。

 何か確証があった疑いではない。だが、リリが魔族の一少女らしからぬ落ち着きを見せるところや、故郷に対する寂寥の念を抱いていないことに、一抹の疑いが生じていたのも事実だ。

 そんなヒカルとリーシャの反応に、アナスタシアはリリの顔を使って悪どい笑みを浮かべる。


「ざっくり言えば、コイツは俺が作った疑似生命体だ。仮初の人格を植えつけているが、こうして俺が出張れるように調整してある」

「疑似、生命体?」

「俺が作った人形ってことさ。成分こそ生身の人間と同じだが、その構成は俺が全部整えた」

「そんな……!」


 やや大仰なほどにリーシャが声を上げる。

 だがそれも、無理ない話なのだろう。ヒカルは元いた世界の常識ゆえに、疑似生命体と言われても多少の理解を示せた。だがリーシャには――元聖騎士として規律を重んじてきた彼女にとっては、それは生命を冒涜する行為に等しい。断じて、許すわけにはいかない。

 嫌悪感を顕わに、リリを――その先にいるだろうアナスタシアを、リーシャは睨めつけた。単なる怒気というには、些かならず剣呑さが過ぎる。

 その煽りを受けて、アナスタシアは降参するように両手を上げた。


「やれやれ。そう怖い顔すんなって」

「貴方、それがどれだけ許されないことか――」

「リーシャ。いったん落ち着いて」


 激昂するリーシャを、既のところで抑えつける。

 彼女の憤りは理解できるが、今はそれを解放させてやるわけにはいかない。

 そうした理屈を、リーシャも理性では理解できているのだろう。怒気で濁った眼を鋭くさせながらも、深呼吸を数度繰り返し、そっと元の席に腰を下ろす。


「……それで。本題を聞かせてもらえるかしら」

「おう。そろそろこっちの時間も迫ってきたからな」


 言いながら、アナスタシアも備え付けの椅子に勢いよく腰を下ろした。

 素肌が覗くのも気にせず大胆に足を組み、胸を張る。


「率直に言うぜ。今この城には、ヤマトとノアが来ている。お前たちには、彼らと合流してほしいんだ」


 思わず、耳を疑った。


「ヤマトとノアが?」

「本当なの!?」


 にわかに身を乗り出してしまう。

 他方のレレイはアナスタシアの言葉を受け、そっと眼を閉じると。


「……確かに、二人の気配を感じる」

「分かるのか?」

「ボンヤリとだがな」

「大したもんだ」


 呆れるようにアナスタシアは感嘆の声を漏らすが、やがて気を取り直すように、咳払いを一つする。


「まあそういうことだ。お前らとしても、仲間たちと合流するに越したことはないだろ? だからさっさと――」

「――待て」

「あん?」


 調子よく言葉を続けようとしたアナスタシアを、レレイの鋭い一声が打ち止めた。


「何だよ。問題があるってのか」

「逆に問うが、問題がないとでも?」

「………」

「………」


 互いに沈黙。だが両者とも、一歩も譲らないという強硬な姿勢を崩そうとしない。

 再び高まる緊張感に溜め息を堪えながら、ヒカルは脳内で状況を整理し始めた。


(私たちがここを抜け出して、ヤマトたちと合流する。その問題点は何?)


 考えるまでもない。答えはすぐに導かれた。


(帝国との関係悪化。部屋から無断で出た時点で、帝国に喧嘩を売ったことになってしまう)


 それは、あまり上策とはいえないだろう。

 そもそもヒカルたちは帝国軍に敗北を喫したから、この皇城で軟禁されているのだ。牢獄でなく客室に留め置かれているのは、一種の信用を帝国がしているからと解釈できよう。

 すなわち、ここを無断で出ることは、帝国の信を裏切ることになる。


(仮に脱出できたとしても、それは勇者に相応しい行為じゃ――)


 考えかけて、思考に歯止めがかかる。

 勇者。

 ごく当たり前のようにその称号を受け入れ、これまでその責務を果たさんと邁進してきたが。


(私は、本当に――?)


 それは長い監禁生活を経て芽生えてしまった思想。

 己が勇者であり、勇者として責務を果たす。以前までは自然に受け入れていた現実に、疑問が生まれてしまった。


 ――私が勇者ヒカルである必然性は、いったいどこにあるのだろう。


「―――っ」

「あん? どうかしたかよ」

「……いえ。何でもないわ」


 無意識に身震いが生じる。

 握りしめた手の平に爪を立て、その鋭い痛みで揺れる思考を取り戻そうとするが――定まらない。


(私はいったいどうしたら……?)


 そんな逡巡を、どう解釈したのだろうか。

 リリの身体を借りたアナスタシアは、面倒くさそうに頭を掻いてから、口を開いた。


「まあ今すぐ答えを出せとは言わねえよ。――ただ、すぐに転機が来るはずだぜ」

「転機?」

「あぁ。もうすぐ大事件が起こる。かつてない騒動に、警備も緩むんじゃねぇかな」

「……そこが好機、と言いたいのね」

「まあな」


 思案する素振りを見せながら、ちらりとレレイの方へ視線を転じる。

 わざわざ皇城に忍び込んでレレイが告げてくれた、「皇城が戦場になる」という忠告。そして、アナスタシアの「もうすぐ大事件が起こる」という予言。


(無関係、なはずがないわね)


 レレイとアナスタシアが、それぞれどんな事情を抱えているのか。彼女らが何を知り、そして何を思って、囚われのヒカルたちに接触してきたのか。

 その真意の底までは定かではないものの――、


「……考えておきましょう」


 弱くない決意の光を瞳に宿して、ヒカルはアナスタシアの言葉に応えたのだった。

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