第374話
「――ここが戦場になる? それって」
皇城の一室。
長らく離れ離れだったヒカル・リーシャ・レレイの三名は、久方ぶりの再会を喜ぶのも束の間、にわかに緊張を高めていた。
「レレイ、何を知っているの? 教えてくれる」
声音こそ柔らかいものの、リーシャの眉間にシワが寄っていく。
そんな彼女を前にして、レレイは大した気負いを見せることなく、飄々と頷いてみせた。
「言葉通りだ。この地に――帝国に脅威が迫っている。間違いなく、ヒカルたちも巻き込まれることになる」
「……その脅威というのは?」
「それは――」
間髪入れずに答えようとして、ふと思い出したようにレレイは視線を転じた。
その先にいるのは、先程から不思議そうな表情を浮かべている童女リリ。
「彼女に聞かせていいのか」。
そう尋ねるような視線に、リーシャは数瞬だけ躊躇った後、リリへと笑顔を向けた。
「ごめんなさいリリ。私たちはこれから大事な話をするから、ちょっとお外で待っててくれる?」
「え?」
「本当なら、貴方にも聞かせるべきなのかもしれないけど……」
揺れるリーシャの視線。
彼女を後押しすべく、ヒカルも頷いた。
「難しい話だから。ちゃんと後で、私たちから話しましょう」
「そういうことだから。ごめんなさい、リリ」
繰り返して、眉尻を下げながらリーシャは謝る。
キョトンと困惑で眼を丸くさせていたリリだが、どうやらリーシャが真摯に語ってくれていることは伝わったのだろう。躊躇いながら、だが確かに小さく、頷い――、
「…………接続、完了」
ポツリと、呟いた。
途端に、糸が切れたようにリリは顔を伏せさせる。
「え?」
リーシャが首を傾げる。
白昼夢を眼にしているような感覚。疑問符で頭をいっぱいにさせる他なかったヒカルとリーシャに対して、一歩外れていたレレイは、にわかに眼差しを鋭くさせた。
「ヒカル、リーシャ。構えて」
「え? だけど……」
「いいから」
緊張感、というには生温い。
後ろにいるヒカルが息を呑むほどの殺気が、洗練された闘志に混じりながら放たれる。
その先にいるのは、俯き表情の窺えないリリ。その場で立ち尽くしたまま、微動だにしていない。
(何なの? 突然、ボーッとして……)
魂が抜け落ちたような、と形容するのが最も相応しいだろうか。
ビリビリと空気が震えるほどのレレイの殺気を前にして、リリは身構えることも怯えることもしない。――まともじゃない。
「リリ? いったいどうしたの? 答えて――リリ!」
「………」
半ば悲鳴に近いリーシャの叫び。
それを受け、ゆらりと身体を揺らしたリリは――おもむろに顔を上げる。
「な……っ!?」
「………」
そこに表情はない。
喜怒哀楽を豊かに表していた少女の顔は、まるで仮面を貼りつけられたように、頬すらも動かない。
込み上げる感情のままに、ヒカルは手中に魔力をかき寄せた。
「貴方は、いったい誰?」
「………」
「リリをどうしたの? 答えなさい!」
返答は、ない。
胸の内で膨らむ焦燥感のまま、魔力を更に凝縮させて――、
「………ぁ、あぁー」
リリの口が動いた。
「リリ!?」
「あー、ぁ、あ、あぁー……。よし、繋がったか」
喜色を顔に叫んだのも束の間。
リリの口から立ち昇った声が、徐々に感情に彩られ、やがて一個の人格を形成し始める。
断じて、リリのものではない。
「貴方は……」
「お? なんで三人いるのか分からねぇが……、まあ都合はいいか」
リリが顔を上げる。
(リリじゃない。この子は誰?)
躊躇うヒカルたちを他所に、我を取り戻したリリは、軽く手の平を開閉させる。
「身体の調子も悪くない。戯れで放置していたが、なかなかどうして上手くいったな」
「……貴方は何者ですか」
「あ?」
三人を代表して問うたリーシャに、リリ――否。リリの身体に取り憑いた“何者か”は、ひどく荒っぽい声で応じた。
村娘らしい純朴な顔。だがその瞳に宿る光は、ギラギラと獰猛に輝き、リリを介している人物の内面を如実に映し出している。獣か、魔物か。いずれにしても、とても穏やかなようには見えない。
その眼光に一瞬だけ気圧されたように怯んだリーシャだったが、すぐに威勢を取り戻す。
「何者だと尋ねています。答えなさい」
「おいおい、ずいぶん上から物言ってくれるじゃねぇか。ご挨拶だな」
「答えなさい」
「けっ! 冗談の通じねえ女だ」
今すぐにでも斬りかかってしまいそうな勢いのリーシャだが、そうしても意味がないことは理解できているのだろう。例え眼の前の童女を斬ったところで、それで傷つくのはリリだけだ。
悔しげに歯噛みする。
そんなリーシャを嘲笑する“何者か”は、だが一瞬だけ遠い眼になると、表情を改める。
「もうちょい相手をしてやりたいところだったんだが、時間がなさそうだ。手短に行くぜ」
コホンと軽い咳払いをしてから、ヒカルたちの顔を一つ一つ見つめていく。
「俺はアナスタシアだ。エスト高原で通信はしただろ? 今回はお前らに話があったから、コイツの身体を使わせてもらった」
「……使うだと? 何を面妖な――」
「細かい話は後だ後」
リーシャの反論を即座に黙らせ、“何者か”――アナスタシアは話を続ける。
「俺の要件は一つ。この部屋で引きこもってるお前らに、ちょっくら動いてほしいんだよ」
「リリの安全と引き換えに、ということか?」
「あ? んなわけあるか」
一蹴。
意外そうに眼を丸めたヒカルたちを前に、アナスタシアは怪訝そうな面持ちをした後に、面倒くさいと言うような溜め息を零した。
「……そうか。お前らまだ気づいてなかったのか」
「気づく? いったい何の話だ」
「こいつの正体だよ」
言いながら、アナスタシアは自身の胸を指差す。
「リリの正体について?」
「あぁ。単なる魔族ってだけじゃねぇ、くらいは想定してたんじゃねぇか?」
「………」
答えは、沈黙。
何か確証があった疑いではない。だが、リリが魔族の一少女らしからぬ落ち着きを見せるところや、故郷に対する寂寥の念を抱いていないことに、一抹の疑いが生じていたのも事実だ。
そんなヒカルとリーシャの反応に、アナスタシアはリリの顔を使って悪どい笑みを浮かべる。
「ざっくり言えば、コイツは俺が作った疑似生命体だ。仮初の人格を植えつけているが、こうして俺が出張れるように調整してある」
「疑似、生命体?」
「俺が作った人形ってことさ。成分こそ生身の人間と同じだが、その構成は俺が全部整えた」
「そんな……!」
やや大仰なほどにリーシャが声を上げる。
だがそれも、無理ない話なのだろう。ヒカルは元いた世界の常識ゆえに、疑似生命体と言われても多少の理解を示せた。だがリーシャには――元聖騎士として規律を重んじてきた彼女にとっては、それは生命を冒涜する行為に等しい。断じて、許すわけにはいかない。
嫌悪感を顕わに、リリを――その先にいるだろうアナスタシアを、リーシャは睨めつけた。単なる怒気というには、些かならず剣呑さが過ぎる。
その煽りを受けて、アナスタシアは降参するように両手を上げた。
「やれやれ。そう怖い顔すんなって」
「貴方、それがどれだけ許されないことか――」
「リーシャ。いったん落ち着いて」
激昂するリーシャを、既のところで抑えつける。
彼女の憤りは理解できるが、今はそれを解放させてやるわけにはいかない。
そうした理屈を、リーシャも理性では理解できているのだろう。怒気で濁った眼を鋭くさせながらも、深呼吸を数度繰り返し、そっと元の席に腰を下ろす。
「……それで。本題を聞かせてもらえるかしら」
「おう。そろそろこっちの時間も迫ってきたからな」
言いながら、アナスタシアも備え付けの椅子に勢いよく腰を下ろした。
素肌が覗くのも気にせず大胆に足を組み、胸を張る。
「率直に言うぜ。今この城には、ヤマトとノアが来ている。お前たちには、彼らと合流してほしいんだ」
思わず、耳を疑った。
「ヤマトとノアが?」
「本当なの!?」
にわかに身を乗り出してしまう。
他方のレレイはアナスタシアの言葉を受け、そっと眼を閉じると。
「……確かに、二人の気配を感じる」
「分かるのか?」
「ボンヤリとだがな」
「大したもんだ」
呆れるようにアナスタシアは感嘆の声を漏らすが、やがて気を取り直すように、咳払いを一つする。
「まあそういうことだ。お前らとしても、仲間たちと合流するに越したことはないだろ? だからさっさと――」
「――待て」
「あん?」
調子よく言葉を続けようとしたアナスタシアを、レレイの鋭い一声が打ち止めた。
「何だよ。問題があるってのか」
「逆に問うが、問題がないとでも?」
「………」
「………」
互いに沈黙。だが両者とも、一歩も譲らないという強硬な姿勢を崩そうとしない。
再び高まる緊張感に溜め息を堪えながら、ヒカルは脳内で状況を整理し始めた。
(私たちがここを抜け出して、ヤマトたちと合流する。その問題点は何?)
考えるまでもない。答えはすぐに導かれた。
(帝国との関係悪化。部屋から無断で出た時点で、帝国に喧嘩を売ったことになってしまう)
それは、あまり上策とはいえないだろう。
そもそもヒカルたちは帝国軍に敗北を喫したから、この皇城で軟禁されているのだ。牢獄でなく客室に留め置かれているのは、一種の信用を帝国がしているからと解釈できよう。
すなわち、ここを無断で出ることは、帝国の信を裏切ることになる。
(仮に脱出できたとしても、それは勇者に相応しい行為じゃ――)
考えかけて、思考に歯止めがかかる。
勇者。
ごく当たり前のようにその称号を受け入れ、これまでその責務を果たさんと邁進してきたが。
(私は、本当に――?)
それは長い監禁生活を経て芽生えてしまった思想。
己が勇者であり、勇者として責務を果たす。以前までは自然に受け入れていた現実に、疑問が生まれてしまった。
――私が勇者ヒカルである必然性は、いったいどこにあるのだろう。
「―――っ」
「あん? どうかしたかよ」
「……いえ。何でもないわ」
無意識に身震いが生じる。
握りしめた手の平に爪を立て、その鋭い痛みで揺れる思考を取り戻そうとするが――定まらない。
(私はいったいどうしたら……?)
そんな逡巡を、どう解釈したのだろうか。
リリの身体を借りたアナスタシアは、面倒くさそうに頭を掻いてから、口を開いた。
「まあ今すぐ答えを出せとは言わねえよ。――ただ、すぐに転機が来るはずだぜ」
「転機?」
「あぁ。もうすぐ大事件が起こる。かつてない騒動に、警備も緩むんじゃねぇかな」
「……そこが好機、と言いたいのね」
「まあな」
思案する素振りを見せながら、ちらりとレレイの方へ視線を転じる。
わざわざ皇城に忍び込んでレレイが告げてくれた、「皇城が戦場になる」という忠告。そして、アナスタシアの「もうすぐ大事件が起こる」という予言。
(無関係、なはずがないわね)
レレイとアナスタシアが、それぞれどんな事情を抱えているのか。彼女らが何を知り、そして何を思って、囚われのヒカルたちに接触してきたのか。
その真意の底までは定かではないものの――、
「……考えておきましょう」
弱くない決意の光を瞳に宿して、ヒカルはアナスタシアの言葉に応えたのだった。




