第372話
「――んで? お前らだけでさっさと話つけてきたってわけか」
ヤマトとノアが離宮を訪れた、その夜のこと。
ホテルに併設されたレストランに訪れた一行だったが、ヤマトはその席で、不機嫌そうに眼を細めたアナスタシアを前にしていた。
「……まあ、そうだな」
曖昧に言葉を濁しながら、隣のノアと眼を見合わせる。
元を辿れば、アナスタシアが今日ホテルに置いていかれた原因はノアにある。ノアが彼女に黙ってホテルを出発し、そのまま離宮へ向かってしまうことなど、ヤマトに想像のしようもなかったからだ。
「さっさと弁明してくれ」。
そんな思いを乗せた視線を向ければ、ノアはにへらと締まらない笑みを浮かべた。
「ごめんごめん。ちょっと急に思いついたものだから」
「………ほーん」
「いやー、ごめんね」
適当に煙に巻くような発言だが、その裏にあるノアの真意は読みやすい。
頑として、本当の理由を話すまいとしているのだ。
言われずともそのことは察せたのだろう。更に眼光を鋭くさせたアナスタシアだったが、やがて諦めたように深く息を吐き、椅子に背を預ける。
「……分かった。んで? お前らだけでちゃっちゃと話をつけた結果、協力は得られなかったが、皇帝と直接会えそうだってことか」
「そそ。まずは僕の立場を利用して、皇帝の真意を聞き出そうってね」
「まあ、悪い手じゃねぇな。相手が求めるものさえ分かれば、相応の手を考えることもできる」
アナスタシアが言うような小難しい理屈は分からないが、直接会えた方がいいという話は、ヤマトにも理解できる。
百聞は一見に如かず。
どれほど皇帝について情報収集してみたところで、直接顔を合わせてみないことには、その者の本質を見定めることなど不可能なのだ。
刃を通じて果たし合うことに生を捧げるヤマトだからこそ、その想いは強い。
そう気楽に考えてしまったヤマトだったが、アナスタシアの方はもう少し深慮する性質だったらしい。眉間にシワを寄せながらスープを啜った後、アナスタシアは視線を上げる。
「皇女の方は信用できんのか?」
「と言うと?」
「罠にかけてくるんじゃねぇかってことだ」
「それは……」
一瞬、ノアが言葉に詰まる。
にわかに空気が張り詰めた。
そう感じたヤマトの感覚は間違いでなかったようで。気がつけば、アナスタシアが捕食者のような眼光でノアを睨めつけていた。
「皇城に入るってのは、敵の眼の前に出向くに等しい。その場で拘束されたりしたら、流石に厄介だからな」
「姉さんはそんな人じゃないよ」
「他の人間はどうだ。そいつらが勝手に動くかもしれねぇだろ」
「………」
他の人間。
アナスタシアにそう指摘されて、ヤマトの脳裏には老執事の顔が思い浮かんだ。
執事セバス。
長年勤めて信頼を勝ち得ている様子だが、その忠誠が皇女一人ではなく帝国にあるのならば、密かに策を講じていてもおかしくない。
(そんな人物には見えなかったが、な)
とはいえ、それは直接顔を合わせたヤマトだから言えるものだ。
実際に会話もしていないアナスタシアは、それでは納得しない。彼女を説き伏せたいのならば、あくまで理をもって説く他ないのだ。
「………」
「………」
沈黙。
しばらく黙考していたノアだが、やがて溜め息を漏らし――首を横に振る。
「残念だけど、完全には可能性を否定できなさそうだね」
「へぇ?」
「今回の件でまず間違いなく絡んでくる人が一人。僕もその人のことは昔からよく知っているから、不義理な真似はしないと思う――けど、絶対じゃない」
「……眼は曇ってなかったみたいだな」
満足気にアナスタシアは口端を吊り上げる。
そんな彼女に構わず、ノアは更に言葉を重ねた。
「ただ、仕掛けるなら早い段階だと思う。今夜か、明日か、明後日か」
「その根拠は?」
「単にリスクが低いからだよ」
まるで問答をしているようだ。
どこか蚊帳の外に置いてかれた心地のまま、ヤマトは二人の会話を聞き続ける。
「僕たちがよからぬことを企んでいるなら、馬鹿正直に皇城に入れてくれるとは思えない。なにせそこで手違いがあったら、グッと皇帝に危険が近づくってことだからね」
「………」
「だから仕掛けるなら、僕たちがまだ街にいる時。それなら、万が一失敗したとしても、皇城の警備が危険を抑えてくれるから」
「つまり皇城に入れた時点で、ある程度の信頼は勝ち得たことになると?」
「たぶんね」
数秒の沈黙。
やがて、指を外したアナスタシアは、視線を机上のステーキに落とす。
「まあ及第点だな」
「そりゃどうも」
先程までの剣呑な雰囲気はどこへやら。
ナイフで手際よくステーキを切り分け、それを口へ運ぶ。その旨味に、アナスタシアはにっこりと眼尻を緩める。
「それで騙されておいてやるよ。貸し一つだからな」
「……分かった。それでいいよ」
ノアの方も、ひとまずそれで追及が終わったと安心できたのだろう。
ふぅっと深い溜め息を漏らしてから、手元の水を煽った。
「僕もお腹が空いてきた。何か貰ってくるよ」
「ヤマトも何かいる?」と尋ねてくるノアに、無言のまま首を横に振る。
さっさと席を立ち、皿を手に歩き去っていく。
その背を何気なく見送ったところで、ヤマトは視線をアナスタシアの方へと転じた。
「なあヤマト」
「何だ?」
「お前は理由を聞いているか」
「……いや」
答えてから、若干の間を開けてしまったことに気づいた。
口内に苦味が広がる。それを誤魔化すために、フォークで突いたステーキを勢いよく噛み締めた。
だがそんなことをしてみたところで、眼の前のアナスタシアを欺くことなどできないのだろう。
「そうか、聞いてないのか」
「あぁ」
「……俺には言いづらいこと。信頼してないとか、その類か」
あっさりと言い当てられる。
せめてもの抵抗として何も答えずにいるが、それもどれほどの効果が出たことだろう。
何事かに納得した様子で、アナスタシアは数回首肯する。
「まあ当然の話か。あいつがマジもんの皇族だってなら、俺と家族を引き合わせたくないってのも分からないでもない。信頼されるようなことをした覚えもないからな」
「………」
「だがそうなると、不可思議な点が一つ出てくる」
「それは?」
「姉と父とで、扱いが随分違うってことさ」
言われて、なるほど確かにと納得してしまう。
「まず前提として、野郎は俺のことを警戒している。今でこそ行動を共にしているが、それには監視とかの意味合いも強い」
「……まあ」
「俺に黙って皇女と会ったのは、俺と皇女を引き合わせないためだ。その理由は大方、俺が何か仕出かすことを警戒したんだろ」
「何かというと?」
「さあな。洗脳か悪辣な取引か、はたまた本人とクローンを入れ替えるとかか?」
「やるなよ」
「必要ないからな」
つまり、必要があると判断すれば躊躇わないということ。
この発言一つ聞くだけで、ノアがアナスタシアと皇女を引き合わせたくないと考えたことも納得できてしまう。感性が一般的な人と接触するには、彼女はあまりにも歪んだ人間だ。
だがそれゆえに、先にアナスタシアが指摘した点が浮き彫りになっていく。
(父と――皇帝とならば、アナスタシアを会わせるのは何故だ?)
単に避けられそうにないから、というのでは不十分だろう。
ノアほどの奸計の使い手ならば、ヤマトやアナスタシアに悟られないまま策を巡らせることもできる。ヤマトたちが気づいたときには、もはやどうしようもないほど詰んだ状況を作ることもできるはず。
あえて、そうしなかったと考える方が自然だ。――だが、一体なぜ?
一瞬だけ考え込み、そして思い浮かんだ答えに、ヤマトは顔をしかめた。
「どうした?」
「いや、ただ……」
ちらりと視線を流す。
ノアはまだレストランの受付にいる。この距離ならば、ヤマトたちの会話は聞こえないことだろう。
そのことを確かめてから、改めてアナスタシアと視線を合わせる。
「父親の方は、守る気がないのかもしれんな」
「……信頼してるってことじゃねぇな。むしろ逆か」
その言葉に、無言で首肯してみせる。
姉に向けた親愛とは真逆。父たる皇帝に対しては、ノアは深い情を抱いていないのかもしれない。それこそ、アナスタシアがどんな悪辣な手を用いたところで、心の一切が痛まない程度の冷え切った関係であるとか。
だがそれは、あまりにも寂しい想定だ。
「戯言だった。忘れてくれ」
「そうか? 案外、いいところ突いてそうな気もするけどな」
「………」
何も答えられず押し黙ったヤマトに対して、アナスタシアは悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「守る気がないのか。それとも、守らなくていいと信頼しているのか。どちらにしても、それは実の親に対して向けるような情じゃねぇな」
「どうだろうな」
「必要がないと判断しても、案じてしまう。それが家族ってやつだろ?」
「お前にそれが分かるのか?」と問い返したい気分になったが、既のところで堪える。
いずれにしても、ノアの行動が少々歪んでいることは確かなのだ。アナスタシア当人に気取られるほど強引に姉を守ったことと比べると、父たる皇帝にあっさり会わせてしまうところには、どうしても違和感を覚えてしまう。
(だが、直接尋ねるというのもな……)
難しい顔のまま、顎を撫で擦る。
ちょうどそこへ戻ってきたノアは、怪訝そうな面持ちでヤマトらの顔を覗き込んできた。
「なに、どうかしたの?」
「いや……」
ちらりとアナスタシアに目配せをする。
返ってきたのは、「止めておけ」というような首振り。
確かに、今すぐに確かめなければならない要件というわけでもない。
「……何でもない」
「そう? なら、別にいいけど」
なおも不思議そうな表情でいながらも、ノアは深く追及することはせず、そのまま席に腰を下ろす。
その横顔から意図的に視線を逸らしながら、ヤマトは再び、やや冷めつつあるステーキを口へ運んだ。