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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
371/462

第371話

 突如訪れた二人の少年らが、離宮の正門を出ていく。

 その背中を応接間の窓から見送りながら、皇女フランはそっと物憂げな溜め息を零した。


「……姫様。御加減は如何ですか」

「ありがとう爺や。大丈夫、ちょっと疲れただけですから」

「それならば良いのですが……」


 客人二人と顔を合わせていた時間は、ほんの一時間にも満たなかったことだろう。

 だがその場の緊張感と、ノアの口からもたらされた話の衝撃が、その数倍以上の時間が経ったかのように錯覚させていた。

 セバスが軽く手を上げ、メイドに茶を用意するよう指示する。

 そんな老執事の気遣いを快く思いながら、フランは手元の窓を指先でなぞり、今は街中へと溶け込んでしまった弟の姿を回想した。


「何はともあれ、あの子が無事だった。それに勝る喜びはありません」

「ノア様が行方知らずとなった時の姫様の消沈、今も思い出せます」

「そう、ですね」


 段々と陽が傾き始めた空を見上げる。

 ノアが突如として姿を暗ませた頃。当時のフランたちは三人兄弟揃って日々平穏に過ごし、明日の不安など抱いたこともなかった。ただ毎日を何気なく生き、そしてこのまま成長するものだと漠然と考えていたのだ。

 そこに転換点を打ち込んだのが、ノアだ。


「あの時の私には、ノアの考えが分かりませんでした。ただ慌てふためき、そして塞ぎ込むことしかできなかった」

「姫様……」

「――ですが、今ならば分かります。きっとあの子は、この国で過ごす日々に飽きていた。定められたレールの上を歩む運命に、抗おうとしていた」


 それは皇族や王族を始めとした、由緒正しい血統を背負う者ならば、皆一度はぶつかる葛藤だ。

 だがノアは、彼らとは違った。

 大抵が諦め妥協し、貴族の責務を果たすべくその身を費すことを受け入れる。そんな中にあってノアは、あくまで運命に逆らうことを選択した。


(きっと深く悩んだことでしょう。外を歩むには、あまりに私たちは世界を知らなさすぎた)


 同じ状況にフランが直面したとして、フランはノアと同じ行動を選択することができるだろうか。

 先祖代々築いてきた帝国は、あまりにも居心地が良かった。そこから脱するだけの気概を、果たして抱くことができるのだろうか。


「もし、私もあの子と共に――」


 言いかけて、フランは首を横に振った。


「考えたところで、仕方のないことですね」

「………」

「大丈夫です爺や。今の私はそんなことはしませんから」

「私は何も案じておりませんとも」


 もはや数年前とは状況が違うということだ。

 長く続いた平和の下では、言ってしまえば皇帝さえいたならば、後の皇族は一人欠けたところで大問題にはならなかった。

 だが今は戦乱の世。しかも反戦派筆頭と掲げられているフランが姿を暗ませれば、いらない騒動を招くことになってしまう。

 帝国を導く皇族の姫として、それは断じて許容できることではない。

 そんなフランの言葉を聞いて、一抹の不安を拭うことができたか。セバスはほっと表情を緩めた。


「――そういえば、セバス」

「はっ」


 湿っぽくなってしまった空気を払拭するためか。

 努めて華やいだ声を上げて、フランは畏まるセバスへ視線を流した。


「ノアに従っていた彼のこと、爺やはどう見ましたか?」

「あの若武者ですか」

「えぇ。セバスも存外、彼のことは気にかけていたようでしたから」

「……お恥ずかしいところを」


 ノアとの再会を前に眼を暗ませていたかと思いきや、存外に見るべきところは見ていたらしい。

 そんな主の明察を理解できなかった己を恥じながら、セバスは今しがた見送ったばかりのヤマトのことを思い出す。


「彼は、そうですな……。将来有望な若者でありました」

「へぇ? 爺やがそう言うなんて珍しいですね」

「それだけの才気を、彼から感じたということです」


 あの特徴的な黒髪から察するに、極東出身の武者だろう。

 出入りの際に手にしていた長刀も、ずいぶんと彼に馴染んでいるように見えた。まだ二十を越えた程度の年頃で、それほど刀剣に習熟しているという時点で、驚嘆に値するのだ。


「一人の武者として見ても一流でした。ですが彼は、それに加えて良い眼をしていました」

「良い眼?」

「えぇ。世の広さを知り、それでも己を見失わず。闇の中で道を見出さんとする、良き若者の眼です」

「……そう。私にはよく分かりませんけれど……」


 呟きながら、フランは窓の外を再び見やる。


「ノアが信頼している人です。きっと爺やの言う通り、優れた人なのでしょうね」

「えぇ、間違いなく」


 顔を見ずとも分かる。

 セバスは今頃、執事として見せてはいけない顔をしていることだろう。若かりし頃の軍人としての血が騒ぎ出し、些か剣呑に過ぎる眼をしているに違いない。

 それを隠すためなのか。窓ガラスに薄っすらと映るセバスは、顔を伏せ、フランの顔を覗き見ようとしなかった。


 ――だがそれは、今だけは好都合だったかもしれない。


(醜い顔をしているわね)


 声には出さず、心の中で呟く。

 窓ガラスに映った自分の顔。そこに浮かぶ感情は、ただ歓喜を示すものばかりではない。むしろ、よりドス黒い感情によって彩られていた。


(これは、嫉妬かしら)


 愛すべきノアの隣に立っているあの男が、腹立たしい。

 自分の知らないノアの数年を共に過ごした事実が、妬ましい。

 これからもノアと生きるだろう未来が、羨ましい。

 胸の内で負の感情ばかりが渦巻き、ふと気を緩めれば口から怨嗟の言葉を吐き出しそうになる。


「ふぅ――」


 深呼吸。

 鋼の理性で己を律していたところで、応接間の戸が控えめにノックされた。


「フラン様。お茶をお持ちしました」

「……えぇ、ありがとう」


 気を取り直す。

 今はただ、ノアが無事でいてくれたことを喜ぶべきだ。

 そう気持ちを新たにしたフランは、戸を開けて入ってきたメイドを笑顔で迎え入れた。

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