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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
368/462

第368話

 絢爛な家具で彩られた大部屋。

 壁一面の窓ガラスから穏やかな陽光が差し込み、部屋には春らしい陽気が満ちていた。

 見れば誰しもが感嘆の息を零さずにはいられない空間に、たおやかな女性が一人。


「―――」


 物憂げな横顔に、白金色の髪がさらりと流れる。

 触れれば折れ、風に吹かれれば飛んでしまいそうなほど儚い体躯。争い事とは一切無縁らしく、簡素ながらも華やかな服から覗ける手足からは、節の一つも見当たらない。立ち姿には気品が溢れているものの、そこに力強さは薄く、むしろ庇護欲をかき立てられるような愛嬌として表れていた。


 “深窓の令嬢”。


 その言葉がこれほどに似合う者も、そうはいないだろう。

 女性はほっそりとした指先で窓ガラスをなぞり、その先に望める皇都の光景を前にして。


「ふぅ――」


 溜め息を漏らした。


「姫様。いかがされましたか」

「……爺や」


 いつの間に現れたのか。

 女性一人しか見当たらなかったはずの部屋の隅に、折り目正しく執事服を着込んだ老人が立っていた。

 そんな彼に一瞬だけ驚いた表情を浮かべてから、女性は再び窓の外へと視線を転じる。

 視線の先に映るのは、活気に満ちた人々の顔だ。皆それぞれの事情を抱えながらも、日々を前向きに生きている。大小の苦しみは様々にあっても、むしろそれを糧とすら転じて、明日を生きる力に変えているのだろう。

 そんな民の顔を想像し、女性――帝国第一皇女フランは、口元に緩やかな笑みを浮かべた。


「彼らは幸せそうですね」

「姫様の慈悲の賜物です。皆、姫様に心を救われています」

「そうだといいのですが……」


 穏やかな微笑みを浮かべる横顔とは裏腹に、遠く人々を眺めるフランの眼には、どこか羨望の色が滲み出ている。

 その眼差しを直接見たわけではないだろうが。敏感にフランの憂いを察した執事は、直立不動はそのままに、端正な白眉を僅かに曲げた。


「姫様……。“あのこと”が、御心に障っておりますか」

「………」

「姫様の言は確かに民心を案じたものでした。ですが陛下もまた、この国のためと思い御決断なされたのです。どうか、あまり陛下を――」

「爺や」


 たおやかに、だが確かに芯の通った声が響く。

 発言を制止された執事だが、そのことに不平不満を何一つ漏らすことなく、ただ黙って頭を垂れた。


「分かっています。お父様はこの国を一身に背負う立場。その決断一つに国の趨勢が懸かっているのであれば、相応の厳格さが求められる」

「はっ」

「私も、私の言葉が間違っていたとは思いません。けれど、お父様はそれとは異なる道を選ばれた。そうである以上、私にも相応の処遇を決せねばならない」

「仰る通りで御座います」


 淡々と道理を説くようでありながら、その言葉は、未だ納得し切れない己を御すために紡いでいるようにも聞こえる。

 事実、伏せられた執事を見つめながら話すフランの瞳には、余人に読み取れない感情が渦巻いているようだった。


「私とて皇族の娘です。お父様の決断にも一つの道理があり、それゆえの益があることは理解しています」

「………」

「ただ、それでも――」


 言いながら、フランは再び視線を窓の外へ転じた。

 その瞳は、眼前の皇都を飛び越して、遥か北の彼方に広がる光景を幻視している。


「爺やなら、私よりもよく理解しているのでしょう? 戦は惨く、悲しみに満ちている。例え敵が人ならぬ魔族であったとしても、そのことは変わらない」

「それは……」

「私たちが今何気なく手にする水の一匙すら、向こうでは貴重なのでしょうね」


 皇都の人々が平和を謳歌する裏側で、帝国兵は遥か彼方の北地へ派兵され、そして戦いに身を投じている。

 その事実を正しく認識できている人間が、この皇都にどれほどいるだろうか。明るい陽光の下で華やかに笑っている彼ら彼女らの脳裏に、兵たちを憐れむ想いは、欠片ほどもあるのだろうか。

 そんな憂いを滲ませたフランの言葉に、平伏しながら、年老いた執事は感極まったように眼を潤ませた。


「――姫様、発言をお許し下さい」

「爺や?」


 言うまでもないことだが、皇女フランに従軍経験はない。

 彼女にとって戦乱とは、所詮書物の中で繰り広げられる惨劇であり、その悲惨さが彼女の身に沁みて理解される時は、過去未来どこを取っても訪れないだろう。

 それでも、彼女は悲しみに眉を歪めることができる。歪めてしまう。


「どうか兵たちが戻った暁には、彼らの功を労ってくださいませ。彼らにとっては、それが何物にも代え難い褒章となるでしょう」

「……そう、でしょうか」

「えぇ。間違いありません」


 力強く頷いてみせながら、執事は内心で強い決意を抱く。

 皇女フランの優しさは、一人の人間として見ればこれ以上ないほどに徳に満ちたものであるが、為政者として優れた素質とは言い難い。大なり小なりの犠牲を甘んじて引き受け、その痛みを知りながらも、鋼の如き理性をもって決断を下すこと。それが、帝国のような大国の為政者に求められるものだ。

 その点を鑑みたならば、フランの言葉は皇族に相応しいとは言えまい。情に絆され理を失する、ともすれば愚君の言に等しいものですらある。


 ――それでも。


 その優しさが、醜いはずがない。


(私が――私たちが、御守りしなければ)


 彼女こそが帝国の宝。

 彼女が涙を流すようなことがあれば、それこそ万民が辛苦に苛まれることになるだろう。

 それだけは、何としても防がなければならない。

 感涙と共に決意する。そんな老執事の耳に、同僚が何やらさえずっている音が届いた。


「………? 何かあったのでしょうか」

「少々御待ちを。すぐに確かめて――」


 言いかけたところで、部屋の扉が控えめにノックされた。

 閉口する老執事に代わって、フランが応じる。


「お入りなさい」

「し、失礼します」


 ゆっくりと開いたドアから姿を見せたのは、離宮の管理とフランの世話を命じられているメイドの一人。

 皇族を目前にしている緊張ゆえか。本来ならば愛嬌たっぷりな童顔に、今は見ていて気の毒になるほどの汗を滲ませていた。


「この騒ぎは、一体何があったのですか?」

「お客様がお越しです。皇女様とお会いしたいと」

「お客様?」


 「面会の予定はあったかしら?」と問いかけるフランの視線に、老執事は黙したまま首を横に振った。

 離宮に軟禁されているとはいえ、フランは帝国の宝たる第一皇女だ。前もった通達もなしに会えるほど安い身ではない。そんな当たり前の道理すら弁えない輩など、話を通すまでもなく門前払いするのが当然だ。

 にわかに視線を鋭くさせた老執事に、メイドは顔を緊張と恐怖で強張らせる。


「爺や。そんな眼をしないで」

「……失礼しました」


 いつの間にか立ち昇っていた気迫を引っ込めれば、メイドはへにゃりと身体を弛緩させた。

 皇女フランを前にして、何たる態度か。

 今度はフランの眼が届かないところで再教育しようと決意した老執事を他所に、フランはたおやかな笑みを浮かべた。


「それで、お客様がどうなされたのですか?」

「げ、現在は警備の者が止めています。ただお客様から、窓からでも顔を見てほしいと」

「顔を……?」


 怪訝そうな表情のまま、フランは部屋の窓に眼を転じた。

 そこからなら、わざわざ外へ出ずとも顔を確かめることはできる。不意を狙った暗殺なども、この部屋の中ならほとんど起きないと考えていい。

 だが、問題はそこではない。


「――姫様。少々御待ち下さい」


 先んじて姿勢を正した老執事が、ふらりと窓へ歩み寄ろうとしたフランを制止し、代わって自分が窓際へと歩を進めた。


(どんな無礼者だ? 場合によっては厳罰に処すことも――)


 フランに悟られないようにしながらも、老執事の眼が剣呑な光を帯びる。

 余程鋭敏な者でなければ気づけないほど薄い殺気をまとい、そのまま窓から正門を見下ろして。


「な――っ!?」


 唖然としたように、たじろいだ。


「爺や?」

「執事長? どうかなされたのですか?」


 怪訝そうにフランとメイドが首を傾げる。

 次いで、好奇心を刺激されたのだろう。深窓の令嬢らしい気品は保ちながらも、足取り軽く窓へ歩み寄ったフランは――その白金色の瞳を、驚きで丸くした。


「あれは……!?」


 漏れ出た声は、どちらかと言えば悲鳴に近い。

 だがそこに込められた感情は悲嘆などではなく、むしろ歓喜に近しかった。

 溢れ出る感情の奔流を抑え切れないようで、フランは震える指先で窓をなぞり。


「ノア……!」


 その名を呟いた。

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