第367話
唐突だが、ノアという少年についての話をしよう。
男性にも関わらず、女性と見間違うほどの美貌。一を聞き百を知る明晰な頭脳。大陸でも屈指と思われる、魔導術の才能。
どれか一つだけであっても持て囃されるだろう才を、その身に三つも宿している。彼は間違いなく“天才”と呼ばれる類の者であり、また当人も、少なからずそのことを自覚する素振りを見せていた。
――だがしかし。
ヤマトの眼に映るノアの姿は、ただ才気に溢れた少年というだけではなかった。
端的に言えば、彼の素性はヤマトをも知り得ないものだったのだ。
(高貴な生まれかもしれない、とは予感していたが……)
昼になり、活気が一段と増した皇都の街並み。
一望しただけで吐き気を催すほどの人混みに揉まれながら、ヤマトはノアに続いて大通りを歩いていた。
「おい! どこに行くんだ!」
「んー? もうちょっと先かな」
「まったく……」
冒険者生活で培った身軽さゆえか、スルスルと人混みをかき分けて進んでいくノア。
彼の背中を見失わないようにしながら、ヤマトも必死に足を前へ進める。
(皇都の中心――皇城の方か?)
皇城。言うなればそこは、ヤマトたちにとって敵地の中心に他ならない。
これだけ人気の多い街だ。一冒険者が皇城に近づいたところで、それを不審がるような者はいないだろう。とはいえ、あまり軽率に近づきたい場所でないことも事実。
どこかで止めるべきかと思案したところで、先導していたノアがくるりと振り返った。
「別に皇城には行かないから、安心していいよ」
「……そうか」
思考を見透かされたような――否、確かに見透かされたのか。
気味悪いほどタイミングがいい言葉に、どう反応したものかと困惑しながら応じる。
「ならどこに行くんだ?」
「皇城ではないけど、それに近い場所。そのくらい言えば、なんとなく分かるんじゃない?」
「ふむ……」
答えは、自ずと浮かんできた。
(だが、それはつまり――“そういうこと”なのか?)
疑問を口にするよりも早く、ノアが話し始める。
「ヤマト。僕のことって、これまでどのくらい話したっけ?」
「……さてな。特に責任もない自由な身、くらいか」
「そっか。そんなもんだったっけ」
二人旅をしていた時分に、ちょっとした暇潰しとして聞いた話だったはずだ。
察するに、ノアの生まれはそれなり以上の名家。その次男坊ないしは三男坊として生を受けたノアは、家の跡を継ぐ責務もなく、勝手気ままに暮らしていたというところだろう。
本人もあまり詮索してほしくない様子だったから、ヤマトとしても、追及はその程度で止めていたのだが。
「もう薄々気づいていると思うんだけど――」
「………」
「僕の家、あっちの方にあるんだよ」
聞いた瞬間、思わず溜め息が漏れた。
ノアが指差している方向を確かめるまでもない。そちらに何があるのか、ノアが何を示しているのか。見るまでもなく理解できる。
皇城。
帝国を支配する皇族だけが住むことを許される、帝国民にとっての文字通りの聖域。
すなわち、ノアの素性は――、
(皇族)
指摘された通りだ。予感していなかったといえば、それは嘘になる。
言動の随所にみえる育ちの良さと、あまりに帝国の内情に対する精通っぷり。そして、あまりにも頑なに自分の素性を明かそうとしなかった素振り。
確信があったわけではない。それでも、かなり高位に属する家の出だろうと予想していた。
だが、よりにもよって皇族とは。
「驚いた?」
「驚いたというよりは……」
にわかには信じ難い、という気持ちが大半だ。
そんなヤマトの戸惑いも、想定していた通りだったのだろう。大した反応もなく頷いたノアは、遠くの皇城を見上げた。
「特にやることがなかった、っていうのは本当でね。次男だし、兄さんも皇位継ぐ気満々だったしで、結構気楽にやってたんだよ」
「……仮にも皇族が、伴もなしに歩き回るのは感心できないな」
「あぁ、会った時のこと? 家庭教師の長話に嫌気が差して、ちょっとね」
「そんなものか」
縁遠い世界の話が過ぎて、共感の仕方すら分からない。
曖昧に頷けば、ノアもそんな反応は想像できていたというように、苦笑い混じりで応じた。
「家出同然で飛び出して、捜索隊もさっさと振り切っちゃったから。多分、家からは勘当された扱いなんだけど――」
言いながら、ノアは皇城の方――より正確には、皇城から少し逸れた方向に眼をやる。
「近衛兵になら、顔が利くと思うんだよね」
「正面から入るのか」
「まあね」
ノアが皇族の一人であるということが事実であれば、それほどに分かりやすい話もない。
唯一の懸念があるとすれば、ノアがヤマトを誑かそうとしているという可能性くらいだが――、
(今更だな)
自慢ではないが、ノアの頭の巡りはヤマトなどよりも余程上をいっている。
彼が本気で謀ろうとしていたならば、とっくの昔に破滅しているはずだ。
それゆえに、今更ノアを疑うような真似はしない。
「……だが、ならば何故アナスタシアを置いてきたんだ?」
「うん?」
「あいつを連れてくれば、もっと話が早かっただろう」
そう言えば、ノアは少しも迷う素振りを見せずに答えた。
「だって僕、こう見えて家族思いだからさ」
「ほう?」
「信用できない人と会わせるわけにはいかないでしょ」
「なるほどな……」
こればかりは、アナスタシアとノアが接した時間の短さと、彼女の素行の悪さが導いた結末だろうか。
今なおホテルで頭を悩ませているだろうアナスタシアに黙祷を捧げながら、ヤマトは先導するノアに続いて、大通りを歩き続けた。