第366話
帝国軍を止めるため、第一皇女フランを唆して内乱を促す。
些か無謀が過ぎるようにも思えるその作戦だが、提案したアナスタシアによれば、彼女が帝国に潜ませている伝手を使えば不可能ではないらしい。
つまるところ、作戦が遂行できるか否かは、その協力者の働き次第だったのだが――、
「はぁー………」
重苦しい溜め息。
清々しい朝の涼気を薄っすらと感じながら茶を飲んでいたヤマトは、机の向かい側で渦巻く陰気に、思わず顔をしかめた。
「気を落とすな」
「そう言ってもだなぁ……」
ぐったりと机に突っ伏しているのは、昨夜は意気揚々としていたはずのアナスタシアだ。
爽やかな朝には、とてもでないが不似合いな姿。あまりの鬱々とした空気に、同じくホテルの食堂にいる者たちから奇異の視線を向けられている。
少なくない気まずさを覚えながら、再び茶を一口。
(昨日の別れ際まで態度は普通だった。その後に何かあったのか?)
昨夜の様子を思い出す。
半ばノアに追い出されるような形で部屋を後にしたアナスタシアは、ヤマトと別れて、軽く情報収集をしていたはずだ。
皇都は夜も活気があるとはいえ、昼間ほどではない。放置しても問題にはなるまいと、ヤマトも彼女のことは放ってしまっていた。
それが、よもやこうなるとは。
困惑のままに眉根を寄せる。
そんなヤマトを他所に、黙々と隣で朝食を口に運んでいたノアは席を立った。
「僕、おかわり取ってくるから。ヤマトも何かいる?」
「……茶をもう一杯」
「了解」
これはノアなりの配慮、なのだろうか。
項垂れるアナスタシアの話を聞かないようにするためか。そそくさと席を離れるノアを見送ってから、ヤマトはアナスタシアに向き直った。
「何があったんだ?」
「あー……」
机に預けていた頭を持ち上げ、アナスタシアは呻き声を上げる。
あまりの醜態に、せっかくの美少女顔が台無しになっている。衝動的にしかめっ面にならないよう必死に堪えながら、ヤマトは次の言葉を待つ。
「簡単に言えばな。ここに入れてた伝手が、さっぱり使い物にならなくなってた」
「というと?」
「ほとんどが拘束されたらしい。不審だってことでな」
「……そうか」
まあ、そういうこともあるだろう。
ヤマトにとってはそのくらいの話にしか思えなかったのだが、アナスタシアにとっては少々異なったらしい。
「結構色々手を入れてたんだけどなぁ。ちまちま商売して稼いだ金使って、仕込みまくってたんだけどなぁ……」
「ただの協力者というわけではないのか」
「……前に、クローン技術ってやつを見せたろ?」
周囲にノアの姿がないことを確かめてから、アナスタシアは声を潜めて話し始めた。
彼女の言葉に、ヤマトは小さく首肯する。
「俺と瓜二つの、気味悪い奴か」
「あぁ。あれを応用して、結構な数の人形を帝国に送り込んでいたんだ」
「ふむ……」
前に対峙した、自分のクローンを思い返す。
アナスタシアの手によって製造された人形ということだったが、その外見や言動については、人とほとんど同じように見えたというのがヤマトの正直な印象だ。
見知らぬ他人のクローンと対面したところで、それが当人でないと看破することなど、少なくともヤマトにはできそうにない。
(それが、拘束された?)
にわかには信じ難い気持ちでアナスタシアを見やれば、即座に首肯が返ってきた。
「構成物質はほとんど生身と同じだ。違いがあるとすれば、外見よりも短い生存期間くらいだったはずなんだがな」
「それを見破られたのか?」
「何時間も会話して、ようやくボロが見える程度のものだ。それを手がかりにするのは現実的じゃねぇ」
机に突っ伏していた時の醜態はどこへやら。
身体を起こしたアナスタシアは、その双眸に知性の光を宿す。
「少なくとも俺の技術じゃ、人間とクローンを区別することは不可能だ。てなると帝国には、俺を上回った技術開発が進んでいるのか、全く別種の技術が混在していると考えられる」
「別の技術だと?」
「一番考えられるのは魔導術関連だな。俺は術式にはあまり関与してこなかったから」
「魔導術か……」
そちらに最も詳しい者は、一行の中ではノアだろうか。
少なくとも、魔導術の根幹にある魔力を一切感知することができないヤマトには、あまりに縁遠い分野であることは間違いない。
黙々と思考に耽ろうとするアナスタシアを、軽い咳払いで制止する。
「ということはだ。想定していた伝手が、全て使えなくなったというわけか」
「厳密には一体だけ残っているんだが、そいつも身動きしづらい状況みたいでな。全部失せたと思ってくれていい」
「……どう皇女と接触するんだ?」
「地道にコネを作っていくしかねぇかなぁ……?」
それにはどれくらい時間がかかるのかとか、言いたいところをグッと堪える。
胸の内に広がり始めた暗雲を晴らすべく、脇に除けていた湯呑に手を伸ばしたところで。
「――あれ。もう話は終わった?」
上品に料理を盛り付けた皿を手に、ノアが戻ってきた。
もう片方の手で持っていた茶を受け取りながら、頷く。
「大まかには」
「それはよかった。で? 今日はこれからどうするの?」
「それは……」
ちらりとアナスタシアに視線を向ける。
彼女の返答は、適当に肩をすくめるというもの。
何かを察したのか、ノアが苦笑いを浮かべた。
「ノープランって感じ?」
「……そんなところだ」
「なるほどねぇ」
席に腰を下ろし、持ってきた料理を一口食べ。
しばらく何か考え込む素振りを見せたノアだったが、やがて眼を上げる。
「それじゃあヤマト。ちょっと付き合ってほしいところがあるんだけど、一緒に来てくれない?」
「構わないが……、俺一人か?」
「できれば」
ここ帝国は、ノアにとっては生まれ育った故郷だ。彼の要件というのも、それに関連した何事かだろう。
どうしようかと逡巡するよりも早く、対面に座っていたアナスタシアが口を開いた。
「行ってきたらどうだ? どうせ俺の方は、特に急ぎの用もないからな」
「……そうか」
先程の話を聞いてしまえば、アナスタシアの言葉にも納得できる。
自分にも特別用事がないことを確かめてから、ヤマトは首を縦に振った。
「分かった。ならば同行しよう」
「じゃあ食べ終わったら出発ね。いつ頃戻れるかは分からないから、そのつもりでよろしく」
「構わない」
早くに宿へ戻ったところで、何かすることがあるわけでもない。
深く考えないままに頷いたヤマトは、いれたばかりで熱い茶を再び口へ運んだ。