第365話
「――作戦会議を始めるぜ!」
皇都大通りの一角にある、民営ホテルの一室にて。
ベッドの上にふんぞり返ったアナスタシアが、高らかに宣言した。
「……作戦会議か」
「おう! 帝国入りした以上、もう無駄な時間は過ごせないからな」
「そうだな」
同意の言葉を返しながら、ヤマトは眠気で重くなり始めた目蓋を擦った。
陽はとっくに地の底へ沈み、南の空には星々と丸い月が浮かんでいる。皇都は街灯の穏やかな光で照らされているが、そこには昼間ほどの活気はなく、都民は各々の家で寝静まっている頃合い。
長旅を経て皇都入りしたヤマトたちからしても、そろそろ身体と精神を休めさせたい刻限なのだが――、
「アナスタシアは元気そうだね」
「―――」
ベッドの上でこんもりと盛り上がった布団の中から、ノアの恨みがましい声が漏れ出た。
その響きに、熱弁を振るおうとしていたアナスタシアは表情を固まらせる。
にわかに張り詰める緊張感に押されて口を閉ざしたヤマトの前で、布団の声は延々と恨み言を吐き出していく。
「そりゃ元気だろうね。ここに着くなり早々にお風呂入って、さっきまでずっと寝ていたんだから。寝すぎてお腹空いたけど、もう元気満タンって感じ?」
「いや、その、だな?」
「その間、僕たちが何やってたか知ってる? 手続きに不備がないか確かめて、冒険者ギルドに連絡して、明日からのために情報収集もして……。それでようやく、これから寝ようってところだったんだよ」
「あぁ、それは……」
「作戦会議? それ、本当に今やらないと駄目なやつ? ここでぐうたら寝てたアナスタシアと違って僕たちは――」
「あ、あーっ! そういえばーっ!」
流れる水のように、スラスラと淀みなく吐き出される怨嗟の言葉。
それを目の当たりにして顔を歪ませたアナスタシアは、突然、何かを思い出したかのように声を上げながら立ち上がった。
「俺もちょっとやらなくちゃいけないことがあったんだ! 悪ぃ、会議はなしだ!」
「へぇ、やること? こんな時間から? 夜はずいぶんと働き者なんだね?」
「ぐぬ……」
ピリピリと痺れるような緊張感に、眠気でぼやけていた意識が、徐々に明晰になっていく。
このまま布団に潜り込んだところで、すぐには眠れないだろう。
(仕方ないか)
溜め息を一つ。
悔しげに声を詰まらせるアナスタシアに、ヤマトは声をかけた。
「アナスタシア。少し話したいことがある」
それで、ヤマトの意図は伝わったのだろう。
パッと顔を明るくさせたアナスタシアは、勢いよく首を縦に振った。
「おぉ! そうかそうか! じゃあちょっと部屋の外に行こうか!」
「あぁ。ノア、少し留守にするぞ」
「……どうぞー」
散々に恨み言を連ねていたノアも、体力の限界だったのだろう。
一瞬だけ、感情の読みづらい視線をアナスタシアへ投げたところで、ふにゃりと布団の中へ潜り込んでいく。
その姿を確かめてから、ヤマトはアナスタシアを促した。
「出るぞ。静かにな」
「はいよ」
無闇に刺激しないよう、そそくさと部屋を後にする。
部屋から廊下へ出て、扉をパタンと閉めたところで――ふっと息を漏らした。
「いやー助かった助かった! 礼を言っとくぜヤマト」
「……このくらいはな」
凝り固まった身体を解すように、ぐるぐると肩を回す。
そんなアナスタシアの姿に苦笑いを漏らしながら、ヤマトも廊下の壁に背を預けた。
「あいつも今は気が立っているようでな。代わりに謝っておく」
「ククッ、なかなかおっかない奴だったな」
先程まで萎縮していた者とは思えないほど、ふてぶてしい態度だ。
喉元過ぎれば何とやら。
そう言ってやりたい衝動を堪えつつ、ヤマトはアナスタシアに向き直った。
「それで? 作戦会議だったか」
「ん?」
一瞬だけ、キョトンとした表情を浮かべたアナスタシアだったが、すぐに気を取り直す。
「お、おう! そうだったな! じゃあやっとくか!」
「……投げやりだな」
「そんなことはないさ」
コホンと軽く咳払い。
気を取り直したアナスタシアは、そのまま朗々と語り始めた。
「今回の俺たちの目的は、大きく言やぁ一つ。それは分かってるな?」
「帝国軍の北地侵攻。それを中止させること」
「そうだ。だが皇帝の権力が特別強いこの国だと、ちょっとやそっとのことじゃ国は動かねぇ。だから、それ相応の事件を起こす必要がある」
「それが内乱か」
最後の一言だけ、声を潜めた。
事が事だけに、誰にも聞かれるわけにはいかない。ここが皇都のど真ん中であることを考えれば、それも尚のことだった。
そんなヤマトの警戒心も知らぬ様子で、アナスタシアは更に言葉を重ねる。
「皇帝が対処せざるを得ないほどの大物と内乱を起こし、北地どころじゃないようにしてやる。俺たちができる最も効果的な手がそれだ」
「言うは易し。簡単なことではないぞ」
「あぁ。それこそが、この計画における最大の難点だな」
帝国という国家が揺らぐほどの大事。
たかが一政治家を動員した程度では、それほどの事件にはならない。せいぜい中隊が出張って鎮圧されるところが関の山だろう。
ゆえに、大物を動かす必要がある。
邪悪な笑みで口端を歪めたアナスタシアは、とうとうその名を呟いた。
「帝国第一皇女フラン。そいつが俺たちの狙いだ」
「第一皇女……」
「帝国における反戦派の筆頭格。皇位継承権こそないものの、国内での影響力は計り知れない女だ」
皇女フラン。
既に覚えておくようにと言い含められていたが、改めて聞かされたことで、その名前が頭の内に染み入ってくる。
「皇女は帝国参戦に際して反対意見を表明したらしいが、その案を却下され、今は離宮に軟禁されている。監視の中、身動きが取れない状態なのさ」
「そこを俺たちが救出し、事を起こさせる」
「そういうこった」
それが、ヤマトたちが帝国で成し遂げようとしていること。
皇帝が絶対的な権力を握る以上、その決定を覆すためには、皇帝の親類に協力を求める他ない。その意味で、今は軟禁されているという皇女フランは格好の標的であり、またヤマトたちにとって最後の希望ということができる。
とはいえ。
(問題は山積みだな)
アナスタシアに悟られないよう、漏れかけた溜め息を飲み込む。
(まず、件の皇女と連絡を取る手段がない。皇女という立場なのだから、そう容易く会える人物でないことは確かだ)
当然といえば当然のこと。
軟禁されているとはいえ、相手は皇族に連なる者の一人。当然、彼女がいる離宮には厳重な警備がされているはずであり、他所者であるヤマトたちが気軽に踏み込める場所ではない。ただ会うだけを論点としても、越えなくてはならない難題は幾つも列挙できるのだ。
無論、この問題についてはアナスタシアも考慮していることだろう。帝国までの道中では自信あり気な様子だったから、何か手を用意しているはず。それが上手くいったならば、皇女と面会することも叶うかもしれない。
(だが、その皇女に会えたところで、協力を得ることができるのか? 仮にも皇族ならば、内乱など疎んじるだろうが――)
考えかけて、首を横に振った。
どれほど頭を悩ませたところで、何か画期的な案が浮かぶわけでもないのだ。むしろ無闇に気分を落ち込ませるだけで、何の利もないとすらいえよう。
他に代案があるわけでもない。ならば、憂慮するだけ無駄であった。
「実際に行動を起こしてみなければ、何も分からないか」
「案外あっさり話が進むかもしれねぇ。今からグダグダ考える必要はないだろ」
「……そうだな」
そうしたヤマトの考えを、どこまで見通していたのだろうか。
あっけらかんと言い放ってみせたアナスタシアに、ヤマトは苦笑と共に頷いてみせた。