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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
帝国編
363/462

第363話

 吹雪で荒れ狂う北地を抜け、早数日。

 人目を忍んで山中を潜み歩く内に、気がつけば辺りから寒気も失せていた。見飽きるほどに降り積もっていた白雪は暖気で溶け、冷たく透き通った水が土を湿らせている。

 鼻孔に滑り込む草木と土の匂いに、思わず頬が緩むのを堪えられなかった。


(久々の春の匂いだな)


 北地での生活も長くなり、すっかりと忘却していた情念が蘇る。

 極寒の地で住む内、身体が凝り固まっていたのだろうか。緑の芳香を吸い込みながら背を正せば、心地よい痛みと共に血が巡る快感が広がった。


「ふぅ」


 思わず息が漏れる。

 鼻歌すらも歌いたくなるほどの清々しい気分。

 それに水を差すような声が、背中の向こう側から重々しく響いた。


「……随分と元気そうじゃねぇか」

「む」


 疲弊しきった様子の声に、振り返る。

 そこにいたのはアナスタシア。見慣れたはずのヤマトでさえ一瞬見惚れてしまうほどの美貌が、今は色濃い疲労によって、ひどく褪せてしまっていた。

 彼女の恨みがましい視線を自覚しながらも、苦笑いを浮かべてしまう。


「大丈夫か? 必要ならば背負うが――」

「余計なお世話だっての」

「……そうか」


 やたら攻撃的な言葉も、今のアナスタシアの状態を見てしまえば、一周回って微笑ましいものに思えてくる。

 苦笑を一つ。

 アナスタシアの疲労が極度のものでないことだけ確かめて、視線を外す。


「ノア。今はどの辺りだ?」

「もうほとんど帝国領だよ。正確には、どこの国にも属していない山の中だけど」


 ヤマトの声に応えて、鬱蒼と茂った木々の中からノアが現れる。

 ちらと見ただけでは少女と見間違う中性的な容姿。とても争い事が似合うようには見えないが、これでも歴戦の冒険者の一人であり、ヤマトの頼れるパートナーでもある。

 彼の報告を受けて、ヤマトは空を見上げる。

 どこで見ても同じように思える空模様。だがそれでも、雲の流れを細かくたどってみれば、意外と地域ごとに違いがあることに気づかされる。


「ようやく国境付近か。警備隊はどうだ」

「特になし。そもそも、こっちに警戒するような勢力はないからね」

「それもそうか」


 思わず頷いてしまう。

 大陸西部を広く支配する帝国。その北端には、北地と大陸南部とを隔てる険しい山脈が広がっているだけなのだ。

 とても人が暮らすには適さない地。せいぜい小規模な盗賊団程度しか入ることのできない場所なのだから、帝国がわざわざ厳重な警備を敷いているはずもない。

 その理屈に納得を示しながらも、僅かに首を傾げる。


「ならば、このまま入れると思うか?」

「どうだろう。警戒は薄くても、国境警備隊の配備はされているだろうからねぇ」

「突破は難しいか」

「不可能ではないだろうけど……」


 あまり望ましくないということ。

 難色を示したノアを安心させるように、ヤマトも即座に首肯した。


「分かっている。確かめただけだ」

「こっちに人がほとんどないとはいっても、まったくいないわけじゃないから。多少怪しまれるくらいで済むんじゃないかな」

「だといいな……」


 一応、ヤマトとノアは冒険者登録をした際に、身分証の代わりになるものを得ている。

 それを提示すれば、ひとまず入国拒否をされるということはないだろう。

 よって問題があるとすれば、それは身分証の類を持っていないだろうアナスタシアなのだが――、


「あん? 何だよ」

「……何でもない」


 ガンを飛ばしてくるアナスタシアから、そっと視線を外す。

 狡猾かつ聡明な彼女のことだ。わざわざ心配するまでもなく、何かしらの手は講じていることだろう。

 無意識に張り詰めていた緊張を、ふっと息を吐くことで解したところで。

 前方を見つめていたノアが、不意に明るい声を上げた。


「あっ、開けた場所に出るみたいだね」

「む」


 釣られて顔を上げたところで、木漏れ陽が差し込んできた。

 眩しさに眼を細める。

 勢いのままに数歩進んで、手近な木の幹を掴んだ。

 光に慣れた眼で、眼下を眺める。


「………」

「へぇ。やっぱ映像とは違うもんだなぁ」


 ちょうど木々の生えていない広場。

 山の中腹に位置するそこからは、広大な帝国領を一望することができた。

 見えた光景をただ一言で表すならば――「鉄」だろうか。

 元々は何もない草原だっただろうその地には、遠目でもはっきりと確かめることのできるほどに巨大な、鋼鉄の線路が巡らされていた。その上を、数本の列車が走っている。更に線路の両脇には整備された道が続き、数え切れないほどの歩行者や魔導車が行き来していた。


 そして、線路や道が続く先に薄っすらとみえる影。


「あれが――」

「そう。ヤマトは一度来たことがあったよね?」

「……そうだな」


 ノアの問いかけに首肯する。

 以前訪れたのは数年前のこと。極東を飛び出し大陸の強者を探し求めて、旅の末にたどり着いた場所。


「皇都……」

「そう。帝国の首都で、行政立法裁判軍事全ての機能が集中している。文字通り、帝国になくちゃならない街だ」

「はぁん、あそこが噂に聞く皇都ねぇ」


 遠目では、皇都周辺をぐるりと囲っている高い城壁を見ることしかできない。

 だがヤマトの記憶が確かであれば、その城壁の内側には別世界が広がっているはずだ。ここから一望できる線路や道路など比較にならないほどの、神経質なまでに整えられた街並み。


(そこへ、侵入するのか)


 改めて、自分たちがここへ――帝国へ訪れた目的を思い出す。

 ヤマトたちがこうしている間にも、北地の魔王城を攻略しているだろう帝国軍。彼らの進撃を喰い止めるべく、帝国第一皇女に代表される帝国内の反戦派を焚きつける。

 簡単にまとめてしまえば、内乱を引き起こそうというのだ。


「―――っ」


 緊張のあまり、口内が異常に渇く。

 誰が疑う余地もない、明確な帝国への敵対行為だ。目的遂行の難易度も然ることながら、その後に帝国から敵視され得ることの恐怖も大きい。

 ゾクリと。

 背筋を走った寒気のままに、思わず身震いが漏れた。


「ヤマト?」

「……何でもない」


 ふっと息を吐き、ツバで口を湿らせる。

 まだ始まってすらいないのだ。今から緊張しているようでは、この困難な任を果たせるのは到底無理だろう。


(大丈夫だ。荒事を切り抜ける程度、いつもこなしてきたことだ)


 言い聞かせながら、腰元の刀に手を伸ばした。

 ひんやりとした感触。

 刀身の怜悧な輝きを彷彿とさせる柄の冷たさに、さざめいていた心が徐々に落ち着きを取り戻していくことが分かる。


(――よし)


 強張っていた指を蠢かし、軽く拳を開閉する。

 問題ない。

 多少の気負いはあるが、この程度のプレッシャーならばむしろ好都合。致命的な失敗を犯しかねないほどの緊張は、もう失せてくれた。


「行くか」


 ノアとアナスタシアに。

 そして足先が鈍りそうになる己を喝するため、声を上げた。


「そうだね」

「この分なら、麓まで小一時間ってところか? だりぃな……」

「文句言わない。どうせ山降りた後も、しばらく歩かなくちゃいけないんだから」

「……だりぃな……」


 不平不満の声と、その感情を如実に表すようなしかめっ面を浮かべるアナスタシア。

 彼女の姿に思わず苦笑いを零しながら、ヤマトたちは獣道を再び歩き始めた。

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