第356話
(先日1月20日、第355話を大幅に修正しました。
確認していない方はそちらを先にお読みください。)
◇◇◇◇◇
「――ちっ!!」
大きく舌を打ち鳴らしながら、ヤマトは思い切り飛び退る。
直後、寸前までヤマトの頭があった空間を剛速の拳が貫いた。滑らかな黒鉄の篭手を這う紫電が、避け損ねた髪先を焦がしていく。
背に走る悪寒を努めて無視しながら刀を構えて――振り抜こうとした手を、既のところで喰い止める。
(くそっ、隙がほとんどない!?)
確かに振り抜かれたはずの拳が、ヤマトが避けたと認識した瞬間には、男の胸元で構え直されていた。
ただ引き戻したというだけではない。もしヤマトが勢い余って反撃に転じていたならば、即座に致命的なカウンターを叩き込めるような構え。
咄嗟に反撃の手を止めていなければ、次の瞬間に地へ伏しているのはヤマトだっただろう。
苦虫を噛み潰したような表情で身体を硬直させたヤマトに対して、男が選択した手はいたってシンプル。
「来ないならば、再びこちらから行くぞ」
「く――ッ」
言われるまでもない。反撃を諦めた瞬間には、ヤマトも続く連撃に備えて意識を集中させていたのだから。
ぐっと腰を低く落とした男の腕の動きを注視する。一瞬たりとも眼を離さないよう気を張るのみならず、激戦を経て積んできた第六感をも駆使した警戒体勢だ。
拳の先がピクリと蠢いた瞬間に、ヤマトは身を翻す。
「ふんッ!」
弾かれたように半身になり、左胸を撃ち抜く軌道の拳を避けた。
何気なく拳の行く先を眼で追いかけたところで、本能が警鐘をかき鳴らす。視線が追いつかない中、男が次撃を放つ構えに入ったことを悟る。
「こ、の――」
視認してから悠長に対処するようでは、到底間に合わないタイミング。
ゆえに、即座に博打へ出ることを決断した。
半分以上を直感に頼り、黒衣の男が立つ位置を算出。そこ目掛けて、伏せていた刀を斬り上げる。
「舐めるなッ!」
「ほう」
刃が空を斬る。
だが、相手を一度退かせることには成功してくれたらしい。
放とうとしていた二撃目を留めた男は、軽快なステップで半歩分だけ後退して刃を避けた。
たかが半歩分であっても、間合いを離せたことに変わりはない。その事実にホッと安堵の息を漏らそうとしたところで。
男は更に半歩退いた上で、拳を弓のように引き絞る。
「ならば、これを避けてみせろ」
「―――ッ」
改めて視線が正面を捉えた瞬間に、悟ってしまった。
あれは避けられない。
迎撃を選択しようにも、振り抜いた刀は未だに空を舞う最中にある。ろくに力の乗っていない刀を遮二無二に振り回したところで意味を成さないという事実は、火を見るより明らかだ。
ゆえに、ヤマトは回避を選ぶ他ないのだが。
(軌道は素直な反面、威力と速度は桁違い。狙いは放つ直前まで固めないつもりか)
理屈でいえば、ヤマトの扱う『斬鉄』と類似の技だろう。
強すぎるがために防ぐことは能わず、また速すぎるがために避けることも能わない。放たれた時点で「必殺」が確定する奥義。
多少の悪足掻きでは引っ繰り返らないほどに、この状況は詰んでいた。
「くそ――!」
堪え難い絶望と恐怖に抗うように声を上げながら、一縷の望みに賭けて身体は動く。
微かな躊躇を期待して刃を煌めかせ、足を退き半身になる。衝撃に備えて全身に力を込める一方で、地に着けている足を若干浮かせた。
奥歯を噛み締め、来る一撃を予期して眼を閉――
「――させないッ!」
涼やかなれど確かな熱を秘めた声が、場を斬り裂いた。
直後に銃声が鳴り響き、振りかぶられていた男の右腕から火花が散った。ぐらりと腕が傾ぎ、凝縮されていた力が綻ぶ。
戸惑いは一瞬。
即座に引き戻していた刀を上段に構え、刃を立てた。
「ちっ」
「今だよ!!」
言われるまでもない。
頼もしいノアの言葉に内心だけで応じながら、左脚を踏み出す。
不可避ゆえに必殺。先程目の当たりにした脅威をそのまま返すように、ヤマトの身体は奥義の型に入った。
間合い、狙い、構え全てが完璧。
たとえ鋼鉄の塊であろうと抵抗を許さず断ち切る斬撃を、脳天に掲げた。
「奥義――」
「温い」
割り込むように響いた声は一言。
だがそれは十分な存在感を伴ってヤマトの耳に滑り込み、そして現実を歪めた。
激しさを増した紫電が、ヤマトらの網膜を焼く。
ここ数日で幾度も受けた電撃の威力に、反射的に身体が萎縮するのを自覚した。顔が恐怖にひきつり、臓腑が縮こまる。
(マズ――)
「放電」
「ぐぅっ!?」
全身に衝撃が駆け巡った。込み上げる吐き気に耐え兼ねて体勢を崩したところで、膝が自分のものでないかのように笑っていることに気づく。
身体の統制が、取れない。
いつの間にか色褪せた視界がグラグラと揺れ、意識が身体から遠のく。指先まで確かな感覚と共に握っていた刀が滑り落ち、カランッと乾いた金属音が冗談のように耳に残った。
眼の前が真っ暗になる。
暗転。
「――きてヤマト!!」
「………ッ!?」
数秒か、一秒か、それにも満たない時間か。
確かに意識を暗転させていたヤマトは、滑り込むノアの呼び声に我を取り戻した。
膝から崩れ落ちそうになっていたのか、ずいぶんと床が近くにまで迫っている。咄嗟に遅れていた右脚を前へ突き出し、体勢が崩れるところを阻止した。
「く――っ」
「しぶとい男だ」
ほとほと呆れたような声が聞こえてくるが、それに構うだけの余裕はない。
(くそっ、ダメージが大きすぎる……!)
強力な電撃を真っ向から受けてしまった弊害だろう。
辛うじて二本脚で立つことはできているものの、身体を支えている膝は独りでに笑い続けている。地に落ちた刀を拾おうと伸ばした指先も、見ていて憐れになるほどの痙攣を起こしていた。肺が不気味な収縮を繰り返し、満足に呼吸を整えることすら許さない。
チカチカと視界が明滅する。
「ずいぶんと苦しそうだな?」
「―――っ!」
男の声が頭上から降ってくる。
それを耳にした瞬間に、身体を横向きに投げ出した。直後、ヤマトの頭があった場所を男の爪先が蹴り上げる。
(容赦のない奴だ!)
そう思っていても、言葉を口にするだけの余力がない。
不幸中の幸い。体勢を崩したことで近づいた刀を手に取り、震える指先をそのまま柄に這わせる。
眼球だけを動かして男の方を見やったところで、ノアからの援護射撃が殺到する。
「ヤマト、間合いを取って!」
「………!」
言われるがままに、身体をゴロゴロと転がす。見た目が悪いことなど、この際構っていられない。
前後左右の感覚が狂う中、ヤマトは聴覚に意識を寄せる。
「これでも喰らいなよ!」
「む」
銃声は三発分。
尋常ではない速度で反応した黒衣の男は、黒鉄の篭手を盾のように掲げる。角度を小刻みに切り替え、弾丸を弾き落とすように腕を振るうこと――都合、五回。
「発砲間隔をズラしたのか。器用なことをする」
「……そっちはずいぶんと眼がいいみたいだね」
ただ三発分の銃声の内に、五発を撃ち込む芸当。
ノアがやってみせたのは、並大抵の者には真似できないほどの高等技術だ。軍で正式に銃の扱いを学んだとて、ノアと同程度に扱えるとは思えない。
だが何より驚嘆するべきは、その技を初見であっさりと対処してみせた黒衣の男の異常性だろう。巧妙に偽装された銃撃を防ぐには、それこそ肉眼で銃弾を捉えられていなければ説明がつかない。
そんなことが不可能なのは、改めて言うまでもない。
(常識外れな連中だ)
徐々に熱が戻ってきた指先で刀を握りながら、ヤマトは毒づく。
多芸なノアに、理不尽を体現するような黒衣の男。彼らと同じ戦場に立たなければならない重責を感じる。
(だが、やるしかない――!)
視線を流し、銃弾をばら撒いているノアと眼を合わせた。
「行くぞ!」
「……ちっ」
弾丸の雨を凌ぎ、なおかつ前進を試みていた黒衣の男。
彼の思惑を阻害するように声を上げながら、思い切って弾幕の中へ駆け込んだ。
ちょうど黒衣の男を盾に前に立てることで、ヤマトが弾丸を受けることはなくなる。彼がちゃんと銃撃を凌いでくれるという信頼に基づいた決断だったが、どうやら功を奏してくれたらしい。
「面倒だな」
苛立ち紛れに黒いフードを僅かに揺らして、男はヤマトの方へ向き直った。
狙い澄ましたノアの銃撃が、男の身体を数回貫く。鮮血が噴き出し、傷を負わせたことをヤマトたちに確信させてくれたものの――、
「そろそろ終わらせるとしよう」
男の動きは鈍らない。
ヤマトへの着弾を恐れて、ノアの弾幕が薄くなる。その瞬間を狙って、黒衣の男はヤマトへ向かって一歩間合いを詰めた。
(―――?)
心の内に、妙な感覚が過る。
その正体を確かめるよりも早く、身体は刀を上段に構え、先程は放ち損ねた必殺の一撃を備えた。
一歩分だけズラされたとはいえ、間合いは想定の範囲内。呼吸も整い、天に掲げた刃には紛うことなく必殺が込められている。
(だというのに――)
不吉な予感が止まない。
思わず足が鈍りそうになるが、すぐ眼前で同じく構えた男の存在がそれを許さない。
止まらない逡巡を振り払い、大上段にまで掲げた刀に専心した。
「『斬鉄』!!」
光が奔る。
何物による抵抗も許さない白刃が、男の黒衣を裂き、その内にある肉を斬った。
鮮血が噴き出し、確かな手応えがヤマトの内にも返ってきて。
「――失せろ」
「なっ!?」
男の動きが、止まらない。
明らかに尋常ではない量の血飛沫を散らしながら、それでいて動きを鈍らせることなく。男は拳を腰溜めに構え、戦車の砲撃に等しい一撃を――振り抜いた。
「ガ――ッ!?」
「ヤマト!?」
ノアの悲鳴が耳に残る。
それに応じる言葉も出せないまま、足が地を離れたことを、どこか他人事のように認識した。
(世界が、赤く――?)
自由の利かない身体が空を舞う。
赤く染まる。
自他の境界がとろけるように曖昧になっていき、段々と世界全てが赤くなっていくような錯覚。
(これは、本当に――)
自分が何を言おうとしたのかすら分からない。
意味の成さない言を数度零そうとして、その全てに失敗して。
ヤマトの意識は、一息に暗闇の奥底へと沈み込んだ。