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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
海洋諸国アルス編
35/462

第35話

 薄暗い神殿から外へ出たときには、空はすっかり赤く染まっていた。

 久々に浴びられた陽光と潮風に、ヤマトとノアは思わず溜め息をつく。洞窟に潜った経験はそれなりにあるが、その窮屈さにはまだまだ慣れそうにもない。


「勇者様。お戻りになられましたか」


 律儀に神殿の外で待っていたらしい。橙色の法衣をまとった太陽教会の神官が、穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。


「すまない、待たせたな」

「いえいえ。何か得るものはありましたか?」

「あぁ。なかなか得がたい経験になった」


 そんなヒカルの言葉に、神殿を案内してきた海竜信仰の神官は誇らしげな表情を浮かべる。


「それはよかった。勇者様のご案内、感謝します」

「いえいえ! こちらとしても、滅多にない経験をさせていただきましたから!」


 確かに、成竜をあれほど間近で見られる経験は今後そうはないだろう。街中の神殿で一生のほとんどをすごす神官ならば、なおさら。


「それでは勇者様。直に晩餐の時間となりますので、そろそろ……」


 晩餐。勇者として貴賓待遇される身なのだから、そういうこともあるのだろう。

 「分かった」と神官に頷き返して、ヒカルはヤマトたちの方へ向き直る。


「三人とも、今日は感謝する。まだしばらくアルスに滞在するつもりだが、その間に再び会えることを願っている」

「こちらこそ。グランダークのときみたいに、また色々見て回りたいね」


 ノアの言葉に、心なしか嬉しそうな雰囲気を出しながらヒカルは頷く。

 海洋諸国アルス。ヤマトとノアは既に、市場と土着の精霊信仰の神殿を見て回ったことになる。だが、それではまだアルスの全てを見て回ったということにはならない。外国向けに宣伝されたリゾート施設や、無人島を改造したレジャー施設などはまだまだ無数に存在しているのだ。

 ヤマト個人の趣味で言うならば、どこかの海賊に紛れ込んで外海へ乗り出すのも面白そうだ。


「それでは、失礼する」


 勇者らしく堂に入った礼をしてから、ヒカルは太陽教会の神官を伴い、その場を後にする。

 二人の背中を見送っていたところで、ふとララが溜め息をついたことに気がつく。


「どうかした?」

「いや。まさか二人が、勇者と知り合いだったなんてね」


 「緊張しちゃったよ」と言いながら、額の汗を拭う仕草をする。

 既にヒカルの素顔を知っているヤマトとノアからすればどうということはないが、全身を鎧兜で武装したヒカルの姿は、確かに傍目では充分すぎるほどの圧力を伴っている。本人も意識して無愛想な素振りを演じているらしいから、そうでなくては困るのだろうが。

 思えば、ヒカルと合流した辺りからララの口数が少なかったことには、そうした理由もあるのかもしれない。


「前にグラド王国に行ったとき、少しつき合いがあったんだ」

「グラド王国っていうと、グランダークが襲撃されたっていう?」

「そうそう」


 グラド王国の首都グランダーク。

 未だに魔王軍襲撃の爪痕は残されているようだが、復旧作業も素早く進められていると聞く。また、この事件を収集させたのが勇者ヒカルということも同時に知れ渡り、勇者の存在について半信半疑であった者が、その存在を事実として受け止めるようにもなったらしい。

 ララもそうした内の一人だったのかもしれない。


「勇者が魔王軍の幹部と戦って、捕縛したって話は聞いたけど」

「事実だよ。ついでに言うと、そこに僕たちも居合わせていたし」


 驚くような表情の後、ララは目を好奇心に輝かせる。

 その話をもっと詳しく、と主張するような眼差しに苦笑しながら、ノアはヤマトの方へ振り返る。


「……そうだな。では夕飯を馳走してくれるのなら、話すとしようか」

「商談成立! ちゃんと聞かせてよ!」


 輝くような笑みを浮かべて、ララは頷く。

 グランツと相まみえたときの憂いの表情がすっかりなくなっていることに、ヤマトとノアは密かに安堵の溜め息をついた。




     ◇◇◇◇◇




 アルスの街の中心部にそびえ立つ、周囲よりも一際綺羅びやかな館の中。

 華美な照明で照らされた廊下を、グランツは護衛を一人――燃えるような赤毛の男だけを引き連れて歩いていた。


「ロイ。あなたはあの勇者をどう思いましたか?」


 ロイと呼ばれた赤毛の男は、むっつりとした無表情のまま、小さく口を動かす。


「武人としては未熟。ひとまずその一端に迫った程度でしょうか」

「ふむ。将来的には?」

「伸びる可能性はあります」


 アルスという数多の商人がひしめく街の中でも、随一の資産力を誇るグランツ。そんな彼が片時も離さずに連れている護衛がロイだ。当然ながらその腕前はアルスで一番、大陸でも屈指のものだ。そんなロイが認めているのだから、勇者とやらの素質は確かなものなのだろう。

 太陽教会が担ぎ上げているくらいなのだから、それも当然なのだろうが。


「やはり動かざるを得ませんか」


 ひどく気が進まなさそうに、グランツは呟く。


「ロイ。勇者についての悪評を流しなさい」

「どのような内容にしましょうか」

「未だ武人として未熟。伝説の再来と呼ぶには疑問が残る。そのくらいでいいでしょう」


 嘘ではない。将来的にどうなるかは不明瞭だが、現時点ではロイが「未熟だ」と判断を下した。

 それに、それだけの情報でも彼らは容易く煽動できる。


「彼らにはせいぜい喚いてもらわなくては。できますね?」

「お任せください」


 執務室の扉までたどり着いたところで、ロイは礼をして立ち去っていく。

 その背中を見送ることなく執務室へ身を滑り込ませたグランツは、誰の姿もない執務室を眺めて、大きく溜め息をついた。


「そこにいるのでしょう? 出てきたらどうです」

「――やれやれ。相変わらずあなたは気配に鋭いですねぇ」


 口調こそ礼儀正しい一方で、その言葉に相手を敬うような調子は欠片も存在しない。それどころか、少なからず人を小馬鹿にするような調子の声。

 照明もなく暗闇に閉ざされた執務室の一角に、闇から抜け出たように、その男は現れた。


「冗談は結構。気づくようにしていたのでしょう、クロさん」

「えぇまぁ。あれで気づけないようでしたら、あなたのお命も頂戴しようかと」


 全身を墨色に染まったローブで覆い隠した男――クロは、そう言いながら懐から銀色のナイフを取り出し、手元でゆらゆらと揺らす。

 思わず背筋に寒気を覚えながらも、グランツは毅然とした態度を崩さない。


「それで、何の用です」

「分かっているのでしょう? 招かれざるお客様のことですよ」


 「お前のことか」と茶化したくなる気持ちを堪えながら、グランツは脳裏に勇者ヒカルの姿を描き出す。


「あなたはどう評価しました?」

「……話になりません。多少の道理を考える頭は持っていそうですが、経験も意識も圧倒的に足りていません。勇者の加護とやらがなければ、せいぜい農夫がお似合いでしょうか」

「クククッ、辛辣ですねぇ」

「あなたは違うと?」


 グランツの問いかけに、クロは虚空を見上げる。


「初めて見たときと比べれば、雲泥の差というほどに勇者は育っている。試練を経て成長を遂げるのは、正しく勇者たるに相応しい素養でしょうね」

「そうですか」

「えぇ。この世に数多の試練はありますが、それを乗り越え、自身の糧とできるのは僅かな者だけです。それができる者こそを、人は英傑と呼ぶのでしょうね」


 「あなたもですよ」というクロの言葉に、グランツは眉間にシワを寄せる。

 そんなグランツの反応すらも面白がるように笑い声を上げて、クロは執務室の窓から海へ視線をやる。


「そんなわけですから、勇者に聖鎧が渡るのは面白くないんですよね」

「妨害をしてほしいわけですか」

「えぇまぁ」

「ならば改めてここに来る必要はありませんでしたね。元よりそのつもりです」


 それを聞いて、クロは黒いフードの奥からクツクツと笑い声を上げる。


「何がおかしいのですか」

「いえいえ。やはり、あなたは私たちと手を組むに相応しい人間だと思ったのですよ」


 咄嗟に言葉に詰まったグランツに対して、クロは言葉を並べ立てる。


「元よりそのつもり? でしょうね。加えて言うならば、あなたは勇者を妨害こそすれども、聖鎧を渡さないようにとまでは考えていない。適当なところで聖鎧を渡して、勇者に退散願うつもりだ」

「………」

「私たちと人間の全面戦争を望むあなたにとって、勇者を絶対に足止めするだなんてリスクが大きすぎる。のではなくて、リターンが少ないとあなたは考えている。恩を売り、勇者との繋がりを作れた方が、より大きな利益を得られる」

「何が言いたい」

「保身に走らず、己の欲を優先させる。そのあり方は、私たちのものと共通しています」


 唐突に笑い声を引っ込めたクロは、何も言えないでいるグランツの顔を覗き込む。

 獲物を捉えた蛇のような眼光に、グランツは思わず脂汗を滲ませた。


「私たちに仲間意識などはない。ただ、それぞれの目的のために互いを利用し合っているだけ。だから、あなたの考えは見逃しましょう。けれど、少しばかり条件を加えます」


 黒い手袋に覆われた指を一本立てて、クロは言葉を続ける。

 息を呑んでそれを見つめるグランツに、クロは愉快そうに声を震わせながらそれを口に出した。



「このアルスを沈めようと思います」



 グランツは自分の耳を疑う。

 だが、それが現実に聞こえたことであることを確かめると、即座に頭を回転させる。


「単に侵略する、わけではないのですね」

「えぇもちろん。そんな芸のない真似はしませんとも」

「……海に沈める?」


 その言葉に、クロは大きな拍手と共に喝采の声を上げた。


「ご明答!! この海を守護する竜にちょっとばかり交渉して、辺りを沈めてみようかと! なかなか面白い余興でしょう?」

「無茶なことをしますね」

「だからこそ、私たちに相応しい」


 クロの言葉にグランツは溜め息を漏らす。

 クロが口に出した以上は、それは決定事項なのだろう。勇者だろうが魔王だろうが神だろうが、何が邪魔立てしようとも遂行できることしか口にしない。それがクロという男だ。

 先のグラド王国首都グランダークへの襲撃は、勇者の妨害によって失敗に終わったという。これによって魔王軍の力を軽視するように大陸が動いてしまえば、グランツとしてもあまり美味くない展開になる。その意味でも、グランツにとって一応の得がある話ではあるのだろう。

 商人の目からそんな分析をしたグランツは、続いて自身の損害を計算する。アルスの街に本拠地を置くグランツからすれば、とても無視できる話ではない。


「周りの島は?」

「そちらは残そうかと。竜の力もそこまで大きくはなさそうですし」


 この口振りだと、既に決行直前までの仕込みは完了しているのかもしれない。

 手が早いなと諦めの溜め息と共に、グランツは口を開いた。


「決行日は」

「あなたも色々準備しなくてはいけなさそうですからね。二日後でいかがです?」

「二日後……」


 短すぎる。

 明日は勇者ヒカルが評議会に来るらしいから、それの対応をしなければならない。それに一日を費やしてしまうと、まったく準備を整える――資産を避難させる時間がない。

 そんなグランツの内心を知ってか、クロは不気味な笑い声を上げ続ける。


「こうしている間にも時間は流れている。急いだ方がいいですよ?」

「――クソっ!」


 悪態をついて、グランツは執務室を出ていく。

 口早に部下へ指令を飛ばしている声を聞きながら、クロは部屋の中で舞うように身体を回転させながら、虚空を見上げた。


「さあ勇者ヒカル。グラド王国に続く、第二の試練の到来です。この危地を、あなたは無事に乗り越えられるのでしょうか?」


 明るかった月は、いつしか分厚い雲に覆われている。

 風向きさえも不穏な雰囲気を放つようになった海を眺めながら、クロは延々と笑い続けていた。

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