第345話
「お邪魔、します」
「……おう」
扉を開けた先。
ノックの主を見やり、ヤマトはこくこくと頷くしかできなかった。
(いったい何の用だ――ナハト)
そこに立っていたのは、第四騎士団長ナハト。
顔を交えたことは数回会っても、会話を交わしたのは先日の交戦時のみ。そんな、とても付き合いが深いといえない彼女が、一人で部屋を訪れてきた。
何が用がある。そう考えるのが自然だろう。
表情から何か察せないかと眼を走らせるものの、ナハトは持ち前の内気さを発揮し、眼を伏せたまま上げようとしない。
「………」
「………」
何を話せばいいか分からないまま、数秒の沈黙。
このままずっと続くと思われた気まずい空気。それを最初に破ったのは、部外者とでもいうべきノアだった。
「お客さんだよね? とりあえず入ってもらったら?」
「……そうだな。適当に座ってくれ」
「は、はい」
扉の前から身体をずらし、招き入れる。
物珍しげに部屋をキョロキョロと見渡すナハト。彼女の背を押し、ひとまずは部屋に備えられた机の前に彼女を座らせた。
(ここから何を話せば――)
先程までベッドの上でストレッチをしていたノアだが、今はその姿が見えない。
助けを求めるように視線を巡らせたところで、ノアが部屋の奥から出てきた。その手には、茶が三つ用意されている。
「はい、お茶」
「あ、ありがとうございます」
「いいよいいよ。元々置いてあったものだし、遠慮なく飲んじゃって」
言いながら、ノアは自然な動きで席に腰を落とす。
静養ということで部屋に押し込められていたが、いい加減刺激に飢えていたらしい。その眼には、隠し切れない好奇心の光が宿っていた。
溜め息を吐きたい気持ちではあるが、ヤマトもそのまま席につく。
「ナハトちゃん、だよね? 前は大活躍だったみたいだね」
「そんなことは――」
「謙遜しなくていいって。表彰されたんだから、もう知らない人はいないよ」
「うぅ……」
ノアが口にしているのは、先日行われた表彰式のことだ。
帝国軍の偵察兵を退けた功績者として、ナハトは全軍の前で表彰されていた。ヤマトとヘルガが事前に想定していた通り、ナハト自身はあまり嬉しげな表情をしていなかったものの、彼女を見て士気を上げた兵士は多い。
素直に褒めるノアの口振りだが、対するナハトは素直に喜べない顔をしていた。
(やはり、彼女の気性には合わなかったらしいな)
面には出さないまま、ヤマトは内心で頷いた。
先日の表彰式はヘルガが絵を描いたものだ。兵たちの士気を上げるべく、ナハトの暴走を利用したといっていい。
当事者であるナハトからすれば、自分が我を失って暴走していたことは明白。表彰を素直に喜べないのも、また道理だろう。
話を変えるべきか。
「それより、ここへは何の用で来たんだ?」
「あぁ確かに。前の戦いで会ったくらいの縁だったよね」
ノアも話に乗ってくる。
話の流れが変わったことを悟って、ナハトの顔色が幾分か持ち直した。
「えっと、その、お礼を言いに……」
「礼?」
思わず首を傾げる。
疑念のままに視線を向け続けると、居心地悪そうに身をよじったナハトが、小さく口を開いた。
「あの、助けて、くれたから」
「ふむ」
思い当たる節ならば、一応ある。
帝国兵との戦いのことだろう。力を発露できなかったナハトに代わり、ヤマトが帝国兵二人の相手を請け負い戦ったのだ。
ヤマトからすれば気にするほどのことでもないのだが、ナハトにとっては違ったらしい。
「律儀なものだな」
「あぅ」
思ったままに呟けば、ナハトは更に縮こまってしまった。
隣の席に座っていたノアから、ギンッと鋭い視線が飛んでくる。突き刺さる「フォローしろ」という無言の圧力に、ヤマトはじっとりと冷や汗を浮かべた。
「わ、分かった。その言葉は確かに聞き届けた。もう気にすることはない」
「……分かりました。ありがとうございます」
ふっとナハトの表情が和らいだ。
瞬間、心なしか周囲の空気までが軽くなるような感覚を覚える。胸の内から湧き出た感情のままに、ほっと安堵の息を漏らした。
ひとまず話が一段落したことを見てか。沈黙していたノアが口を開いた。
「さっきのヤマトの言葉じゃないけど、お礼に来るなんて律儀だね」
「そ、そんなことは……」
「そうだよ。顔を会わせたら言うだろうけど、わざわざ会いに行こうとは思わないだろうから」
「いえ、本当に、あの」
賛辞の言葉が照れ臭いのか、ノアが口を開くたびにナハトは縮こまっていく。
そんな彼女の反応が面白くなってきているのだろう。ノアの方もニヤリと口端を釣り上げながら、次々と褒め称える言葉を紡いでいた。
ますます空気が軽やかになっていく。
場の空気に釣られて、ヤマトもふっと笑みを零しそうになったところで。
(―――む?)
違和感を覚えた。
ノアとナハトが和やかに会話をしているだけにしては、空気が――雰囲気がコロコロと変わりすぎている。その雰囲気に釣られて、ヤマトたちの感情までもが浮足立っていくような、妙な感覚があった。
まるで、他の誰かがこの場にいて、彼女らの会話を一緒に楽しんでいるような。
思わず、周囲を見渡す。
「ヤマト、どうかした?」
「何か、ありましたか……?」
「む? あぁいや、大したことではない」
怪訝そうに首を傾げたノアとナハトは、適当に誤魔化しておいた。
やたらと不自然な雰囲気の流れではあるが、悪意の類は感じられない。ならば、あまり気にしても仕方ないことなのだろうか。
首を傾げるしかできないヤマトの耳に、自然な表情で微笑んだナハトの言葉が滑り込む。
「でも、良かったです。怪我もあまり悪くないみたいで」
「……そうだな。大袈裟に包帯を巻かれてしまったが、傷自体は深くない。数日も待てば、更に良くなるはずだ」
「嘘ばっかり」というノアの視線が痛くなるが、努めて無視する。
そんなヤマトの気遣いを知ってか知らずか、ナハトは表情を緩めた。
「無茶はダメだって皆言ってます。今は大丈夫だけど、無茶したら悪くなるって。ね?」
「………」
何かを確かめるようなナハトの言葉。
少女の視線がヤマトとノアの両方になく――何もないはずの虚空に、向けられている。
そのことを悟った瞬間、ヤマトは思わず、開きかけていた口を閉ざしてしまった。