第341話
刀を正眼に構えたまま、静かに重心を落とす。
ただそれだけの動作を経た後に、ヤマトは己の異変を敏感に察知した。
(身体が重い。やはり疲労が溜まっているな)
考えてみれば当然のこと。
ほんの僅かに身体を休めたとはいえ、魔王城に到着してから一夜も明けていないのだ。長旅の疲労は、着実に身体を蝕んでいる。
そのことに舌打ちを漏らしたい気分ながら、努めて平静を保ち、己の状況を探る。
(握力低下。重心もブレている。持久力もないし、意識も散漫か)
もはや笑うしかないほどに、ボロボロの状態だ。
――それでも、ここまで来たからにはやるしかない。
彼我の間合いを慎重に測り、僅か半歩分にも満たない踏み込みにすら気を払うヤマト。それに対して、帝国兵は物言わぬまま、腰に下げていた魔導銃――拳銃タイプの代物を手に取った。
「銃か」
「卑怯だなんて言ってくれるなよ? 俺たちの正式兵装だ」
「ふん」
勝てば官軍負ければ賊軍。
戦場においては勝利こそが絶対の正義であり、その前であれば、いかなる方法であろうとも正当化される。
その道理が理解できないほどには、ヤマトは幼くはない。
(だが、厄介だな)
面には出さないものの、内心で苦味を覚える。
長物は厄介だ。
古来より戦場の主役は槍だったが、帝国により技術の先鋭化が進んだ現状、その座は銃に奪われたといっていい。
標的へ銃口を向け、引き金を引く。ただそれだけの動作で殺戮を可能とする簡単さも然ることながら、他の追随を許さないほどの有効距離の長さは、ただ脅威と呼ぶだけでは生温い。
希望があるとすれば、ヤマトがノア――大陸でも有数の魔導銃の使い手と、幾度か刃を交えた経験があることだが。
(遮蔽物はない。距離も開けている)
状況は、良くない。
論じるまでもなく、ここは既に敵の間合い。加えて、銃の射線を遮るような物品や、視界を阻害するようなものもない。
下手に動けば、撃たれる。
動かずとも、撃たれる。
(――だが、やるしかない)
苦境を理解しながらも、ヤマトは戦意を萎えさせることなく、むしろ血気盛んに闘志を噴き上げた。
感心したように、男兵士は眉を上げる。
「戦意は落ちない。バトルジャンキーの類だったか?」
「………」
「答えはなし。悲しいね」
おもむろに、銃口がヤマトの胸元へ向けられた。
後は指先を僅かに動かしさえすれば、弾丸が放たれる。鉛の獣が空を裂き、反応を許さない速度をもってヤマトの臓腑を喰い破ることだろう。
そのことを、どこか遠い世界の出来事のように捉えながら。
ヤマトの視線は、すっと一点だけを捉える。
「ほら、もう詰んでいる。お前がどれだけ強いのかは知らないが、所詮は生き物だ。胸元を穿たれて、生きていられる奴はいない」
「そうか」
「分からないか? お前が俺に勝ちたいんなら、今の状況だけは作ってはいけなかった。銃口を向けられた瞬間には、お前の敗けが確定するんだ」
「かもしれんな」
ひたすら曖昧に、相手をはぐらかすような物言い。
それは、男兵士にとって無性に癪に障るものだったのだろう。額に青筋を浮かべた兵士は、引き金にかけた指先へ力を込めた。
「……ふざけているのか。それとも、自分が死ぬってことが理解できていないのか」
「確かめてみたらどうだ」
「舐めやがって」
煽るような口振りとは裏腹に、ヤマトの心からは余裕が瞬く間に失われていた。
世界から、徐々に色が褪せていく。
勝負所は一瞬。その一瞬を逃せば、ヤマトの命は跡形もなく消し飛ぶだろう。その死への恐怖が鼓動を掻き立て、視野が狭まっていく。
それでも、意地でも視線を一点からは剥がさない。
「死ぬぞ」
「試せば分かる」
「馬鹿が」
口汚い罵倒が兵士から飛び出した瞬間、時の流れが遅れだす。
ヘルガやナハト、帝国兵残りの二人のことのみならず、眼前で銃を構えている男の存在すら、ヤマトの意識から欠落する。
灰色の世界に浮かび上がるのは、やたらと軽い刀を手にした己と、暗闇の中で銃を携える手のみ。
(タイミングは誘導できた。後は、斬るだけだ)
元より、発砲に見てから反応するつもりなど毛頭ない。
重なる挑発で大雑把にタイミングを絞り、細心の注意を払って指の動きを見逃さない。そうすれば、かなり細かいところまでタイミングを見切ることもできる。
弾丸の軌道も、銃口の傾きから推測することができる。
「ふぅ――」
勝負は一瞬。
凪いだ水面を心の内に描き、雑念一切を排した。
やがて、その瞬間が訪れる。
「死ね」
「――ここ」
発砲音や兵士の言葉を置き去りにして、鉛の弾丸が放たれる。
それを文字通りの一瞬前で察知したヤマトは、予め脳裏に描いた軌道のままに、刀を振り抜いた。
硬質なものが、刃の先に触れた感覚。
(成功だ)
ボヤける視界の中、銃を携えた兵士の姿を中心に捉える。
まだ状況が理解できていないらしい。勝利を確信したままの兵士めがけて、足を踏み出す。
ここが、勝負所だ。
「ふッ!」
「―――?」
時間にして、一秒にも満たない程度の間隙。
それを縫うようにして踏み込んだヤマトは、一息に間合いを詰める。
銃の間合いから抜け――刀の間合いへ。
呆けた面を晒す男兵士目掛けて、中段の刀を思い切り突き出す。
「シャッ!!」
「くっ!?」
間一髪。
寸前で我を取り戻した男は、そのまま仰け反るように胴を撚る。かなり無理のある動きだったが、その甲斐あって、刃は男の脇を掠めるに留まった。
渾身の一撃を外した。
その事実を前にしても、ヤマトの心に波風は立たない。
「て、めぇ……!」
「ずいぶんと余裕だな」
繰り返すようだが、ここは既に刀の間合いだ。
男が必死に銃口を構えるよりも速く、ヤマトは刀を振ることができる。
(一気に片付ける!)
噴き上がった闘志で、ヤマトの狙いを直感的に悟ったのだろう。
顔を恐怖で染め上げた男は、だが醜態を晒すことなく、拳銃を握る手を固める。
「舐めんじゃねぇ!」
「―――!」
駆け巡る危機感のままに頭を下げる。
直後、存外に威力の高い裏拳が、ヤマトの頭頂部を掠めた。
「俺は体術も履修済みなんだっての! てめえに寄られた程度で落ちるかよ!!」
裏拳一つでは終わらない。
矢継ぎ早に繰り出される掌打と蹴撃。当人が自信あり気に口にしただけあり、どれも侮り難い威力が込められている。
(確かに、なかなかやるが――)
僅かに男兵士への評価を上方修正しながらも、動揺はない。
幾度か拳と爪先を受け止め、その重さに渋面を作りながら、眼を凝らし思考を整理する。
時間にして、ほんの数秒。
(見切った)
突き込まれた拳を打ち落とし、続けて放たれた回し蹴りに対しては、膝を蹴り砕いて止める。
「く、そ……」
「なかなか良い筋をしている」
が、所詮は付け焼き刃。
これまで数え切れないほどの修羅場を潜り抜けたヤマトの眼には、些かぬるく見えたのも事実だ。
最後の抵抗とばかりに向けられる拳銃を、刀の切っ先で絡め取る。
呆気ないほど軽く、拳銃が空へと打ち上げられた。
ヤマトの眼の前には、膝を割られ銃を失い、もはや抵抗することもできない男が一人。
「終わりだ」
「く――」
せめてもの慈悲。痛みを感じる間もなく首を刈り取ってくれよう。
その思いのまま、刀を大上段へ振り上げたヤマトは、
「その刀を止めてもらいましょうか?」
振り下ろす寸前で、身体を硬直させた。
そのまま眼球だけを動かし、男と同じく拳銃を構えた女兵士の方を見やり――事態を悟る。
(間に合わなかったか)
女兵士が構える拳銃の先にいるのは、涙目になったナハト。
果たして戦えるのかと疑問視していたが、どうやら懸念は当たってしまったらしい。
叶うならば余計な茶々を入れられる前に男兵士を仕留めたかったが、存外に抵抗されたのが不味かったのだろう。
(だが、どうする)
更に視線を移す。
隊長格の兵士とヘルガは、未だ交戦中らしい。互いに他所へ気を回す余裕がないほどに、張り詰めた空気が漂っていた。
ヘルガの助力を期待することは、できない。
(――仕方ないか)
素早く思案を巡らせ、決意する。
四将軍として祀られているとはいえ、見た目は幼い少女だ。ナハトを見殺しにはできない。
素直に言葉に従うように。
構えていた刀を下ろし、ゆっくりと姿勢を正す。
殊勝な態度を装いながら、耳をそばたてる。
(そろそろか)
対する女兵士の方は、ヤマトが刀を下ろしたことにひとまず安堵したのだろう。
見るからに注意が散漫した様子のまま、口を開いた。
「そう。それでいい。この子の命が惜しければ、刀を地に置いて――」
「――馬鹿っ、余計なことを!!」
その動きにまず気づいたのは、絶体絶命まで追い詰められていた男兵士だった。
彼の要領を得ない言葉に、女兵士の理解が追いつくのを待つこともなく。
ヤマトは、空から降ってきた拳銃を掴み取った。
「な――っ!?」
「伏せろ!!」
正確に構えたりはしない。
大雑把に銃口を女兵士へ向け、そのまま矢継ぎ早に引き金を引いた。
(反動がキツいな)
一発ごとに、骨に響くような衝撃が伝わる。
右肩からミシミシと立ち昇る悲鳴を黙殺し、更に撃つこと七回。
何度か弾が命中したように見えたが、女兵士が倒れる様子はない。
(弾切れか)
八回目の引き金でそれを確信したヤマトは、躊躇う素振りを見せないままに、用無しとなった拳銃を女兵士目掛けて投げつけた。
急変する事態に追いつけていない女兵士を確かめてから、刀を握る手に力を込める。
(―――! 骨にヒビが入ったか)
鋭い痛みを受けて、計画を変更。
一息で女兵士へ肉薄し、左手で支えながら、すくい上げるように刀を振り抜いた。
「きゃっ!?」
確かな感触。
刃の先が彼女の手にあった拳銃を捉え、数秒前の光景を再現するように空へ跳ね上げる。
くるくると拳銃が空を舞う。
その下で、女兵士は何か覚悟の決まった表情になり、
「――放電!!」
「ぐっ!?」
紫電が迸る。
凄まじい衝撃がヤマトの全身を焼き、視界を白黒させる。
抵抗のしようがないほど身体が震え、そのまま意識が暗転し――
「―――っ!?」
回復。
今にも倒れそうになっていたところ、寸前で膝を立てる。
いつの間にか地に転がっていた刀を左手で掴み取ったところで、眼を上げた。
「いっったい……!」
「隊長の言う通り、防弾衣を着ていて命拾いしたな」
「……本当、その通りね。後でお礼を言わなくちゃいけない」
間合いは十メートルほど。
帝国兵二人は共に傷を負い。とても十全とはいえない状態になっている。片や立ち上がれないよう膝を割られ、片や今も胸元の痛みを堪える表情をたたえている。
――それでも、まだ理性的に話ができている分、余裕はあると見るべきか。
対するヤマトは、半死半生の状態だ。元より疲労が蓄積していたところに、最後のスパーク。それらが相まって、今も視界がグラグラと揺れている。
唯一、救い所があるとすれば。
「ひぅ……!」
「……何とか、無事だったようだな」
涙目ながらも、ひとまず傷は負っていないらしいナハトの様子を確かめた。
軽度のパニック状態だ。まだここに留まっているのは、腰が抜けて動けないからだろう。悲鳴は上げていないものの、その際がいつ決壊するかは分かったものではない。
「逃げる――のは無理か。ならばせめて、流れ弾に当たらないよう伏せていてくれ」
「は、はぃ」
「守り抜く」とか、そういったことが言えたならば良かったのだが。
生憎と、今の状況はそんな言葉を掛けられるほどのものではない。
(身体が重い……)
気を抜けば暗転する意識を、既のところで引き留める。
いつの間に切ったのか。口内に溜まった血を噴き出し、ゆっくりと立ち上がった。
(ここからが鬼門だな)
彼我共に重体。
ゆえにここからは、気を強く保ち続けた方が立つ。そういった戦いになるはずだ。
そう己の肝に銘じたヤマトは、血生臭い溜め息を漏らし、左手で刀を正眼に構えた。