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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地敗走編
337/462

第337話

 ヘルガとナハトと別れ、魔王城内を歩くこと十数分。

 ヤマトの姿は、魔王城内でも際立って人気のない区画――アナスタシアの研究施設へと到着していた。


「ずいぶんと久しい気がするな」


 込み上げる衝動のまま、声を上げた。

 床壁天井全てを白く染め上げた、酷く殺風景な空間だ。生活感のあるものなど一切置かれておらず、ただ部屋として最低限の機能を果たせることだけを目的に作られた場所。その光景が、なぜか酷く懐かしいものに見えてくる。


(時間にしてみれば、そう長く離れていたわけではないのだがな)


 それほど、ヤマトの中でエスト高原での戦いの存在が大きくなっているということか。

 決して愉快ではないが、それでも郷愁を誘われる記憶。それらを脳裏で回想し、やがて溜め息を漏らす。

 今はそれどころではない。まずはアナスタシアを見つけ、これからのことを話し合わなければ。

 そう思い直したところで、天井隅に取りつけられていたスピーカーから、耳障りなノイズが響いてきた。そしてその内に紛れる、童女――アナスタシアの声。


『――あー、あー。ヤマト、俺の声は聞こえるな?』

「む。……あぁ、聞こえている」

『よし。まずはお疲れさん。色々話をしたいから、さっさと部屋に入ってきてくれ』


 頷けば、傷一つないように見えた部屋の壁に線が走った。

 ちらりと視線を流した先で、壁が音もなくスライドしていき、やがて巧妙に隠された通路を顕わにする。


「相変わらず厳重な守りだ」

『俺も敵が多いからな。このくらいの用心は必要なのさ』


 冗談めかして言っているが、その言葉は決して嘘ではないだろう。

 魔王軍の技術顧問に所属していながら、帝国へ技術を横流しする科学者。魔王軍と帝国の両方に繋がりを持つアナスタシアは、両国から疎ましく思われてもおかしくない。


『まあそんなことはいい。急ぎなんだろ? さっさと来いよ』

「あぁ」


 ブツッと音を立てて、アナスタシアからの通信が途絶える。

 些か性急に過ぎるように見えるが、今のヤマトにとっては、そのくらいの方が好ましい。


 アナスタシアが開いた通路を抜け、歩くこと十数秒。

 ヤマトの眼に、見慣れた扉が映り込む。取っ手も鍵口も見当たらない、未来的な扉。

 この研究室に訪れ始めた当初は戸惑ったものだが、数十回も出入りしている内に、慣れてしまった。さっと扉の前に手をかざし、戸が独りでに開くのを待つ。


「――来たぞ」

「おう。まあ適当に座れよ」


 部屋に入ったヤマトの眼に飛び込んできたのは、珍しく手が空いているらしいアナスタシアの姿だ。

 何かが映し出されたモニターを、黒い茶を啜りながら眺めていた。その眼差しは真剣だが、切羽詰まってはいないらしい。

 ヤマトが部屋に入ったことを確かめ、アナスタシアはくるりと椅子を回転させる。


「まずは……そうだな。よく帰ってきた。なかなか大変だったみたいだな?」

「む? あぁ、まあそうだな」


 気遣いの言葉、なのだろうか。

 アナスタシアの口から出ると、これほど似合わない言葉もないだろう。思い切り戸惑い、それを隠せず顕わにしながら、ヤマトは頷く。


「帝国が仕掛けてくるとは、思いも寄らなかった。おかげで、こちらは散々に逃げ惑うことになった」

「それでも、兵を連れて帰ってきたことはデカい。まだ奴らと戦えるってことだからな」

「ほう」


 思わず、声を上げる。

 現況を客観的に見つめたならば、情勢は圧倒的に帝国側に傾いていた。国力軍事力全てで帝国が勝り、他の諸国が結託して抵抗しようにも、その大半が先の戦いで削られた。今残っているのは、命からがらエスト高原から逃げ出したばかりの、敗残兵ばかりだ。

 勝利など、望めるはずもない。

 今あるのは、辛うじて死を免れたばかりの、死に体の残党だ。

 そんなことは百も承知だろうに、アナスタシアは大胆不敵な態度を崩さない。


「勝てると考えているのか?」

「逆に聞くが、勝てないとでも?」


 返ってきたのは、自信満々な態度だ。

 ヤマトの見えない“何か”が、彼女には見えているのだろうか。


「………」


 しばしの沈黙。

 ノアともヘルガとも異なる、危うさと怪しさが入り混じった蠱惑的なカリスマ。他方で、手を出せば怪我をすると、本能が盛大に警鐘をかき鳴らす。


(敵わんな)


 アナスタシアもまた、乱世を生き抜くに相応しい傑物ということか。

 脳が揺さぶられる心地のままに、ゆっくり口を開く。


「手があるんだな?」

「当然」

「……聞かせてもらえるか」

「元からそのつもりだ」


 また、これだ。

 込み上げた苦い思いのままに、小さく顔を歪めた。

 確かに自分の意志で言葉を紡ぎ、彼女の手を取った。なのに、何者かが敷いたレールに乗り、思う壺にはまったような感覚に陥る。

 悪魔という奴がこの世にいるならば、アナスタシアのような者がそうなのではないか。そう思わせるような魔力が、彼女からは放たれている。


(……だとしても、乗らない手はない)


 己に言い聞かせ、納得させる。

 そんなヤマトの葛藤を知ってか知らずか、アナスタシアは悪戯っぽく笑みを浮かべると、無数にあるモニターの一つを指差した。

 釣られて、視線を流す。


「あれ、何だと思う」

「地図……北地の見取り図か?」


 半ば当てずっぽうに近かったが、どうやら正解だったらしい。

 ヤマトの言葉に満足気に頷いたアナスタシアは、モニターに映し出された北地の地図を、ゆっくり拡大させる。


「ご名答。機兵やらホムンクルスやらを総動員して、ちまちまと作成していたブツだ」

「……見事なものだな」


 アナスタシアに対して抱いていた危機感を忘れ、思ったままを口に出す。

 古来より、地図というものは非常に価値の高い代物だ。地を理解すれば、それだけで策をいかようにも練ることができる。精巧な地図は国家機密に等しく、それを有しているだけで、大きなアドバンテージを得られる。

 先の彼女の言葉から察するに、この地図は相当正確に作成されているはずだ。


(だが、そうか。これを使えば――)


 一面の銀世界。不定期に訪れる吹雪で視界が覆われ、更に凶悪な魔獣が闊歩する死の大地。

 現住する魔族も把握できていない北地の地形を、帝国軍が知っているはずがない。その利は、かなり大きい。

 冷めやらぬ興奮をそのままに、ヤマトは口を開いた。


「なるほど。これがあれば、まだ戦えそうだ」

「だろ? 癪だが、ヘルガが帰ってきたのもデカい。奴にこれを任せれば、相当の戦果を出すはずだ」

「だろうな」


 アナスタシアには言わないが、この地図にはそれ以外の価値もある。

 ここに記されているのは、北地全体の地図だ。魔族たちが住処にする南部だけでなく、竜種や魔獣が跋扈する危険な北部についても記されている。


(これを分析すれば、安全な避難路を築けるかもしれん)


 魔王城とは言うが、ここには非戦闘員も相当数残っている。

 彼ら彼女らを戦いに動員するのは、まず無謀。であれば、安全な地へ避難させるしかない。

 その時にも、この地図は役立ってくれるはずだ。


「よければ、俺から渡しておくぞ」

「お、なら頼む。後で印刷しといてやる」


 ここへ来た本題にはまだ入っていないが、望外の成果を得ることができた。

 じんわりと湧く充足感を覚えていたところ、アナスタシアの咳払いで我を取り戻す。


「――んで、まあこれはお膳立てだ。本題はこれから」

「ふむ」

「流石に俺が戦について門外漢でも、これだけで勝てるとは思ってねえ。だから、別方面からもアプローチするべきだ」

「道理だな」


 首肯する。

 地の利を得て北地を自在に動き回れるようになっても、所詮は北地内で奇襲ができるという程度。それでは、強大な帝国軍を足留めできても、退けることはできない。

 ゆえに、ここからが本題。――そしてそれは、ヤマトとノアが事前に考えたことと同様のはずだ。


「俺たちの狙いは――」

「帝国内部からの自壊を狙う。……そんなところか?」

「当たりだ」


 藁にもすがる思い。幾つかの推測混じりでヤマトたちが提案した策を、アナスタシアは自信満々に掲げている。

 何か、ヤマトたちの知り得ない情報を持っていると見るべきか。

 それを問うように眼を向ければ、アナスタシアは勿体ぶらずに口を開いた。


「技術を流した時のツテでな。向こうの情報も、ある程度正確に掴めているんだ」

「……やはり、軍の暴走だったのか?」

「いや。そんなことはないらしい」


 はてと、首を傾げる。


「どういうことだ」

「まあ落ち着けよ。軍が暴走してたわけじゃない。向こうの話を聞くに、暴走しているのは帝国自体――というより、皇帝だな」

「……皇帝が?」


 言われて、記憶の海を探る。

 帝国皇帝。

 着位当初の姿をヤマトは知らないが、ここ十年ほどにおける彼の活躍は、目覚ましいの一言に尽きる。

 帝国技術の流布に努め、大陸全土の技術レベルを数段上げた功績。戦いを起こさないまま帝国勢力を拡大し、大陸随一と誰もが疑わなくなるほどに強化した。

 名君と呼ばれるに相応しい傑物だ。帝国内においても、彼の存在は熱狂的に受け入れられていると聞く。

 そんな、皇帝が。


「暴走――野心を見せたか」

「着位してから三十年。いい加減歳を重ねて、退位が見えてきたから、最後に一華咲かせる――ってやつかもな」


 いずれにしても、皇帝自身が大陸統一に乗り気らしい。

 それはすなわち、帝国が一丸となっているということなのではないか。


「手はあるのか?」

「無けりゃ、勝てるなんて言わねえさ」

「……そうか」

「皇帝の暴走。元々名君と慕われていただけに、表立って反発勢力は出ていないようだが――ないわけじゃ、ない」


 それはそうだろう。

 技術の躍進に伴い、帝国民には高度な教育が施されたという。教養高い人々の全てが、ただ皇帝を盲信するとは考え難い。

 そこまで聞いて、アナスタシアの狙いを理解する。


「それを煽るのか」

「そういうこった。もうターゲットの方も、目星はつけてある」


 言ってから、アナスタシアはパチッと指を鳴らした。

 無数にあったモニターの一つが映像を切り替え、一人の女性の顔を映し出す。

 眩い金色の髪。穏やかな碧眼。緩やかな弧を描く口元は優しげな性格を伺わせるが、目元には強い意志が感じられる光が宿っている。


(―――? どこかで、見たような……?)


 僅かに浮かんだ疑問。強烈な既視感に襲われ、眼を細める。

 思わず考え込むが、答えは出てこない。

 数秒経ったところで、ひとまず疑念を胸の奥へ仕舞い込んだ。


「彼女は?」

「皇帝の一人娘、つまりは第一皇女様だ。今回の作戦に反対していた中で、一番権力のある奴だな。皇帝批判を繰り返した結果、謹慎処分が下されたらしい」

「……なるほど。確かに狙い目のようだ」


 帝国外であれば、女性当主など問題外。ただ女性であるというだけで、世間から蔑視されるのが大半だ。

 だが、才能ある人材に飢えた帝国においては、男女の壁などないに等しいと聞く。ならば、彼女の活動も力を発揮するはず。


(いよいよ勝ちの目が見えてきた)


 北地にて頑強に抵抗し、簡単には屈しないと見せつける。

 帝国本土にて第一皇女を支援し、反戦勢力を作り出す。

 その二つをもってすれば、帝国の進軍判断を鈍らせる――ともすれば、中止させることも不可能ではない。


 ――だというのに、この不安感は何だ。


(何か、見落としていることはないか。大きな何かを失念しているような――)


 妙に胸の内がざわめく。

 知らず知らずの内、崖っぷちを歩かされているような危機感。得体の知れない大きな意思が、ヤマトを手の平で転がしているような感覚。

 ここまでの会話に不審なところがなかったことを、幾度か確かめる。――何も思い浮かばない。


「どうした?」

「む。あぁ、いや――」


 アナスタシアの声に、我を取り戻した。

 いずれにしても、今は帝国の追手を跳ね除けなければならない。そうしなければ、ヤマトたちに未来はないのだから。

 込み上げる不安感を誤魔化すように、深呼吸を数回。

 改めてモニターを見つめ直し、ヤマトはこれからのことに思いを馳せた。

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