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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地敗走編
336/462

第336話

(妙な空気だな)


 魔王城内に漂う、なんとも形容し難い雰囲気。

 ヤマトがそれを感じ取ったのは、アナスタシアの研究室を目指す道中のことだった。

 決して剣呑な空気ではない。だが、小動物同士が互いを警戒し合っているような、こそばゆさが辺りに漂っている。


「……あぁ、そういうことか」


 釣られて視線をぐるりと巡らせて、その正体に思い至った。


(人と魔族が一堂に会する。ともなれば、これも道理だな)


 雰囲気の源は、ヘルガが率いてきた敗残兵の面々。

 死線という言葉すら生温いほどの修羅場を共に潜り抜けた彼らだが、改めて一時の平穏を得たことで、相手が異種族であることに引っ掛かったのだろう。悪意を剥き出しにするような者はいないものの、どう接すればいいか分からず戸惑っている様子だ。

 ヤマトからすれば「さっさと遠慮を捨ててしまえ」と言いたくなる光景だが、当人たちにとってはそうもいくまい。


(気長に見るしかないな)


 何か手があったところで、認識阻害の仮面を着けたヤマトが動いても逆効果だろう。

 ツルリと滑る仮面の表面を指で撫でてから、諦めて視線を外したところで。


「む」


 見知った二人の姿を認めた。

 一人は、第一騎士団長ヘルガ。ヤマトたち敗残兵を魔王城まで撤退させた立役者であり、名実ともにこの軍の頂点に君臨する存在。彼がいなければ、この集団もあっという間に瓦解することだろう。

 そして、もう一人の少女は――


「ナハト、だったか」

「………?」


 思わず漏れた呟きを聞き取ったのか、少女――第四騎士団長ナハトがこくりと小首を傾げた。


 ナハト。

 魔王軍第四騎士団を率いる将軍であるが、その年齢は高く見積もっても、十と幾つか。その幼さゆえか、今回の決戦においても後方支援を任されるに留まっていた。

 ヘルガ率いる敗残軍には彼女の姿がなかったから、恐らくは独力で戦線離脱してきたのだろう。


(流石は四将軍の一人、と言うべきだろうな)


 ヤマトの存在に気がついたらしいナハトは、戸惑いを顕わにして瞳を揺らしてから、やはり首を傾げる。


「貴方は……?」

「“彼女”の腹心だ」


 ヘルガの言葉に、ナハトの顔がさっと強張った。

 幼気な少女にそんな反応をされると釈然としないものを覚える。が、今のヤマトに否定する言葉はない。


「……まぁ、そんなところだ」

「ひぅ……」


 すっかり軽快させてしまったらしい。

 眼をぐるぐると回してしまったナハトは、そそくさとヘルガの後ろへと身を潜めた。すぐにここから立ち去ろうとしない辺りは、また分別がついているのだろうか。

 努めてショックを表に出さないよう気を払いながら、ヤマトはヘルガの黒兜を見つめた。


「身体は休めなくていいのか」

「今はまだ、その時ではない」


 幾段かの会話をすっ飛ばした返答。

 それを受けて、ヤマトは仮面の中で苦笑を浮かべた。


「そうか。奴らはいつ来ると思う?」

「さて。だが、そう遠いことではあるまい」


 奴ら――すなわち、帝国軍の襲撃。

 何とか安全地帯まで辿り着くことができたとはいえ、脅威は去っていない。

 あと数日か、明日か。それとも、数分後か。

 いずれにせよ、帝国軍の追手がこの地に迫ることは確定事項であり、ヘルガたちはそれに備えなければならない。


(そういえば――)


 先程、ノアと交わした会話を反芻する。

 ちょうどいい機会だ。アナスタシアとの顔合わせの前に、ヘルガと話を進めてしまった方がいいだろう。

 「んんっ」と軽く咳払いをしてから、ヘルガに切り出す。


「勝算はあるのか?」

「五回ならば」

「……ほう」


 即座に返された、ずいぶんと自信あり気な返答。

 それに僅かに眼を見張ったヤマトだが、すぐに落ち着きを取り戻す。


「逆に言えば、その五回が限界か」

「正確に言えば、五回目の戦闘で我らは壊滅する。ほとんど相討ちに近い形で、奴らを払えるという程度だ」


 つまり、ある程度の余力を保ちながら四回は戦えるということ。

 ヤマトやノアの想定よりも少し高い見通しだが、ヘルガの言うことだ。当てずっぽうではないだろうし、実際にそうするだけの自信があるのだろう。

 その言葉を受け入れるように頷いてから、温めていた腹案を口にした。


「ならば、先んじて退路を築くのはどうだ?」

「退路だと? ……北に、ということか」

「話が早いな」


 考えてみれば当然の話だ。

 南は帝国軍に塞がれ、東西の果てには海が広がるばかり。となれば、退くとしても北――文字通りの前人未到ゆえに、誰も果てを知らない方へ逃れるしかない。

 ヤマトの提案に、僅かばかり考え込むヘルガ。だが、すぐに首を横に振った。


「無理だ。幾ら精鋭を率いても、竜の襲撃を防ぐだけの力は望めない」

「あぁ、だろうな。――だが、竜が来ないとしたら、どうだ?」

「何だと?」


 黒兜の奥から、赤色の眼光が煌めいた。

 戯言は許さないと言わんばかりの強い眼差し。反射的に背筋に冷や汗が滲むが、努めて胸を張る。


「………」

「………」

「………」


 しばしの沈黙。

 ヘルガの後ろに控えていたナハトが、気まずさのあまり再び眼を回し始めたところで。

 ふっと、ヘルガが息を漏らした。


「“彼女”の案件か」

「そんなところだ」

「なるほど。事実だとすれば、一考に値する」


 ひとまず、検討の余地ありと判断したのだろう。

 ヘルガから放たれていた威圧感が霧散し、それに煽られていたナハトがホッと安堵の息を漏らした。


「早速斥候を放たなければならないな」

「あまり悠長にしている暇はないぞ」

「知れたことを。そのくらいは承知している」


 言い返してから、ヘルガは身体の緊張を解す。

 彼なりに、兵たちの未来が閉ざされていたことを気に病んでいたのだろう。

 グルリと肩を回したヘルガは、そのまま冗談を口にするように、声を上げた。


「まったく。本来ならばこの役目は魔王のものなのだがな」

「む。まだ帰っていないのか?」

「あぁ、行方知れずだ。今頃何をしているやら」


 不平不満の色を覗かせながらも、冗談の色が強い言葉。

 だがそれが、冗談の類と悟れなかった者もいたらしい。


「ひぅ……っ」


「む」

「どうした?」


 息を詰まらせ、身体を強張らせたナハト。

 そんな彼女の様子に、ヤマトはヘルガと眼を合わせた。大将軍らしからぬ柔らかい眼光は気になったが、今はそれどころではない。


「何かあったのか?」

「い、いえ、その……」


 何かを言い出そうとしながらも、言葉が出てこないのか。

 モニョモニョと口を動かすばかりのナハトを見て、ヘルガは悟ったように頷いた。


「魔王のことか」

「ひぅ!?」

「……図星らしいな」


 感心したようにヤマトが声を上げれば、ナハトの眼にじわっと涙が溜まっていく。

 それに慌てた様子を見せたのは、ヤマトとヘルガの二人だ。


「な、泣くことはないだろう!?」

「むぅ……」


 どうしたものかと頭を悩ませたヤマトと、むっつりと呻き声を上げるヘルガ。

 二人して二の句が継げないでいるところへ、ナハトがゆっくり口を開いた。


「ま、魔王様は、私を庇って……」

「ふむ?」

「庇う?」


 ヤマトとヘルガは視線を交わした。

 敗走した当時の魔王とナハトも、遅ればせながら戦場へ参じていた。――つまり、帝国の襲撃を受けていたはずだ。

 つまり。


「魔王が囮になった、ということか?」

「は、はぃ……」

「……ふぅむ」


 それが失策だった、ということはナハトも承知していたのだろう。

 大きく息を吐き思案を巡らせたヤマトの前で、ナハトはますます縮こまってしまう。


「む? あぁいや、お前を責めるつもりはなかったのだが」

「で、でも、私がもっとしっかりしていたら……」

「あぁー……」


 もっと殺伐とした会話なら得意だが、幼子をあやすような言論は会得していない。

 困惑のままヘルガへ視線を流したヤマトは、黒兜から漏れ出る笑い声に気がついた。

 思わず、問い返す。


「どうした?」

「あぁ、何てことはない。だが、いかにもあの若造らしいとな」


 とても魔王軍の将軍とは思えない、魔王に対する不遜な物言い。

 咄嗟に魔王を擁護しようとしたナハトを制止し、ヘルガは言葉を続けた。


「奴の行いは王としては落第だ。王たる者、自らの命は何よりも重いと自覚しなければならない。だが奴は残った。度し難いほどに愚かだ」

「でも、王様は――!」

「そうだな。だが奴は、それでいいのだろうよ」


 ヘルガの言葉に、ヤマトとナハトは揃って眼を丸くした。

 彼が魔王軍においても特別な地位を得ていることは知っている。そして、それゆえに魔王批判に似た言動を度々繰り返していることも。

 ゆえに、彼を認めるような発言をしたことが意外だった。


「王たるための非情に徹せず、将を――いや、民を逃すことを優先した。愚かだが、徳でもある。そんな奴でなければ、ついていかない者もいるだろう」

「………貴方は……」

「それに、まだ悲観するには早い」


 途端に風向きが変わった。

 笑みを浮かべているようでもあるヘルガの声音に、首を傾げた。


「何だと?」

「王に相応しくないとはいえ、未熟とはいえ。奴は傑物だ。それも、混迷極める乱世を斬り裂くほどの」

「………」

「この程度の修羅場で死ぬような男ではない。それは確かなことだ」


 根拠など何一つない、勢いばかりの言葉。

 平時ならば戯言と切って捨てるようなそれは、だがヤマトには、不思議な説得力を伴っているように聞こえた。

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