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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地敗走編
335/462

第335話

「ああぁぁぁあああぁぁぁーー……」


 長戦の疲労で消耗し切った兵たちのために開放された、魔王城内の一室。

 そこに案内されたヤマトが眼にしたのは、日頃の姿が嘘のように力なく寝そべる、相棒の姿だった。

 北地の寒さを凌ぐためにこんもりと膨らんだ衣服は、傍目にもずいぶん温かそうな代物。それに加えて幾重にも毛布を被せているのだから、この上ないほど快適な状態になっているだろう。

 そんな状態でぐだぐだと寝そべっている姿は、一見してひどく怠けているようにも思える。

 だが。


(無理もないか)


 数時間前のノアの姿を思い返す。

 エスト高原での会戦に始まり、帝国軍包囲網を突破する際の戦いと、長い逃避行。

 それらの激闘を潜り抜けたノアの姿は、一言で表すならば泥ネズミ。返り血と跳ねた泥で全身が薄汚くなってしまっており、見るからに憐憫を誘うような有様だったのだ。

 今こうしてベッドに寝そべっているのも、いつぶりのことだろうか。

 それほどまでに、ヤマトとノアが潜り抜けた死線は過酷なものだった。それを思えば、今こうして怠けていることくらい、大目に見ていい気もしてくる。


「ぁぁぁーー……?」


 そんなヤマトの生暖かい視線を感じ取ってか、ノアがゆっくりと眼を動かした。

 眼と眼が合う。

 ぼんやりとして焦点の合っていないノアの瞳を覗き込み、一つ頷いた。


「気がついたか」

「……ぁー、そうだね。どうにか」


 言葉一つ発することすら、ひどく気怠い様子。

 それでも、何とか会話できる程度には体力も持ち直したらしい。身体こそピクリとも動こうとしないが、眼には徐々に理性が宿ってくる。

 サッと周囲を確かめるように瞳が動き、そしてヤマトを捉える。


「ごめん。迷惑かけたね」

「仕方のないことだ。元々、体力は俺の方が余っている」

「そうは言うけどさ」


 実際、今回の件は気に病むようなことではない。

 特別な訓練を積んでいるか、実戦経験に富んでいるか。そんな傑物でもない限り、今回の行軍を経て元気でいられる者など、そうはいない。

 現にヤマトも、今は辛うじて動けているものの、ふと気を抜けばすぐに意識を失えるほど消耗していた。


 ――それでも、今は休むわけにはいかない。


「……話を聞こうか」

「助かる」


 そんなヤマトの様子から、尋常でないものを感じ取ったのだろう。

 力の抜けた体勢のままながらも、ノアは眼に理性の光を宿らせた。

 相棒の様子に頼もしいものを感じつつ、ヤマトは小さく首肯した。


「話は単純だ。これからのことについて、言葉を交わしておこうと思ってな」

「これからの――あぁ、そういうことか」


 疲労ゆえに鈍っていた思考も、冴えを取り戻してきたか。

 頷いたノアが、ヤマトの言葉の先を引き継いだ。


「追手の話だね」

「あぁ。帝国軍は質が高い。十中八九、こちらに追手を仕向けてくると思うが……」


 確かめるように視線を流せば、ノアも即座に頷いた。


「だろうね。勝利したとはいえ、同盟軍を裏切り敵に回すような真似は、外聞が悪い。下手に情報が出回るのは、帝国としても避けたいはずだよ」

「あぁ。ゆえに、唯一の生存者である俺たちは確実に始末する」

「うん。それは避けられないね」


 帝国の精鋭が迫ってくる。

 その事実は、いい加減に戦い慣れたヤマトの背を、冷水を浴びせたかのように粟立たせた。


「率直に問おう。勝算はあるか?」

「絶望的。どう高く見積もっても、数回撃退するのが関の山だよ」

「……やはりか」


 思わず、溜め息が漏れた。

 数回の撃退が関の山。その見立てはヤマトのものよりも良かったが、だからといって、それ自体が良い結果なわけではない。

 数回は追い返せる。逆に言えば、それ以降は絶対に追い返せないということ。

 最新鋭の兵器と、士気の高い兵たち。それを駆使して、敗残兵の掃討に失敗する方が難しい。

 改めて厳しい現実を見つめた後、呻き声を上げる。


「避ける術は?」

「……正直、何も思いつかない。せいぜい陽動部隊を作って、後は全力で奥地に逃げ込むとか」

「奥地か……」


 渋面になる。

 北地の内、魔族が暮らしている範囲は実は狭い。更に北部には銀雪積もる大地が延々と広がっており、その意味で、逃げ場は幾らでもあると言えるだろう。

 だが、環境が問題だ。


「北には魔獣や竜が棲む。幾ら鍛錬を積んだところで、人が暮らすには過酷すぎる土地だ」

「竜……。流石にそれじゃあ、手を出すわけにもいかないね」

「あぁ。……奴らもそれどころではないだろうがな」


 呟きながら、先日竜の里で起こった出来事の顛末を思い返す。

 クロと、彼が手引きした黒竜による襲撃。彼らの手により数多の竜種が一日にして屠られ、もはや里としての体裁を保てないほどの損害が出たのだ。

 今や、もぬけの殻となった竜の里。そこへ踏み入ったところで、手荒い歓迎に晒されるということはないだろうが――


(……ならば、意外と希望はあるのか?)


 依然として、厳しいことには違いない。

 だが、このまま帝国軍の追撃が来るまで待ち続け、強靭な軍を前に特攻するよりは救いがあるだろう。

 ヘルガに提案してみようかと思いを改めたところで、思考を取り直す。


「帝国軍の進撃を止めることは困難――だが、手がないわけではない」

「と言うと?」

「アナスタシアだ」


 ヤマトの言葉に、ノアは一考の余地ありと判断したらしい。

 小さく俯き、その瞳の奥で思考を巡らせる。


「……帝国との繋がりを当てにする、ってところ?」

「あぁ。帝国本土で騒動を起こせば、この状況も変わるはずだ」


 だから、問題となるのは帝国の状況のこと。

 そう告げるヤマトの視線に、ノアは小さく頷いた。


「今回の戦争、帝国にとっても想定外。もしくは、一部機関の暴走だった。ヤマトはそう見てるんだね」

「そんなところだ。……で、実際にどうだ?」

「軍部が暴走していた可能性か……」


 ヤマトの脳裏に蘇るのは、数ヶ月前のエスト高原での情景。

 現地民に対して不穏な干渉を行い、その支配権を獲得しようと動いていた軍部の動きだ。


(正直、藁にもすがる思いではあるが)


 どうだろうか。

 隠せない期待を込めて見やれば、ややあってから、ノアは答えた。


「可能性はあるってくらいかな。ただ、確かめる価値はあると思う」

「……そうか」


 肯定こそされなかったものの、否定もされていない。

 それだけで、ヤマトが行動を起こすには充分な材料になる。


「――よしっ」


 気怠い身体に喝を入れ、ゆっくり立ち上がる。

 もはや事態は一刻を争う。こうして身体を休めている間にも、帝国軍の追手は刻一刻と迫っていることだろう。

 動ける内に、動いてしまうべきだ。


「俺はこれからアナスタシアの下へ行く。ノアはどうする?」

「ぅーん……。僕はちょっと休ませてもらうよ」

「そうか」


 無理には連れ出さない。

 実際、ノアの体力は限界に近い。こうして言葉を交わしている間にも、彼の眠気が伝わってくるほどだ。


「ならば、先に行っている。そちらは少しでも体力を戻しておいてくれ」

「うん、そうするよ」


 そこで、会話が終わったことを悟ったのだろう。

 理性で澄んでいたノアの瞳が、瞬く間に濁っていく。焦点が失せたまま、ふらりと虚空に視線を彷徨わせると――ビタッと、勢いよく目蓋が閉ざされた。


「……速いな……」


 呟くも、返事はない。完全に寝入ってしまったようだ。

 そのことに小さく苦笑を浮かべてから、ヤマトは音を立てないように、そっと部屋から抜け出した。

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