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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地敗走編
334/462

第334話

 エスト高原北端を塞ぐ山脈を抜ければ、一面の銀世界が広がっている。

 およそ数ヶ月前に目の当たりにした時には、途方もない衝撃が伴った体験だった。圧倒的な自然に対する畏敬と、立ちはだかる魔王軍への恐怖を胸に、自然と背が正されたことも色濃く覚えていた。

 それが今では、どこか安心感すら覚える光景へと変じている。


(帰ってきたのか)


 凍てつく風に身を震わせながら、ホッと息が漏れた。

 ふと見渡せば、ここまでの強行軍を潜り抜けてきた魔族兵たちの顔にも、同様の色が浮かんでいると分かる。対照的に、北地へ初めて足を踏み入れた人間兵たちの顔には、一様に不安の色が滲み出ているようだった。

 そんな不安感を隠せない兵の一人――ノアへ、ちらりと視線を流す。


(やはり、疲労が色濃いか)


 黙したまま、そっと眉をひそめる。

 元々予定されていた同盟軍との戦いに加えて、割り込んできた帝国軍との戦い。とても生還の望めない戦いであったが、奇跡的にヤマトたちは五体満足なまま脱出することができた。――だが、まだ窮地は終わっていない。

 度重なる激闘と、その後の強行軍。エスト高原よりも遥かに厳しい、北地の寒風。

 それらに煽られたノアの身体は、今に倒れてもおかしくないほどの疲労を訴えているはずだ。

 小さく溜め息を零したところで、ノアはようやくヤマトの視線に気がついたらしい。


「……どうかした?」

「いや。もう少し歩けば、休める場所まで着くはずだ」


 「だから、それまでは辛抱してくれ」。


 暗に秘められたその言葉に、ノアは力なく頷いた。

 日頃の活動的な姿からは想像することもできない、弱った姿だ。

 それに後ろ髪を引かれる思いながらも、ヤマトはノアから眼を外し、周囲を見渡す。


(弱った者はノアだけではない。あまり良い状況ではないな)


 慣れ親しんだ北地へ帰れた魔族兵たちはともかく、人間兵たちの様子は深刻だった。

 皆一様に地へ顔を伏せ、濁った瞳のまま、ただ淡々と足を前に進ませている。それも、風に煽られたならば、そのまま倒れてしまいそうなほど力ない足取り。もし倒れてしまったならば、そのまま二度と起き上がることはできないだろう。

 彼らの頭を埋めるのは、絶望の二文字。

 この逃避行の果てに希望がないことに、無理矢理思考をせき止めて気づかないふりをしている。そうでもしなければ、とても正気を保てないからだ。


「ち……」


 小さく呻く。

 この有様を、ただ兵たちが軟弱だからと非難することはできない。

 エスト高原での大決戦。帝国軍の包囲網を喰い破った撤退戦。そして、過酷な北地を踏破する強行軍。

 どれか一つをとっても大事な戦を、休憩一つ挟まずにこなしているのだ。疲労のあまりに思考を停止させたからといって、どうしてそれを責められようか。

 だがそれも、後少しのこと。




「――もう十分ほどの辛抱だ! そうすれば、存分に休める場所に着く! 皆、それまで持ち堪えろ!!」




 高らかな叫びが、軍の間を響き渡った。

 その声の主は、もはや確かめるまでもない。

 第一騎士団長ヘルガ。魔王軍における武の象徴であり、この逃亡軍においては希望の象徴でもある。

 そんな彼の声に、力なく俯いていた兵たちが僅かに顔を上げた。


「あと、少し……?」

「そうすれば、休めるのか?」

「疲れた、痛い。痛い……」


「あぁ! 後少しだ! ここさえ越えたならば、暖かい飯と安全な寝床がある! 皆、くれぐれも気を強く保て!!」


 決戦においては大将軍として果敢に戦い、撤退戦においては陣頭に立ち血路を開いた。その後の強行軍においても、事あるごとに皆を鼓舞して回る。

 そんな行為を繰り返したヘルガの姿は、兵の皆にとっては英雄に等しい。その言葉は、絶望に風穴を空ける福音のようでもある。


(流石だな)


 あれほど絶望に頭を垂れていた兵たちの足取りが、少しではあっても、軽くなっている。重苦しい空気が和らぎ、皆が前へ――生きるために足を進ませていた。

 思い返してみれば、ヘルガの功績はこのような鼓舞だけではない。

 兵たちの体力を鑑みた行軍ルートの構築。北地の魔獣一切を寄せつけない強力な威圧。それら全ての労力を少しも匂わせず、自らを完全無欠と錯覚させるパフォーマンス。

 ヘルガが陣頭に立ち万難を排することで、軍は辛うじて体裁を保っている。もし彼がいなければ、この逃亡軍はとっくに瓦解していたことだろう。

 思わず舌を巻くヤマトの隣で、力ない声が上がった。


「あと、少しか……」

「それまで倒れてくれるなよ?」

「……そうだね。ここで倒れたら、もったいないからね」


 あのノアすらもが、ヘルガの言葉に希望を抱き、疲労を僅かながらに緩ませている。

 その事実に驚きを覚えながらも、ヤマトは余計は口を挟まず、前方へと視線を投げた。


(ひとまず、生還はできた。――だが、問題はここからだ)


 見たところ、それに気づいたらしいのは二人だけ。

 すなわち、ヤマト自身と、陣頭で軍を指揮しているヘルガのみだ。

 そんなヤマトの視線に気づいたのか。ヘルガはちらりとヤマトへ眼を向けると、キッとその眼光を鋭くさせる。


「………」


 「余計なことを言うな」。

 そう告げるような眼差しに、素直に首肯した。

 今ここでヤマトが懸念を呟いても、百害あって一利なし。非常に危ういバランスの上で成り立っている軍を、わざわざ煽るような真似はしなくていい。

 とはいえ、それは懸念を忘れていいということではない。


(立ち向かえるのか? 俺たちは)


 ヤマトたちに迫る脅威は、北地の過酷な環境ばかりではない。

 今はまだ影も形もないが、あと数日もすれば、真なる脅威――帝国軍の追手が迫るはずだ。

 それを追い返せるだけの力がなければ、この軍は滅ぶ他なくなる。だが、帝国軍の武力は常軌を逸していた。多少体力を戻したところで、彼らに太刀打ちできるとは思えない。

 考えれば考えるほどに、頭上を閉ざされていくような閉塞感が増していく。

 思わず腰元の刀に手を伸ばしたところで、軍の前方でわっと声が上がった。


「あれか!?」

「あそこまで着けば、寝れるのか!」

「飯、飯飯……」


 大小の驚きが混じりながらも、全員の声に隠せない歓喜が滲んでいる。

 釣られて眼を上げれば、降る雪の奥に、その姿が見えた。


「あれが……」

「あぁ、間違いない」


 ノアの呟きに、力強く頷いてみせた。

 傍目からは、崩れかけた古城のように見えるだろう。地表に露出しているのは、辛うじて城と分かる程度に形を保った、瓦礫の山だ。――だが、その本体は地中にある。

 地表に広がる遺跡と、地下に広がる要塞。それら全てをまとめて、魔族たちはその場所をこう呼ぶ。


「あれが、魔王城だ」

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