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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
エスト大戦編
333/462

第333話

 今後百年は起こるまいという大戦争も、終わってしまえば呆気ないものだった。

 中天高くに座していた陽が沈み、赤光がエスト高原の土を染め上げている。屍肉を求めた黒鳥が舞い降り、湿った土をついばむ。生温い風に煽られて、折れた旗が虚しくはためく。

 そんな寂寥感を誘う光景を前にして、染み一つない軍服を着た将軍カインは、気の重そうな溜め息を漏らした。


「……これが、我々の為したことか」


 その呟きから滲むのは、後悔か懺悔か。

 いずれにしても、彼が眼前の光景を快く思っていないことは、火を見るより明らかだった。


(こちらの犠牲は僅か十名。その全員が、治療可能なレベルの負傷。対する敵方の死傷者は、推定二万人――)


 この上ないほどの、完全勝利。

 戦果を帝国本土へ持ち帰れば、誰もが諸手を挙げて、兵たちを褒め称えることだろう。カインもまた、異例の昇進を遂げられるかもしれない。

 輝かしい未来。

 その光景を頭の内に何度も描く――ものの、なかなか胸にまとわりつく暗雲は、晴れようとしない。


「……ちっ」


 思わず、舌打ちが漏れた。

 勝利とは、もっと華々しいものではなかったのか。なぜ自分は、こんなにも心を暗鬱とさせているのか。

 ジッと戦場跡地を睨めつけるカインの耳に、様々な音が届いてくる。

 勝利に酔う兵士たちの歓声。ガアガアと騒ぐ黒鳥らの鳴き声。吹き荒ぶ風の音。知らず知らずの内に貧乏揺すりをしていた、己の足音。

 それら全てが、気に入らない。無性に苛立ちが募る。


(酒でも飲むか)


 意識して大きな溜め息を吐いた。

 これほどに釈然としない気分は久し振りだ。かくなる上は、酒の力を借りて脳を誤魔化す他あるまい。

 重い足を引きずるように陣へ戻ろうとしたところで、カインの前に一人の男が立った。


「……将軍」

「やあカイン。そんなに暗い顔をして、どうかした?」


 将軍。

 カインはそう呼んでいるものの、彼の実際の立場はそれよりも遥かに高貴だ。


 帝国皇帝家の嫡男であり、皇位継承権第一位の皇子。


 カイン程度の身では、その名を呼ぶことすら許されない。

 ここが戦場であることを忘れさせるような、優雅な佇まい。それに一瞬気を呑まれてから、慌てて我を取り戻した。


「いえ、何でもありません。ご心配をおかけしました」

「いやいや。別にそれはいいんだけどね」


 言いながら、皇子はカインの隣に立ち、同じく戦場跡地へ眼を向けた。


「……酷い光景だね」

「はっ、あ、いえ――」

「遠慮はいらないよ」


 宮殿暮らし出身らしい、穏やかな瞳。

 それでいながら、皇子の声音には不思議な力強さが宿っている。

 それに圧倒されている己を自覚しながら、カインは小さく頷いた。


「今回の戦いは帝国軍の圧勝だ。兵数差を物ともせず、皆よく戦ってくれた」

「ハッ、ありがたきお言葉」

「うん。ただ、それでも。この光景は凄惨の一言に尽きる」

「……ハッ」


 必要な犠牲だ。

 帝国の威信に頑として抵抗を試みる勢力を排し、大陸をより豊かにするため。荒療治が過ぎるが、それでも必要と断じられた犠牲。

 そう何度も言い聞かせたところで、この光景が変わるはずもない。


「カイン。この犠牲は、確かに必要なものだった」

「ハッ、仰る通りです」

「そう。だけど、この凄惨さを僕たちは忘れてはいけない。必要だなんて言って、この罪深さを忘れようとしてはいけないよ」


 それはきっと、彼が皇子として育てられたがゆえの言葉。

 叩き上げの軍人にすぎないカインには、共感のしづらい言葉だった。

 だが、それを躊躇いなく口にできることこそが、皇子に求められる素養なのだろう。


「ハッ!」


 敬礼したカインを、皇子は満足そうに見やる。


「それでいい。――もっとも、この戦いはまだ終わっていないんだけどね」

「……残党のことですか」


 皇子とカインの間に、ピリッと緊張感が走った。

 このエスト高原に集まった――誘い込まれた勢力の、そのほとんどを殲滅することに成功した。

 だが一方で、帝国軍の包囲網から抜け出した残党もいる。


「魔王軍第一騎士団のヘルガか。想像通り――いや、想像以上の傑物だったね」

「個の武力のみならず、将としても秀でている様子。彼ほどの者は、本土にもそう多くはいないでしょう」


 カインの言葉に、皇子は首肯する。

 第一騎士団長ヘルガ。周囲を帝国兵に囲まれた危機的状況にあって、周囲の兵を根こそぎ集め、包囲網を突破してみせた手並み。見事と言う他あるまい。

 ヘルガのような才の持ち主は、いかに帝国が人材の宝庫と言えども、揃えられるものではないのだ。


「できれば、彼“も”欲しいんだけど……」

「それは高望みというものでしょう」

「分かってる。既に本来の目的は達したんだ。これ以上、多くは望まない」


 本来の目的。

 皇子の口から発せられたその言葉に、カインは思わず、後方の陣幕へと視線を流した。

 勝利に酔う兵たちの、更に後方。

 貴人を招くための陣幕には、今、大陸にとっての重要人物が収容されている。


「――勇者ヒカル。彼を捕らえられたのは、確かに僥倖でした」


「そのために戦力を割いたからこそ、ヘルガを逃したとも言えるけどね」

「勇者と一将軍では、傍から見た価値が違いますから」


 無念そうな皇子に、慰めの言葉をかけた。

 勇者ヒカルの捕縛。本来帝国が予定していたそれを、多少の手違いがあれど、無事達成できたことは喜ばしい。


「噂以上の武力ではありましたが、所詮は個人。数で寄せ理を諭せば、武を封じることは可能です」

「話し合いで手に入れられたのは幸いだった。下手に力づくで従えたら、反感を買うところだったからね」


 実際はともかく、形の上では、勇者自らが投降した。

 それは、帝国の大義名分を守るという意味で、非常に大きな意味を持つ。


「抵抗勢力の多くを討ち取り、勇者を手に入れた。これで、僕たちの計画を妨げるものはほとんどない」

「ハッ。皇位継承の儀も、もう間もなくかと」

「そうだね。……これで、姉上も認めてくれるといいんだけど」


 その言葉に、カインは皇子に悟られないよう、小さく顔を歪めた。


 “姉上”。


 現皇帝の一人娘であり、皇位継承権を自ら放棄しながらも、依然として国内で強い影響力を持つ人物だ。

 そして彼女は、現皇帝と皇子が共に推し進めようとした計画に対して、反意を顕わにする人物でもある。


「……私たちの理想を体現してみせれば、反対はされないかと」

「……そうだね。そう、願っているよ」


 応える皇子だが、その歯切れは悪い。

 先程までの覇気もすっかり失せてしまった皇子に、若干眉をひそめながら。カインは、努めて明るい声音を作って、話題を転換した。


「将軍。残党の後始末はいかがいたしましょう」

「残党……。そうだった。彼らも放置するわけにはいかないね」

「ハッ。小さな可能性ですが、これをきっかけに不測の事態が招かれるかもしれません。万全を期すべきかと」

「うん。その通りだ」


 この戦で求められていたのは、文句のつけどころがないほどの完全勝利だ。

 たかが残党と言えども、敵方の生き残りを出してしまったのでは、勝利に傷がつく。

 それを判断した皇子は、一つ頷き、カインの方へと眼を向けた。


「カイン、後始末は頼めるかい? 申告してくれれば、その分の兵は貸すよ」

「ハッ、お任せ下さい」


 敬礼。

 顔を伏せながら、カインは湧き立つ喜悦のままに口端を歪めた。


(これでまた一つ。手柄を立てられる)


 次期皇帝陛下の傍に立ち、軍の指揮を補佐する。

 それだけでも充分以上だった功績が、更に積み重なるのだ。この調子ならば、次期元帥の席すら狙えるかもしれない。


(そうだ。この調子で戦果を挙げれば、また私は――)


 しつこい汚れのように、心の淵にこびりつく暗雲。

 それを努めて忘れるために、カインは勝利と栄華の空想を、何度も繰り返すのだった。

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