第332話
人も魔族も区別なく、ただ「帝国から逃れる」という想いの下で団結する一同。
その中心に、黒騎士ヘルガの姿はあった。
「……来たか」
「あぁ。そちらも無事だったようだな」
「危ういところではあった。が、天は私を見放さなかったらしい」
先の演説の際に見せていた高揚は鳴りを潜め、ヘルガは静かに呟いた。
遠目で見た時と同様に、彼が怪我を負った様子はない。勇者ヒカルという難敵と刃を交えたにも関わらず、傷一つ負っていないのだ。
(いったい、どんな手品を使ったのか)
ヒカルが宿す力――時空の加護は、端的に言えば規格外の代物だ。
ただ刃を打ち合わせることすら拒む、圧倒的な膂力。数秒程度とはいえ、高精度の未来視を可能とする魔眼。予備動作をほとんど必要としない、転移能力。
その内の一つだけであっても、容易い攻略は望めない力だ。それらを、ヒカルは全て揃えている。
(ただ腕が立つだけでは、抗えるはずがない。何か特別な力があるのか、それとも――)
首を横に振る。
今は、それを吟味している場合ではない。
「現状は?」
「見ての通りだ。ひとまず使えそうな者をまとめた。後は、この包囲網を突破するだけだ」
「……包囲網だと?」
問い返せば、ヘルガは即座に首肯する。
「帝国は始めからこのつもりだったのだろう。兵を伏せ、戦に紛れて周辺を囲んだ。もはや、私たちに逃げ道はないということだ」
「その割には、諦めていないようだが」
「当然だ」
強気な口調。
その声音から、ヘルガが現状を一切悲観していないことを察知した。
「打破する策があるんだな」
「策、と呼べるほどのものではない。だが、勝機はある」
「聞かせてもらおうか」
「そう難しい話でもないがな」
言いながら、ヘルガは指先を立てた。
それが向くのは、北――エスト高原と北地とを隔てる、険しい岩山が並ぶ地だ。
「……向こうへ抜けるのか」
「それが一番、勝算が高い」
「道理だな」
考えてみれば、簡単なことだ。
帝国軍は、同盟軍と魔王軍の両方を敵に回した――とはいえ、その本拠地を大陸南方に置く、人間の国家だ。
仮に残党を出したとしても、北地に逃げられる分ならば軽傷。ゆえに、北方面への手配は薄くてもおかしくはない。
(死に物狂いでぶつかれば、活路が開ける――かもしれない)
ちらりとノアに眼を向ければ、小さく頷き返された。
策とも呼べない策。だが、何も講じないよりは遥かにマシだ。
「いつ決行する?」
「すぐにでも。ここも、直に帝国軍が押し寄せる」
言われて辺りを見渡せば、続々と兵たちが集まっているのが分かる。ここに数が集まっているということは、それだけ帝国軍が近づいているということだ。
兵たちの顔を眺めていく。
現状に対する戸惑いや疲労は色濃い一方で、士気そのものは高まっている。
これならば、帝国軍と戦うこともできるだろう。
「分かった。ならば、俺たちも備えるとしよう」
「あぁ。他の話は、ここを抜けた後に」
首肯する。
ヒカルとの戦いの話。隣にいるノアについての話。陣を敷いていたはずの魔王軍の話……。
積もる話はまだまだあるが、悠長に談笑している暇はない。
「行こう、ヤマト」
「あぁ」
ヘルガはふっと視線を外し、戦前の精神統一へ戻っていく。
その姿を見届けてから、ヤマトはノアと連れ立って、兵たちの入り混じった雑踏の中へと姿を隠していった。