第33話
ヒカルたちに続いて歩くことしばらく。
神官が寝泊まりする居住区や祈りを捧げている礼拝堂を通り抜けた辺りで、ヤマトは洞窟が徐々に高度を下げていることに気づいていた。
「どこまで下がるんだろうね」
「さて。既に海面は下回ったようにも思えるが」
やはりノアも気がついていたらしく、好奇心で目を輝かせて先を眺めていた。
神官たちが主にすごす場所は後ろに通りすぎ、辺りに人気はほとんどなくなっている。同時に、洞窟の岩壁も人の手が入らないそれになっており、既に神殿と言うよりはただの洞窟に近い有り様になっている。
「……あれは」
「扉か」
心なしか暗くなった照明用魔導具が、ほのかに扉を照らし出している。
それは、ここまで神殿の中で見た他のどんなものよりも華美な装飾が施されていた。金銀宝石がふんだんにあしらわれて、雄大な海と、そこに横たわる巨大な竜の姿を描いている。
「この先が聖地になります」
扉の威容に圧倒されているヒカルたちに向けて、神官はそう告げた。
「聖地とは?」
「先に話した、海竜様が残された巣があるのです。この神殿の役割は、海竜様の伝説を語り継ぐことの他に、その巣の保護もあるのです」
「竜の巣か」
神官は厳かな様子で扉を押し開く。同時に、扉の先から一際強い潮の香りが漂ってくる。そして、生暖かい風が吹き抜ける音と、波が砂を打つ音。
「入り江になっているんですか」
「はい。海竜様は陸海空全てを舞うお方。その眷属の方々も、海のみならず陸や空を住み処とするようです」
扉の先はバルコニーのようになって、眼下に広間が望めるようになっていた。
神官に従って扉を潜り抜け、バルコニーへと出たヤマトたちは、そこに広がっていた光景に息を呑む。
複雑に入り組んだアルスの海辺だからこそ生まれた、天然の洞窟と言うべきか。小さな村ほどの広さはある広間のほとんどは、深く黒い色をした海で覆われている。波打ち際こそ砂浜のようになっているが、ほとんどは巨大な岩が散乱する険しい岩場になっている。聖地と言うだけあってここには照明を置いていないらしく、天井の小さな隙間から差し込む陽光が辺りをほのかに照らすだけだ。
全体的に薄暗く、恐ろしいほどに静かな場所。そんな場所でもはっきりと分かるほどの存在感を放って、小さな竜が無数に存在していた。
大きさは一般的な魔獣と同程度――身の丈一メートルほどだ。青い鱗に覆われた大型な蛇のような胴体から、鉤爪がついた四つの脚が生えている。爬虫類を思わせる縦長の頭部には、二本の小さな角が前方に向けて伸びている。
そんな竜のほとんどは海を悠々と遊泳している。そして、数頭ほどが砂浜や岩場に静かに横たわり、眠りについているようだ。
「ここは、私たちの神殿か海の奥深くを通してのみ、外と繋がっています。深海を越えられるものは限られていますから、海竜様が巣を置くにはうってつけだったのでしょう」
確かに、天井の隙間は何かが通るには小さすぎる。小型の飛行する魔獣であれば通り抜けられるのかもしれないが、それでは、いくら生まれたばかりといっても竜種の敵ではない。そも、よほど強大な敵に襲われない限りは、幼竜であっても大抵の敵を退けるくらいはできるのだ。
幼いながらに歴戦の魔獣のような雰囲気を放つ竜に圧倒された様子のヒカルたちであったが、徐々にそれにも慣れだしたらしい。じっくりと幼竜たちを眺めてから、やがて首を傾げる。
「ここには幼竜しかいないのか」
「ある程度大きくなったものは、やがて外海へと旅立ちますから」
ここに住む竜種に限った話ではない。竜種全体に共通する生態のようなものだ。
要領を得ない様子のヒカルに、神官は説明を続ける。
「幼い頃こそこうして共同生活をしますが、本来の竜の方々は、互いに争い合うものらしいのです」
「つまり?」
「共食いをするらしいんだよね」
その言葉を告げることをためらった神官の代わりに、ノアが説明を引き継ぐ。
「共食い?」
「繁殖力が低いって言われる竜種だけど、実際に子供を産む数自体はそこまで少なくないんだよ。代わりに、大人になる前に互いに殺し合う」
「なぜそのようなことを」
「同種を食うことで、竜としての格が上がるからっていう説が有力だね。後は、まともに戦えるのが同種くらいしかいないから、本能的に戦いを挑むっていう説とか」
意味ありげに視線を飛ばしてきたノアに、ヤマトは沈黙を保つ。
そんなやり取りで何かを理解したらしいヒカルが、ぽつりと小声で呟いた。
「バトルジャンキーということか」
「推測ではね」
そう口では言いつつ、ノアはその説を半ば確信しているようだった。神官の方も、信仰対象の竜への言い方に顔をしかめるものの、特に反論しようとはしない。
広く知られる竜の性質として、弱者に対して興味を抱かないというものがある。敵意や欲望、相応の強さを持たずに竜の巣へ踏み込んだとしても、竜は何もせずに素通りさせるのだ。反対に、相応しい力を持つ者が現れた際には、嬉々として巣を飛び出して迎えに――戦いに行くという性質も持つ。竜種に襲われたという事実が武人の自慢話になるほどだ。
「そんなわけで、竜にとって同族は戦う相手だから、それなりに育ったら互いに巣を離れるのが普通なんだよね。例外は、理性でその本能を抑えられるようになった成竜くらいかな」
そうでなければ、竜の里などという代物は作り出されない。
感心したように頷いたヒカルに対して、今度はララが小首を傾げた。
「それじゃあ、ここの竜は? これまで竜同士が戦っているところなんて見たことないけど」
その指摘に、ノアは難しい表情を浮かべて唸る。
「普通に考えれば、知性を獲得したってことなんだけど……」
「確かめた者はいない、というのが現状です」
神官の補足の言葉に、ララはそれもそうかと頷く。
竜の生態については、全個体が持つ圧倒的な力と途方もなく広い生息範囲が原因で、思うように研究が進んでいない。同種を喰らうらしいという事実すらも、最近になってようやく判明したばかりのものだ。今なお様々な研究者が多種多様の学説を打ち出しており、これまで自明の理とされてきた事実が、ある日突然覆されることすらありえる分野。
知性を持った竜に直接尋ねることが可能ならば、その研究も一気に捗るのだろう。しかし、強大な力を持った竜は得てして、人が進むには過酷すぎる地を縄張りとしているものだ。
「――これにて、私共の神殿は以上になります。ご満足いただけましたか?」
「あぁ。案内を感謝する」
ヒカルが頷くと、神官はホッとしたように溜め息をついた。
比較的友好的な関係にあるとしても、太陽教会の重役に等しい勇者の歓待は気が休まるものがなかったのだろう。そんな内心を察したヤマトとノアは、無言で肩をすくめた。
「それでは、ここを出るとしましょう。あまり私たちがいますと、竜を刺激してしまいますから」
言われて見てみれば、岩場で寝転がっていた数体の竜が、のそりと身体を起こしてヤマトたちの方を見ていることに気がつく。
その目に敵意は浮かんでいないものの、警戒心の方は溢れるほどに満ちている。
「了解した。では――」
「………?」
神官たちと共にバルコニーから去っていくヒカルと共に足を踏み出そうとしたヤマトだったが、ふと広間の方へ向き直る。
「ヤマト、どうかしたのか」
訝しげに声をかけてくるヒカルには応えないまま、海面を凝視する。
深く黒い海面は、幼竜たちの泳ぎに伴って僅かに揺らいでいる。そして、その先から、身がすくむほどの強大な気配。
「近づいてくるか」
「いったい何のことを――」
その言葉の途中で、神官の男も異変に気がついたらしい。
海の奥底から、とても普通では考えられないほどに強大な気配が迫ってくる。それは真っ直ぐにこの聖地を目指しており、あと数瞬もすれば姿を現すだろう。ヤマトたちだけでなく幼竜たちも異変に気がついたらしく、必死に姿を隠すように、岩場の陰へと身を潜めていく。
咄嗟に腰元の刀を掴んだヤマトだったが、その気配の主が闘志を放っていないことに気がつき、刀から手を離す。同様に短銃を引き抜こうとしていたノアを制止する。
「――来るぞ」
静謐が保たれていた海面が、凄まじい爆発を起こした。
驚きのあまりに声も出ない様子の神官やヒカルたちに向けて、海水が雨のように降り注ぐ。不自由になった視界の中で、ヤマトは海面から“それ”が現れるのを目の当たりにする。
身の丈は小島ほどはあるだろうか。しなやかでありながら強靭な体躯は、青く煌めく鱗で覆われている。手足の鉤爪は怖気がするほどに鋭く太く、岩程度ならば握っただけで粉々に砕けることが容易に想像できる。二本の角は雄々しく真っ直ぐに伸び、金色の目から放たれる威圧と相まって、凄まじい風格を醸し出している。
最強の魔獣たる竜種。その名に相応しい威容を放ちながら、竜は海上でとぐろを巻き、その双眸でヤマトたちを睥睨した。
「なっ、なななっ……?」
「これは海竜様の……!?」
恐らくは、アルスを守護する成竜。
声も出ない様子ながらも神官は必死に平伏する。対して、ララは呆然とした面持ちで竜を見上げていた。
「凄まじい威容だな」
「流石は竜種ってところだね」
余裕のように振る舞いながらも、ノアの目は竜に釘づけになっている。
これまで相対したことのある魔獣を隔絶する気配に、衝動的に身体が武者震いを起こす。
『………』
「………」
とぐろを巻いた成竜は、沈黙を保ったまま一点――ヒカルだけを見つめている。ヒカルの方も、無言のままでその視線に相対する。
数分に思えるほどの時間をじっとヒカルを見つめていた竜だが、やがて興味をなくしたように視線を逸らすと、するりと滑らかな動きで海へと身を潜らせていく。
その尾の先が海面へ潜ったのを確かめてからも、ヤマトたちは放心したように口を閉ざしたまま、その後をじっと見つめていた。
耳に痛いほどの沈黙の中で、落ち着きを取り戻した幼竜が海の遊泳を再開し始める。それを皮切りにして、平伏した体勢から起き上がった神官の男が、額の脂汗を拭いながらヤマトたちに向き直った。
「い、一度ここから出るとしましょう」
「……あぁ、そうしよう」
ドッと疲れた様子でヒカルが頷いたのを確認してから。
ヤマトたちは聖地を後にした。