第328話
時を経るごとに、戦場の混沌さが増していた。
人間兵と魔族兵が血で血を洗う戦いを繰り広げ、エスト高原の大地が赤黒く染められていく。血臭死臭がむせ返るほど充満し、絵に描いたような地獄絵図が広がっていた。
そして、そんな凄惨な光景を斬り裂くように振るわれる、光の刃。
「……酷いものだな」
それら全てを眼下に収めながら、その男は小さく呟いた。
男の姿は、一言で表せば“流麗”に尽きるだろう。
血生臭い戦場には似合わない、折り目正しい軍服。その端々を彩る、金銀綺羅びやかな勲章の数々。そして、まるで舞い踊るかのような洗練された仕草。風に煽られて碧色の髪をなびかせる姿は、ここが戦場であることを忘れさせるほどに優美。
男は苦痛に顔を歪めながらも、戦場から顔を背けようとはしない。静かに、何かを眼に焼き付けようとする真摯さをもって、ジッと戦場を見つめていた。
「――将軍!」
そんな男の元へ駆け寄ってくる、一人の男。
柔らかな茶髪に、人好きのする端正な顔立ち。それでいながら、眼の奥には隠し切れない野心の光が覗いている。
将軍カイン。
若輩の身でありながら異例の出身を遂げた、帝国の出世頭だった。
巧みに野心を隠し、心から上官を案じるような表情を作るカイン。そんな彼に呆れた顔をしながら、男は問い返す。
「どうしたカイン。そんなに慌てて」
「その場所は危険です。御身に万が一のことがあっては、本国に申し訳が立ちません! すぐに陣中へお戻り下さい!」
「そういうわけにもいかん」
「しかし――」
更に諫言を重ねようとするカインを、男は手を挙げて制止した。
「これ以上の問答は無用。それに、我らがこれから為すことを思えば、危険だからと退くわけにもいくまい」
「はっ、ですが……」
「護衛ならばいる。周囲の警邏も充実している。ここで怯えるようでは私の――次期皇帝としての格が損なわれるというものだろう?」
「……仰る通りです」
次期皇帝。
自らをそう称した男の言葉を、カインは否定せず、恭しく跪いて応える。
カインの姿を満足気に見つめた男は、再び視線を転じ、ちょうど戦場から迸った光の刃へ眼を向けた。
「あれが、勇者か」
「はっ。報告によれば、本陣まで奇襲を仕掛けた魔族と交戦しているとのことです」
その報告に、男はピクリと細眉を動かす。
「一人か?」
「はっ?」
「その魔族は一人なのか? 一人で、勇者と戦っているのか?」
「そのようです」
「……そうか」
思慮を重ねるように、光の刃が迸った場所を睨みながら首肯する。
そんな男の姿に、理解が追いつかなかったのだろう。疑念を顔に浮かべたカインが、躊躇いながらも口を開いた。
「……あの、それがどうかされましたか」
「うん? いやなに。魔王軍にも相当な人材が眠っているらしいと、そう確信しただけだ」
「勇者と戦っているという、魔族のことですか」
カインの言葉に、男は頷く。
「単騎で勇者と渡り合う武勇は勿論、本陣への奇襲を成功させた手際もいい。ぜひとも雇用したいな」
「それは……。反発が大きいと思われますが」
「そこを率先して変革するのが、帝国の役目であり、皇帝の役目であろう?」
そう嘯く男の眼差しに、面白がるような光こそあれど、冗談を口にしているようなところはない。
本心からの言葉。
それを直感したカインは、咄嗟に笑い飛ばそうとした口を閉ざし、静かに頭を垂れる。
「御身が望むのであれば」
「うむ。ただまあ、全てはこの作戦が済んだ後の話だな」
平伏するカインに向けて、何かを促すような視線。
それで意図を察したカインは、握り拳を胸に当て、朗々と声を挙げた。
「強化歩兵隊ならびに機兵隊、既に配置についております! いつでも決行は可能です!」
「よくやった。ならば、始めるとしよう」
戦場に混沌が渦巻き、既に秩序は跡形もなく失われている。
狂気にも似た熱気は際限なく高まり、人も魔族も区別なく、皆が理性を失っていた。
――ゆえに、好機。
男は腰元に下げていた魔導銃を手に取り、その銃口を天空へと向けた。
「これを撃てば、計画が始まる。そなたも準備はいいな?」
「はっ! 自分も、覚悟は既にできております!」
「そうか。ならばいい」
そう口にしながら、男は再び戦場へと眼を下ろした。
兵たち皆が刀剣を手にし、互いに血を流しながら敵へと振り下ろす野蛮な戦。野蛮であるがゆえに、人の情念がより大きな力を持ち、個々が重視される戦場。
そんな前時代的な戦が、今日この時を境に、一変するのだ。
「人が刃を握り人を殺す。そんな戦いは今日限りで終わりだ。これからは、富で全てが決する」
もう誰かの都合のために、人が血や涙を流す必要はなくなる。
その理想を体現すべく、この地に集う者には多大な犠牲を強いることになるが――。
「……皆のことは忘れない。必ずあなたたちの犠牲に報いると、私はこの地に誓おう」
神の前で宣誓するかのような、厳かな口振り。
そっと眼を瞑り、数秒だけ黙祷。
やがて顔を上げた男の瞳には、静かでありながら強い決意が宿っていた。
「――さあ、始めよう」
引き金が引かれる。
高らかに銃声が鳴り響いた。
『………』
『………』
戦場で刃を振るっていた者たちの手が、派手な銃声で一瞬止まる。
誰もが音の源を探り、そして丘の上に立つ男の姿に気がついた。
そして、息を呑む。
「これより、帝国は世界へ――同盟軍諸国と魔王軍に対して、宣戦布告をする!!」
その声を聞いた者は、すべからく耳を疑ったことだろう。
だが、その疑念を解決する暇を与えることなく、男は脇のカインへ眼を向けた。
「カイン、号令を」
「はっ。機兵隊、前へ!!」
カインの号令に従い、鋼鉄の兵士が前進する。
彼らの手に握られているのは、魔導銃。男が持っていたような拳銃とは訳が違う。鋼ごと人を殺せる威力を秘めた長銃だ。
その機兵の総数、実に数千。
『あれは……?』
『鋼の、人形?』
戦場に立つ誰もが、今から起こる光景を予期できないでいる。
――だがそれは、この上なく幸運なことだろう。
「構えぇッ!」
長銃が一斉に構えられた。
エスト高原で死闘を繰り広げていた兵たちを、ぐるりと囲むように円形を作った機兵たち。
冷たい鋼鉄から放たれる威圧感を、兵は“殺意”と認識することができない。
そして。
「撃てぇッ!!」
無数の銃声が、天地を揺るがした。