第323話
陽は中天に差し掛かり、雲のない空から煌々と大地を照らす。
冬とも春ともつかない熱気が、草原を堺に睨み合う両軍の間を渦巻いていた。
「………」
誰しもが緊張を胸に、身体を硬くさせている。
そんな居心地の悪い空気に顔をしかめ、ヤマトはそっと溜め息を零した。
「いよいよだね」
「……そのようだ」
声を潜めたノアに、小さく頷き返す。
ヘクトル率いる魔王軍と、ヒカル率いる同盟軍。両軍は互いの隙を見逃すまいと身構えながら、ジリジリと距離を詰めていた。
今はまだ、辛うじて不気味な静けさを保っているものの――
「何かきっかけがあれば、爆発するね」
「きっかけ、か」
「軍事小説だと、一本の矢とかが定番だけど」
「今時、矢を持ち出すような兵がいるとは思えないが」
「分からないよ? 例え骨董品でも、使えそうだから持ってきた人はいておかしくない」
それも、どうだろうか。
魔導術の開発が進んだ現在、下手に矢を飛ばすくらいならば、個人で魔導術を展開した方がよほど戦果を挙げられる。わざわざ矢にこだわる理由など、これっぽちも存在しないのだ。
ただ、それはそれとして。
「誰かが術を暴発させる、くらいはあるかもしれないな」
「うーん。自爆が開戦の合図だなんて、ちょっと格好がつかないね」
「そんなものだ」
「浪漫のない」
“戦を制するならば、まずは機先を制するべし”。
そんな考えに基づいた両軍は共に、初撃に放つべき魔導術を構えながらの行軍をしていた。
何もない平時ならばともかく、互いの趨勢を賭けた大戦ともなれば、兵ら一人一人にかかる負担も相当なものだろう。その一人が想像もつかない大失敗をしでかしても、何ら不思議ではない。
今一つ納得できなさそうな様子のノアだが、すぐに表情を改めた。
「それはそうと、ヤマトたちはここにいていいの?」
「と言うと?」
「別働隊なんでしょ? 本隊が出張っている間に、ぐるっと迂回して背後に回り込むとか」
「……あぁ。それは問題ない」
一瞬言い淀んだのは、ノアの言葉の意図を探ったから。
聡明な彼のことだ。わざわざヤマトが説明するまでもなく、ヘルガやヘクトルの考えを看破していることだろう。
それでもなお、こうして問い掛けた理由。それは、ヤマトとの認識の差異を埋めると共に、緊張を解すために他ならない。
(こんな状況で、よく気を回せるな)
そう感心したくはあるが、ノアの心遣いを無為に帰す必要もない。
微かに生まれた間を、軽い咳払いで誤魔化す。
「別働隊の狙いは、本体同士の衝突に紛れて首級を挙げること。すなわち、混戦に乗じた突撃だ」
「改めて聞くと、ずいぶん強引な策だよね。勝算はあるの?」
「さて。俺一人ならば問題はないが、部隊全員ともなるとな。だが、ヘルガには自信があるらしい」
第一騎士団長を務め、武勇では魔王軍随一と名高い将軍ヘルガ。
彼の力量がどれほどかは、実際に見てみないことには判断できないものの。
(皆の信頼を勝ち得ている。それだけで、評価するには十分だろう)
この期に及んで、失敗するとは考えていない。
せいぜい、お手並み拝見というところだ。
そんなヤマトの内心を知ってか知らずか、曖昧に頷いたノアは言葉を続けた。
「ふーん? まあ、それならそれでいいけど。それで、どさくさに紛れて突撃した後は、陣頭で指揮している大将――勇者を狙うんだね」
「……そうなる」
「じゃあ、僕たちの狙い目はそこってことだ」
ノアが声を潜める。
万が一にも誰かに聞かれてはならない内容ということだ。
ヤマトの頭に、昨夜ヒカルたちと交わした会話内容が蘇る。
(狙い目。ヘルガがヒカル目掛けて突っ込んだ時こそが、俺の動くべき――裏切りの時)
裏切り。
その言葉に、胃の底がずっしりと重みを増した。
「――ヤマト、どうかした?」
「いや。何でもない」
訝しむノアの追及を誤魔化し、ふっと鋭く呼気を出す。
今更、悩んでいる時間はない。友であり仲間であるヒカルを助けるべく、ヘルガの攻勢は止めなくてはならない。そして、その身柄確保をもって戦に楔を打ち込むことが、結果として犠牲を最小限に喰い止めることとなる。
(道理は理解している。少なくとも、俺にはこれ以上の代案を出すことはできない)
昨夜から幾度となく繰り返した問答。
問うたびに同じ答えが導かれる。ゆえに、これこそが正道なのだと理解はできているものの。
(何だ、この不愉快な――)
脳裏に渦巻き、胸中の隅にて確かな存在感を放つ。
そんな“何か”から眼を逸らし、意識から追い出すべく蓋をしようとしたところで。
『―――うぁぁあああっっ!?』
悲鳴。
同時に、爆発音が響いた。
「なっ!」
「いよいよ、始まるみたいだね……」
サッと眼を流せば、もうもうと黒煙が立ち昇っていることが分かる。
その根本には――同盟軍の旗。
「どうやら、自爆したのはあちら側みたいだね」
「……そのようだ」
ヤマトとノアが言葉を交わしている間にも、事態は急変していく。
一人の魔導術暴発を皮切りに、同盟軍陣中へ動揺が広がる。必死に声を上げる指揮官の指示が素通りし、兵たちのざわめきばかりが大きくなる様が、ありありと眼に浮かぶようだった。
そして、魔王軍第二騎士団長殿は、絶好の機を逃すほど鈍重ではない。
「――構えぇぃ!! 放てぇぇッッッ!!』
鬨の声。
同時に、人の頭ほどの火球が幾つも放たれた。エスト高原の草原を飛び越え、動揺する同盟軍の頭上へと迫る。
(いよいよか……!!)
ジットリと手のひらに汗が滲み出た。
その冷たさに、良からぬものを覚えるヤマトの視界にて。
これから始まる大惨劇を祝福するように、大きな火柱が幾本も打ち上がった。