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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
エスト大戦編
318/462

第318話

「ふぅ……」


 冬の名残を感じさせる夜風が吹きつけ、茹だった頭を心地よく冷やしてくれる。

 じんわりと熱が籠もった兜が鬱陶しいが、今はそれを脱ぐことの許されない身の上。

 不満を言ったところで、仕方がない。それに今は、そんなことに気を害することがもったいないと思えるほどの心地だ。


「よかったわね、ヒカル」


 脇を歩いていたリーシャが、喜色を顕わにして口を開く。

 その言葉に頷き、ヒカルも先程の邂逅を思い返した。


「あぁ。ノアから無事だと聞いてはいたが、この眼で確かめられてよかった」

「幸い、後遺症のようなものもないみたい。向こう側の都合でまだ離れられないらしいけど、心配はなくなったわ」


 努めて平静な調子を保とうとしているリーシャの様子に、思わず笑みが零れた。

 ヒカルと二人、様々な思惑を内に秘めた権力者たちと話し合う日々。こちらを心配させまいと、リーシャは常日頃から平気な素振りをしていたが、その裏でかなりの負担を覚えていたことは、想像に難くない。

 そんな彼女が、今この場所においては、屈託のない笑みを浮かべている。

 ただそれだけでも、ヤマトと直接会えた成果はあると言えよう。


(ただ、懸念があるとすれば――)


 先程の邂逅。

 より正確には、その最中でヤマトが見せた態度を思い返す。


(迷い、情か)


 ヤマトを残して北地を脱し、諸国をまとめていたヒカルたちでは知る由もない。

 だが彼の地での暮らしが、ヤマトに何らかの楔を打ち込んだことは、改めて論じるまでもなく明らかなことだった。

 以前のヤマトでは考えられなかった、敵への――魔族への情け。ぬるま湯のような情に縛られた彼に、一切の躊躇いなしに魔王軍を斬ることは、もはやできない。


「難儀なものだ」


 先を歩くリーシャには聞かれないよう、小さく呟いた。

 もう間もなく訪れる戦は、彼にとって間違いなく鬼門となるだろう。

 勇者一行として魔族を斬るべきか、魔王軍客将として人と斬るべきか。いずれを選択しようとも、彼が苦しみ嘆く結末になることは間違いない。


(人と魔族が手を取り合う。もし叶うならば、それ以上のことはないのに)


 ままならぬ現実に歯噛みしながらも、願わざるを得ない。


「ヒカル……?」

「む……。いや、何でもない」


 ジッと黙したヒカルの様子に、ただならぬものを覚えたらしい。

 小首を傾げるリーシャから眼を背けた先で――男の姿を認める。


「あれは……」

「帝国軍の将校ね」


 年の頃は三十半ばか。

 数々の経験を積んだだろう風格に、陣内にあっても警戒を欠かさない慎重さ。一目で、只者ではないことが察せられる。――そんな彼が、数多ひしめく将校の一人にすぎないというのが、より恐ろしいところだろう。


「下がって」


 ヒカルを庇うように、リーシャが前へ出る。

 身体に緊張を走らせた二人を見て、帝国将校がゆらりと歩み寄ってきた。


「勇者様に聖騎士様。壮健そうで何よりです。こんな夜更けに、いずこへ?」

「そちらもご苦労様。少し見回りをして、これから戻るところです」


 ハンドサインで、「ヒカルは喋らないで」と伝えられる。

 心配されずとも、その気はない。相手は百戦錬磨の軍将校。ヒカルのような若輩が迂闊に口を開けば、余計な厄介を招くことになる。


「……そうですか」


 将校の方も、沈黙を保つヒカルと前へ出たリーシャの姿に、彼女らの意図が察せたらしい。

 深く追及しようとせず、リーシャの応答に首肯した。


「この辺りは夜風が冷たい。お身体に障らぬ内、陣幕へ戻る方がよかろう」

「えぇ。ご忠告感謝します。私たちはこれにて」


 「行くわよ」というハンドサイン。

 首肯もしないままリーシャに続いて歩み始めたところで――将校が、思い出したように口を開いた。


「――そういえば」

「何か?」


 何気ない世間話のような雰囲気。

 それでいながら、妙に胸騒ぎを覚える。

 警戒するように眼を細めたリーシャに対して、将校は彼女をなだめるように微笑んだ。


「ただの噂です。勇者様たちの天幕から、時折聞き馴染みのない声がすると、兵たちの間で囁かれているのですよ」

「……声?」

「えぇ。聞くところによれば、幼い少女の声だったとか」


 幼い少女の声。

 ということは、ヒカルが漏らした素の声ではないという――


(―――!)


 心当たりがピンと脳裏に浮かぶ。

 努めて表に出さないよう気を払ったが、果たして成果はどれほどだっただろうか。

 眼を細めた将校に対して、無表情のままリーシャが応じた。


「聞き間違いでしょう。私とヒカル様以外に、あの天幕に入れる者はいないのですから」

「えぇ。私もそう考えましたが、念の為です。お付き合いさせて申し訳ありません」


 恭しく頭を下げる将校。

 その頭を見下ろしてから、リーシャはそっと溜め息を漏らした。


「それでは、私たちはもう行きます。あなたも、早く陣へ戻った方がいいですよ」

「ありがとうございます、聖騎士様」


 今度こそ、彼は見送るつもりらしい。

 何かを言うこともなく頭を下げた将校を尻目に、ヒカルとリーシャはその場を辞した。


(……声か)


 将校の姿が見えなくなり、自分たちの天幕がすぐそこまで近づいた頃になって。

 ホッと気を抜くように溜め息を漏らしたヒカルは、先程の将校の言葉を反芻する。


(聞き馴染みのない、幼い少女の声となれば――間違いない)


 心当たりはある。

 リーシャと、天幕を用意した極少数の協力者を除いて知らない事実。

 周囲の兵にも伏せて、天幕の中に住まわせた少女が一人いる。

 その少女の名は――


「リリ、戻ったぞ」


 僅かに声を低めながら、天幕へ入る。


 リリ。


 成り行きで北地から連れ帰ってしまった、魔族の少女。人の住処では居場所がないだろうと案じたヒカルとリーシャの手により、今回の遠征にも密かに連れてきていた。


(天幕で大人しく待ってくれているはずだけど――)


 入ろうとして、気がついた。

 天幕の中にはリリの気配が一人。それは、今夜出かける前と同様であるものの。


(気配がおかしい)


 背筋に怖気が走り、胸騒ぎが止まらない。血が瞬く間に冷え込み、気を抜けば視界が黒く染まりそうになる。

 人ならざるモノが、息を潜めているのか。


「――ヒカル」


 同じことを、隣のリーシャも感じ取ったらしい。

 天幕へ入ろうとしたヒカルを制止して、腰元のレイピアに手をかける。その双眸に一切の油断はなく、何が出てきても一刀のもと斬り捨てるという気概に満ちている。

 ヒカル自身も、収納していた聖剣を手中に顕現させた。


(リリは今どうなって――)


 脳裏を過ぎった雑念を、一瞬で掻き消す。

 鬼が出るか蛇が出るか。いずれにしても、相応の対応をしなければなるまい。


「行くぞ」


 リーシャの応答を確かめて、天幕の垂れ布を――跳ね上げる。




「――お? 遅かったじゃねぇか勇者サマ」




 見覚えのある天幕の内装。

 過ごしやすいように多少の物品を整えた空間にいたのは、少女リリのみ――だが。


「お前は……?」


 思わず声が漏れる。

 あまりに気配が異質。本来リリが持っていた穏やかな空気感が消え失せ、代わりに、触れれば斬られそうなほど鋭い気配が渦巻いている。

 危険。あまりにも危険。


「シ――ッ!」


 ヒカルが我を取り戻すと同時に、リーシャが飛び出した。

 手元の細剣が微かに煌めき、凍てつく殺意を振り撒きながらリリ――否、リリの姿をした“化けモノ”を襲う。


「おっと危ねぇッ!」

「くっ!?」


 的確に首元を狙い澄ました一撃。

 それを前にして、化けモノは悪態を吐きながらも、相当の余裕を保って首を捻る。鋼刃が柔肌を掠めたことに気も留めず、すぐ近くのリーシャの瞳を覗き込み、


「退けリーシャ!」

「―――ッ!」


 我を取り戻したリーシャが、バックステップをする。

 入れ違いで前に出たヒカルが聖剣を解放し、化けモノ目掛けて振り上げたところで。


「待った待った、ちょっと待った! 別に俺は戦うつもりで来たわけじゃねぇんだっての」


 降参するように、化けモノが両手を上げた。


「何をふざけた――」

「俺はアナスタシア。名前くらいは聞いてるんじゃないか?」

「……何?」


 アナスタシア。

 確かに聞き覚えのある名前だ。


(ノアから聞いた。魔王領でヤマトを匿っている者の名だったな)


 事実だとすれば、刃を交える訳にもいかない相手だ。

 だが、眼前の化けモノが名を偽っている可能性もある。


「……ヒカル、様子を見ましょう」


 耳元でリーシャが囁いた。

 化けモノの正体が何であるにせよ、今は慎重に探りを入れなければならない。

 油断なく聖剣を構え魔力を漲らせたまま、化けモノ――アナスタシアの言葉を待つ。

 アナスタシアの方も、ヒカルとリーシャの警戒が未だ解けないことを察したらしい。疲れたような溜め息を零し、両手を上げたままに口を開いた。


「俺がここに来た理由は、お前らに提案をするためさ」

「提案だと?」

「おう。そっちの目的――戦いを沈静化させるための、効果的な一手になると思うぜ?」


 アナスタシアがもたらしたその言葉は、水のようにスッとヒカルたちの頭へ染み入る。

 次ぐ蠱惑的な笑み。

 何もない平時であれば、実に魅力的であっただろう笑顔。だが、アナスタシアから放たれる異様な気配が、それを悪魔の嘲笑にすら思わせる。


(厄介な手合いだ)


 何も言わず、リーシャと眼を見合わせ頷き合う。

 ざわつく胸中を宥め、正眼に構えていた聖剣の刃を下ろした。

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