第317話
「――済まない、待たせたな」
足音の主が姿を現した。
全身を鎧兜で覆い隠した戦士と、教会の紋様を刻み込んだ礼服を纏った女性。
二人の姿を見て、ヤマトとノアは同時にホッと息を吐いた。
「ヒカル、リーシャ――」
「ヤマト……!」
北地の奥、氷の塔。
魔王らの奸計に嵌まり、ヒカルを生還させるために別れて、早数ヶ月ほど。
久方振りに眼にするヒカルたちの姿を前に、言いようのない暖かさが胸の内に広がっていく。
そして、その気持ちはヒカルたちも同じくするところだろう。
「よかった! どこか怪我はしていないな?」
「久し振り。無事だって話は聞いていたけど、また会えて嬉しいわ」
自らの感情を持て余すように、声を震わせながらも喜びを伝えてくるヒカル。
見ているだけで胸が華やぐような、可憐な笑顔で迎えてくれるリーシャ。
二人の顔を交互に見て、言葉にできない感情を表すように、ヤマトはひたすら首を振った。
「あぁ、あぁ……! そちらも、何とか壮健そうだな」
ヒカルとリーシャ、両者共に疲れた気配が滲み出ている。
それでも、こうして再会に顔を綻ばせるくらいには壮健なのだから、喜ぶ他ないだろう。
「勿論だ。リーシャがすぐ傍で支えてくれたからな」
「そんな、ヒカルも立派だったから。私ができたことなんて、ほんの少しだけよ」
ヒカルとリーシャのやり取りに、おやと眼を丸める。
勇者と聖騎士。親しい主従関係ではあるものの、ヤマトの記憶では、二人の間に僅かな遠慮があったはずだが――今は、綺麗サッパリに失せている。
互いをかけがえのない仲間として認め合い、絶対の信頼を置いている。
そんなことを感じさせる、暖かく穏やかな雰囲気が二人の間に流れていた。
(きっと、苦労もあったのだろう)
考えてみれば当然のこと。
周囲を諸国の重鎮に囲われ、一挙手一投足に注目される。一歩間違えれば大陸を滅ぼしかねないという重圧の下、気の休まらない日々を送ってきたはずだ。
それを乗り越える中で、二人の間に絆が芽生えたとしても、何ら不思議なことではない。
「苦労を掛けた」
ヤマトには、そう口にすることしかできない。
叶うならば、これから二人の苦労を軽くするため尽力したいところなのだが――
「そろそろ、本題に入ろう」
ノアの一声が、ヤマトたちを我に返させた。
再会を喜ぶ気持ちは収まらないが、今はそれよりも優先しなければならないことがある。
「……そうだった」
頷いたヒカルの声に、真剣な響きが込められた。
途端に溢れ出した覇気に、思わず溜め息を漏れる。
(大したものだ)
一秒としない内に雰囲気が一変し、“少女ヒカル”ではなく“勇者ヒカル”が君臨する。
そこに、かつて滲んでいた頼りなさは欠片も残っていない。諸国をまとめ軍を率いる英雄たるに相応しい、輝くほどの才気が漲っていた。
自然と背を正す己を自覚しながら、ヤマトはノアの言葉を待つ。
「今回僕たちが集まった目的は一つ。明日にも起こるかもしれない戦を、できる限り沈静化させること。それに間違いないね?」
「あぁ。ここでの戦いが激化すれば、最悪の場合、大陸中に戦火が広がることになる」
ヒカルの目的は、依然として魔王を討滅すること――だが、だからと言って他の犠牲を顧みないような、非情な人間ではない。
戦火に巻き込まれた人々が、大陸各地で苦悶の声を上げる。そんな展開は、彼女も望んでいない。
「私としても、戦いが泥沼化するのは避けたいところね」
「あぁ、俺も問題ない」
リーシャに続いて、ヤマトも首肯する。
この場に集まった四人の同意が決した。今ここにはいないが、レレイもきっと同じ結論を出してくれることだろう。
「――よかった。なら、話を先に進めるよ」
方針が決まり、意思統一も為された。
ならば、次にやるべきことも決まっている。
「具体的に、何をするか」
「そういうこと。言うのは簡単だけど、実際に成し遂げるのは難しいよ」
そのノアの言葉は、事実を端的に表したものだった。
今の同盟軍は一枚岩と言えない状態ゆえに、ヒカルの一声で即停戦できるものではない。
また魔王軍の方は、人への――正確には、人が住んでいる大陸南部への執着で一致団結している。
たかが四人程度が声を上げたところで、両軍が退くはずもない。
「……私が呼び掛けたとしても、動くのはせいぜい教会と数カ国程度。それでも、私が最前線まで出れば、ある程度場を落ち着かせることはできるだろう」
「ヤマトには話したけど、今回の帝国軍はそれなりの無茶をしている。上手く交渉すれば、足並みを乱すくらいはできるはずだよ」
ヒカルとノアが、口々に現状を伝える。
それぞれを可能な限り拡大解釈すれば、同盟軍を抑えることは一応できるということ。
ゆえに、問題は。
「――魔王軍か」
その声に、知らず知らずの内に苦い響きが込もっていたのだろう。
ヤマトの言葉を耳にしたヒカルたちが、思わしげな視線を一斉に向けてきた。
「そうなるね。向こうが退いてくれれば、こっちも色々動けるけど」
「……難しいの?」
リーシャの言葉に、小さく頷く。
「だろうな。練度が高くないとはいえ、兵たちの戦意は高い。四将軍を動かせたならば、多少は話が変わるだろうが――」
「四将軍?」
「ヘルガ、ヘクトル、ミレディ、ナハト。氷の塔にも来ていた四人の将軍だ。それぞれが騎士団を持ち、高い戦力を有している」
そして、彼ら一人一人が魔王に次ぐ――場合によっては匹敵するカリスマ性を、軍内で発揮している。
魔王当人の意思を翻すよりは、彼らに当たった方が勝算は高いだろう。
「勝算はある?」
「ミレディならば容易いだろうが、影響力も低い。彼女一人に軍を足踏みさせるのは不可能だ。ナハトは、試みても仕方ないだろう」
それでも、積極的には参戦しないという点で、ミレディを信頼することはできる。
兵站担当のナハトは、物資輸送を担っているだけであり戦力は保持していない。――自然、狙いは二人にまで絞り込まれる。
「ヘルガかヘクトル。この二人のどちらかを動かせれば、可能性はある」
「動かせる?」
「どうだろうな」
曖昧に応えるが、正直見込みはかなり薄い。
ヘクトルの方は考えるまでもない。魔王への忠誠心に篤い彼が、魔王の意に反することはしないだろう。
ゆえに、狙うとすればヘルガの方なのだが――
(ヘルガがどう動くかが読めない。下手を打てば、こちらが斬られる)
その渋面で、大まかな事情を察したのだろう。
表情を陰らせたノアとリーシャが、互いに眼を見合わせて首を捻る。
「そうなると、戦いそのものを避けるのは難しそうね」
「だね。下手に動いて泥沼化したら、目も当てられない」
心の底から納得した様子はないものの、二人共それに同意したらしい。
事に大陸中の命運が懸かっているとあれば、万が一にも失敗は許されない。より現実的に、確実に被害を減らす方策を練るべきだろう。
ヤマトもノアたちの言葉に首肯を返しつつ、頭の中で話をまとめる。
「なら次善策。短期決戦かつ確実な形で決着をつけるか、互いの痛み分けで終わらせるか」
「……より確実なのは後者だけど、それでは事態が解決していない。私としては、短期決戦の案を検討したいわね」
「僕も同意」
そこで、知恵者二人の視線がヤマトへと集まる。
「……情報を、ということか」
「そういうこと」
ヤマトの言葉に、ノアが即座に頷く。
魔王軍に自然な形で入り込んでいるヤマトには、魔王軍がどう動くかの情報が入っている。であれば、その情報を流す――スパイ行為を働けば、その分だけヒカルたちが優位に立てることとなる。
(だが――)
逡巡する。
幾ら目的のためとはいえ、同胞として迎え入れてくれたヘクトルたちを裏切るような真似。
果たしてそんなことが許されるのか。そんな己を、ヤマト自身が許すことができるのか。
「―――」
ノアとリーシャの視線が痛いほど突き刺さる。
声も出せない葛藤の末。
悩み抜いた果てに、ゆっくりと口を開こうとしたところで。
「まぁ、言いたくなければ言わなくていいよ」
「む?」
あまりに意想外な言葉。
思わず耳を疑ったところで、ノアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「だって、僕の方で入手済みだからさ」
「………はぁ?」
「一応、僕も向こうに協力者を作っているから。軽い情報提供くらいはしてもらってるんだよ」
「……そうか」
その言葉に、脳裏にアナスタシアの姿が浮かんだ。
直接参陣していないとはいえ、彼女の情報入手手段は豊富だ。遠い北地にいても、魔王軍がどのように動くか程度ならば掴めるということか。
今一つ釈然としないままに頷いたヤマトに、ノアがニコリと微笑む。
「そんなわけだからさ。ヤマトには、僕の話が間違ってないかを確かめてほしいんだよ。裏を取るって意味でさ」
「……分かった。そういうことならば、任せてほしい」
「うん。それじゃあまず陣容について。向こうの総大将はヘクトルって魔族で――」
朗々とノアの声が響く。
言葉通り、魔王軍の現状を一寸違わず的確に表す言葉。ヤマトが付け足す余地がないどころか、むしろヤマトが把握していないようなことまで言っている。
(これならば、確かに俺が言う必要はなかったかもしれないが――)
モヤッと、胸中に暗雲が立ち込める。
義理立てを言い訳にしたが、果たしてそれが真実なのか。
本当は、ただ魔王軍を壊滅させるということに納得できていないだけではないか。今の己は、ヒカルの目的――魔王討滅に、心から同意することができるのか。
(俺は――)
人か、魔族か。
どちらかを切れと言われた時、自分はどちらを選択するのか。
意識の半分でノアの言葉を聞きながらも、もう半分の意識は、気がついてしまった想いに囚われている。
答えの出ない問いが、頭の中を延々と巡り続けていた。